流山市
流山市(ながれやまし)は、千葉県の北西部、東葛飾地域にある市である。
地理
千葉県の北西部、関東平野の中に位置する。東京都心から約30kmの距離である。市の西境を江戸川が南北に流れていて、江戸川の対岸は埼玉県である。江戸川に沿った市の西部は平坦な低地であり住宅地や農地が多い。市の東部には高低差のある台地になっている地域もある。
市役所等があるのは、江戸時代から栄えていた総武流山電鉄流山駅周辺の旧市街地である。流山市北部は江戸川台地区を中心に住宅区画がされていて、この地域は柏市と関係が強い。流山市中央は首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線開通に伴う開発が予定されていて、日本一のトーテムポールがある運動公園、市内唯一の文化会館、全天候型プールなど、文化施設が多々存在する。流山市南部は住宅地や水田、畑が広がるがこちらも大規模開発が予定されている。南部は隣接する松戸市との関係が強い。全体的には東京近郊のベッドタウンとして住宅地が多くなっている。
柏市との関係
流山市と柏市との関係は非常に深い。県立高校の学区、電話番号の市外局番が共通である他、国道6号、旧水戸街道の柏市寄りの流山市内の店舗等は、流山市内にあるにも関わらず、「柏店」「南柏店」「柏支社」といった店名、事業所名を使っている店舗、会社を多く見うけられる。また、住宅広告等も「南柏・松ヶ丘」などと記載されている場合も多く、住所を確認しないと柏市内と勘違いしてしまう。
柏市と流山市の市境は、柏市柏の葉・みどり台・西原・豊四季・今谷上町と流山市駒木台・青田・江戸川台・野々下・松ヶ丘・向小金・名都借などの間で複雑に入り組んでおり分かりにくい。柏市立光ヶ丘小学校は柏市内が通学区だが、校地の9割以上は流山市であり、住所も流山市向小金となっている。また逆に、流山市立八木北小学校は校地の一部が柏市である。このように、隣近所に他市の小中学校があるにもかかわらず、市内の離れた小中学校に通わなければならないなど、不便な問題も多い。柏市と流山市が合併すればこのような問題は解消されると考えられる。県立高校も、柏市民が流山市内に、流山市民が柏市内の高校にと、行きかうように通学している(両市は我孫子市・鎌ケ谷市・野田市とともに千葉県第3学区に属する)。つくばエクスプレスが開業し、両市が直につながった為、さらに柏市と流山市の関係は深まると思われる。
歴史
近世以前
下総国に属する。18世紀頃から江戸川の水運のための河岸ができ、みりんの製造で栄えた。幕末期には新選組が本陣を置いたが、新政府軍に包囲されたため隊長の近藤勇が出頭し、盟友土方歳三との離別の地となった。
近代以降
* 1869年 (明治2年) 市域内は葛飾県に入る。流山に葛飾県庁が置かれた。
* 1871年 (明治4年) 葛飾県が印旛県に統合。(県庁は市川市行徳)
* 1872年 (明治5年) 流山(旧葛飾県庁)に印旛県庁が置かれる(公式には佐倉だが、庁舎建設が間に合わなかった)。
* 1873年 (明治6年) 印旛県が千葉県に統合。
* 1889年 (明治22年) 南西部に流山町、北西部に新川村、東部に八木村が置かれる。
* 1911年 (明治44年) 新川村・八木村に千葉県営鉄道(現:東武野田線)が開業。
* 1916年 (大正5年) 流山軽便鉄道(現:総武流山線)運行開始。
* 1951年 (昭和26年) 流山町・新川村・八木村が合併し江戸川町が成立。
* 1952年 (昭和27年) 江戸川町から流山町へ改称。
* 1967年 (昭和42年) 市制施行し流山市となる。
* 1973年 (昭和48年) 武蔵野線開業。
* 1992年 (平成4年) 常磐自動車道の流山IC開業。
* 2005年 (平成17年) 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線開業
* 2007年 (平成19年) 市制施行40周年。
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