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成田市

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成田市(なりたし)は、関東地方の東部、千葉県の北部中央の北総台地に位置する商業都市。成田国際空港や成田山新勝寺などで知られているほか、東京の衛星都市としても知られている。業務核都市に指定されている。

概要

成田山新勝寺、宗吾霊堂の二大霊場を有する門前町として栄えた。明治期には宮内庁下総御料牧場が置かれるなど、1950年代まで観光と農業の振興を二大施策とした田園都市であった。1960年代に入ると市の南東部に「新東京国際空港」(現・成田国際空港)の建設が決定され、1978年の空港開港と高度経済成長とともに、市域の経済・産業構造に多大な変化がもたらされる事になる。

かつては純農村であった本市だが、現在では農業人口は減少し、都市近郊農業型へと転換している。その反面、空港関連のサービス業など第三次産業が生まれ、新たな雇用が創出された。また観光面ではかつて程の活況は無くなりつつあるが、成田山新勝寺では現在も正月三が日だけで270万人以上、年間約1000万人もの参拝客で賑わう、全国屈指の霊場の町である。

空港は市街地から離れた丘陵部に位置しているため、騒音被害をほとんど受けない地域も多い。空港用地の一部がかかる山武郡芝山町などの被害は見過ごされがちである。空港用地の大部分は成田市に属するため、関連の税収は成田市に入ることが多く、財政の豊かさは全国有数である。しかし、騒音被害を受けるのは空港周辺と航路直下であるため、利益を独り占めしているという批判もある。なお2008年に開港30周年を迎えるが、現在も空港の完全開港はなされていない。現在、地域と共生する空港づくり掲げ、航空需要の増大に従う騒音問題などに向き合っている。

1986年には一極集中の回避を目的とする業務核都市に指定され、千葉県からは千葉新産業三角構想の中核都市として位置付けられている。国の構造改革特別区域法に基づき2003年4月21日に国際空港特区、同年5月23日には国際教育推進特区に認定された。2006年(平成18年)3月27日、香取郡下総町、大栄町を編入した。

平成19年1月21日は、前市長の逮捕に伴う出直し選挙となった。

地名の由来

成田(なりた)の地名の由来には諸説あり

* 昔から雷が多い為、雷の良く鳴る田「鳴田(なるた)」→「成田」とされる説。
* 稲の出来が良い土地の為「熟田(なりた)」→「成田」とされる説。
* 最近の研究では、開墾を行い、なりわい(なりわい業)の田「業田(なりた)」→「成田」

などの説がある。

成田市の歴史と、旧下総町・大栄町の歴史とは別項目にわける事とする。

成田市

成田付近には旧石器時代の約3万年前から人間が居住していた事が空港建設に伴う発掘調査(新東京国際空港No.55遺跡)によって判明している。縄文時代の南羽鳥中岫第1遺跡では、人頭形土製品などが出土し、国の重要文化財に指定されている。また関東地方最後の大貝塚である荒海貝塚などがあり、縄文時代最後の土器とされる「荒海式土器」が発掘され、国立歴史民俗博物館(佐倉市)の調査では稲作の可能性が明らかにされている。西暦3世紀終わり頃の古墳時代、市内には多くの古墳が出現した。近隣の竜角寺古墳群や日吉倉古墳群を含め、約340基の古墳が存在する。成田市は、水運に恵まれ、大和王権にとっては、重要のルート上に位置し、政治・軍事・経済上重要な地域だったとされる。古文書に成田市域の地名が出るのは755年『万葉集』に,「印波郡丈部直大歳,埴生郡大伴部麻与佐」の歌が見える。成田の文字が確認されるのは、1408年(応永15年)成田村安養寺の聖観音菩薩坐像胎内に「成田郷 応永十五年」の銘がみえる。940年(天慶3年)平将門の乱が平定され,新勝寺が創建されたと同寺縁起にみえる。新勝寺は、朱雀天皇の勒命を受けた僧寛朝が平将門を調伏する為、京都の神護寺から不動明王を移した事に始まるとされている。僧寛朝は、大阪港より海路を経て、尾垂浜に上陸した。公津ヶ原まで進むと将門の戦乱により、荒れ果てた土地、すさみ疲れた人々を見て、護摩壇を設け不動明王像を安置して朝敵調伏を祈祷した。その場所が、現在の並木町にある「不動塚」周辺と伝えられ、成田山発祥の地と言われている。

江戸時代中期、成田は門前町としての色を濃くして行った。それまで、ただの農村であったが、参拝者の増加と共に、農業の合間に飯屋や居酒屋などを営んでいたが、それが次第に専業化していった。成田には、当時の農村とはしては珍しく、煙草、刀剣の研、髪結、提灯、蝋燭、傘、下駄屋などがあり、江戸との間を結ぶ成田街道をはじめ、利根川の木下河岸(印西市)、常陸国を結ぶ滑川河川、香取・佐原・芝山・九十九里などを結ぶ道などが集中する交通の要衝として栄え、参拝者以外の旅人でも賑わった。

明治4年に現市域は印旛県に属し、明治6年千葉県に統合された。明治9年の大区小区制では、第10区11-16小区に属す。明治11年、埴生郡は下埴生郡と改称。印旛郡公津新田が八生村に、下埴生郡成木新田が公津村に編入され、明治30年下埴生郡が印旛郡へと編入され、現市域はすべて印旛郡となる。

江戸時代に佐倉七牧と呼ばれた馬の放牧地があり、明治時代に入るとその内の一牧「取香牧」(現・成田市取香・三里塚付近)に牧羊場が開場した。以後、宮内庁管轄となり「下総御料牧場」となる。この頃から下総台地の佐倉牧や小金牧などで開墾が行われ始め、成田の「十余三」はその13番目の開墾地名である。

明治以後は観光の振興に力を入れ、交通の整備が急速に進んだ。それ以前は東京から成田まで片道二日の行程が普通であったが、乗合馬車の整備により半日で到達可能になった。また鉄道敷設の気運が高まり、明治34年成田鉄道により成田〜我孫子(現・成田線)が開通、日本鉄道(現・常磐線)と接続し上野駅に直結させた。明治43年には、成宗電気軌道により成田門前〜成田駅に県下初の電気軌道が運行を開始する。大正末期には、成田駅の乗降客数は千葉駅に次ぐ県内2位まで増加した。

明治期の成田は成田山参詣の恩恵を受け、特に活気に満ちていた。しかし急速に交通網が整備されたため、参詣客が増加する反面日帰り客の増加を招き、旅館業者の宿泊客が奪われ、転業するものが増えた。最も産業自体は活気に満ちており、この頃登場し、現在でも成田名物として有名な「栗ようかん」など、薬、酒、たばこ、飲食、料理、土産物屋などが参道に店を連ねた。町の発展に伴い、千葉郡にあった物産陳列館も成田町に移され、町立千葉県物産館が開館さた。また成田町には佐倉警察署成田分署、佐倉裁判所成田出張所、成田郵便局、大日銀行、九十八銀行、各保険会社の代理店などが置かれ、現市域の中枢としての機能を有していた。

大正時代に入り、第一次世界大戦によってもたらされた活況や、その反動により起こった恐慌にも成田の参詣客数には関係なく、宿泊客数も増加した。この頃から、成田瓦斯会社(後に成宗電気軌道に合併)によって、市内にガス灯が灯るようになる、しかし、宗成電気軌道(後の千葉交通)による電灯用電気供給により、以後ガス灯を圧倒していった。成田の経済を象徴する物として、この頃成田銀行が一時経営不振に陥るが、その後川崎銀行の元で経営を再建、市内の中小銀行を併合し「総武銀行」、「千葉合同銀行」と改称、後に現在の「千葉銀行」となる。大正期、成田は第二次世界大戦前のピークを形作る。

戦時中、成田山では江戸時代、成田山の仁王門再建工事をしていた大工"辰五郎"が誤って高い足場から転落したが、成田山の焼印を押したお守りが二つに割れ、お不動様の霊験により怪我ひとつなく助かったという言われから、出兵兵士達の間で成田山の「身代わり札」が流行した。太平洋戦争末期、戦争の長期化により物資の不足が深刻化した。成田でも、成田山公園に設置されていた銅像やようかん看板、不要不急線として成田鉄道(旧・成田電気軌道)が廃線となり軍事供出された。また、市内に直接的な空襲被害は無かったが、昭和20年2月、八生国民学校校舎に米軍機が撃墜され墜落。校舎が全焼する事件も起きた。昭和20年8月15日、終戦を迎えたが市民の生活は相次ぐ凶作や急激な物価高騰の影響を受けて戦時下より一層生活困窮に陥った。また、消息不明未帰還者が相次ぐなど、市内にも戦争の残した爪跡は決して少ない物では無かった。

終戦後、昭和28年に町村合併促進法が制定され、翌年の昭和29年3月31日、成田町、公津村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の1町6村が合併し、成田市が誕生する。成田は田園観光都市として、農業を中心とした都市形態であったが、昭和41年の新東京国際空港建設に伴う国の閣議決定によって町は一変する事になる。空港建設の決定に伴い、市議会は即時空港建設反対の決議をしたものの、翌月には決議を白紙に戻し、空港建設を積極的に協力する姿勢を打ち出した。しかし、地元住民からは意見を無視し国家権力を振りかざした空港建設だとして、激しい憤りの声があがった。市民は空港建設に対して賛否がわかれ、閣議決定に前後し、地元の約1千戸、3千人の農民によって三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成。昭和43年には、反日共系全学連などと共に決起集会を共催。反対闘争は強化され、ついには死者を出すなど、深刻な社会問題と発展し、現代史に残る成田闘争となる。相次ぐ流血の惨事に成田市では「暴力行為の排除と信仰の町成田の平和と繁栄の為に市民の協力を願う」との主の声明を出す。こうした混乱の中、昭和53年5月20日、新東京国際空港が開港した。その後、空港関連事業として内陸工業団地、成田ニュータウンが千葉県北総開発局(現・千葉県企業庁)によって造成され、現在ではベッドタウン化が進んでおり、人口も増加傾向にある。また、近年では百貨店や大型ショッピングセンターが市内に立地し、北総地域の商業都市としての一面もある。しかし、成田空港は開港から25年以上経つ今日でも完全開港が成されておらず、未だ収束を見ない反対運動に伴う土地収用問題や、空港近隣住民の航空機による騒音問題など、成田市にとって空港の完全開港化と地域と空港の共生が重要課題となっている。

人口

1954年の市制施行当時の人口は44,724人であった。その後の空港建設に伴い、成田ニュータウンの造成、内陸工業団地の造成など、大規模な空港関連事業が進められた。1978年の空港開港からは、空港関連企業によって新たな雇用が生み出され、空港開港に伴う人口移入が増え続け、2005年には人口が10万人を突破した。2006年に下総町、大栄町を併合し人口12万人を超え、現在も増加傾向にある。総世帯数は50,342戸(2007年3月1 日)

成田山新勝寺(房総の魅力500選)

940年(天慶3年)、宇多天皇の孫にあたる寛朝[かんじょう]大僧正により開山され、以来一千年余の歴史を持つ全国有数の霊場。真言宗智山派の大本山。また、関東三大不動の一つ。23万m² の広大な境内には額堂、光明堂、釈迦堂、仁王門、三重塔(すべて重要文化財)が点在する。現在、2008年(平成20年)の成田山開基1070年祭記念大開帳に向け、大本堂修復、総門建立、諸堂修復、お護摩受付所新築、門前堂庭整備などの工事が行われている(2004年(平成16年)4月1日〜2007年(平成19年)11月末日)。

映画・ドラマ

* おれの行く道(映画)(1975年 配給:松竹 主演:田中絹代、西城秀樹、河原崎長一郎)
* 大空港 (テレビドラマ)(1978〜1980年 フジテレビ 主演:鶴田浩二、中村雅俊)
* スチュワーデス物語(1983〜1984年 TBS系列 主演:堀ちえみ )
* 新空港物語(1994年 テレビ朝日系列 主演:植木等、東幹久)
* ストーカー・誘う女(1997年 TBS系列 主演:陣内孝則、雛形あきこ)
* 仮面の女(1998年 TBS系列 主演:雛形あきこ、石田純一)
* GOOD LUCK!!(2003年 TBS系列 主演:木村拓哉、堤真一 、柴咲コウ)
* ヤンキー母校に帰る 旅立ちの時 不良少年の夢(2005年 TBS系列 主演:櫻井翔)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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