千葉市
千葉市(ちばし)は、千葉県北部の東京湾北東隅に面した都市。同県の県庁所在地で政令指定都市及び業務核都市。
日本で14番目に多くの人口を抱える都市であり(東京23区を1都市として数えた場合)、県内交通の要衝であり、市域には多くの国道や高速道路が集まり、また県内鉄道網の要となっている都市である。
歴史
平安時代に千葉氏の祖、平常重が土着して千葉介を名乗り、以後子孫が室町時代まで下総国守護職として周辺を支配した。
享徳の乱に乗じた原胤房と馬加康胤によって千葉胤宣が討たれ千葉氏宗家が滅びた後は、千葉妙見宮の小さな門前町となり、江戸時代には市域の大半が佐倉藩領(この他に市域に生実・曾我野の2小藩が置かれた)となるが、廃藩置県後木更津県と印旛県が廃止され千葉県が誕生、両県の境である千葉郡千葉町に県庁が設置されたことから、その後千葉県最大と都市となった。
市制施行により千葉市が誕生したのは、1921年(大正10年)1月1日のことである。この時点での市域は、現在の中央区の北半分から稲毛区の南東部にわたり、これは1889年(明治22年)に設定された千葉町の町域をそのまま引き継いだものであった。その後、徐々に周辺の町村を合併するとともに、海面の埋め立てを進め、現在の広大な市域が成立した。戦前、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所と日立製作所などの軍施設が集中する軍都として発展したが、昭和20年6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ、市域の7割が壊滅する大被害を被った。
戦後、宮内三朗市長(名誉市民第1号)の元で大規模な埋め立てと市町村合併が行われ、京葉工業地域の中心都市として再建された。ちなみに現在の緑区のうち、旧土気町であった部分はかつては上総国山辺郡に属していた地域である。
2003年2月、隣接する四街道市の住民の発議により、法定合併協議会が設置され、合併方式を千葉市への編入とし、行政区名を「四街道区」とする方針が決まったが、四街道市議会内で合併への賛否が拮抗し、賛成派・反対派双方による発議により2004年5月16日に行われた、合併の是非を問う住民投票の結果、反対意見が賛成を上回った為に合併は白紙となった。
県庁周辺には、かつての下総国守護所があった亥鼻城跡を囲むように、千葉県警察本部、千葉市消防局、千葉地方検察庁・千葉区検察庁、千葉地方裁判所・家庭裁判所など行政機関が集中する。一方、市街地は地場資本の奈良屋(後に専門店ビル・セントラルプラザ)・田畑屋(現・千葉パルコ)・扇屋(後にジャスコ傘下入り)といった百貨店が並び、ダイエーや丸井が進出するなど活況を呈していたが、現在では空洞化が深刻化しダイエー千葉店、セントラルプラザなどが次々に閉店し、その跡地はマンションや駐車場が造られ、また、市街地から少し逸れた中央区栄町地区は、かつては県下一の賑わいを誇っていたが、国鉄千葉駅が現在の位置に移転したことをきっかけに衰退、現在では風俗店が集中する歓楽街となっており、商業的には地盤沈下傾向が続いている。市は地元商店会と共に栄町の再生に取り組み始めている。
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