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泉区 (横浜市)

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泉区(いずみく)は、横浜市を構成する18区のうちの一つである。

歴史

* 境川、阿久和川、和泉川に沿った丘陵上に縄文時代の遺跡が分布する。弥生台は開発時に弥生時代の土器が出土したことによる。
* 古墳(高塚古墳)は今のところ区内では未見である。横穴墓は上飯田町・柳明遺跡などが挙げられる。
* 律令制下の動向は明らかでない。相模国鎌倉郡であった(下飯田町本郷が高座郡涓堤郷であったとする説もあるが不明)。高座郡との境界は境川である。ゆえに広義での鎌倉であった。
* 新橋町、岡津町が鎌倉郡大島郷と推定されている。
* 平安時代半ばの人物で鎌倉党の祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」が区内に存在する。大庭御厨を根拠とする鎌倉党のテリトリーであった可能性がある。境川やその支流をたどって開発を進めていったのであろう。また対岸の渋谷氏の影響も考えられる。
* 同様に「サバ神社」(左馬、鯖などの字を充てる)がいくつかある。これは一時期鎌倉(現在の寿福寺の地)に住んでいた左馬頭源義朝(または源満仲)を祭神とする。義朝は大庭御厨に乱入して殺傷事件を起こしており、鎌倉党とは微妙な関係にあった。
* 岡津町のマンション「ルネ戸塚弥生台」付近は「玄蕃山」と呼ばれ、鎌倉幕府御家人と伝える「島田三郎」(史料にはみえず。甲斐氏か)ゆかりの「島田の塚」があった。
* 岡津は、横浜市立岡津小学校一帯に城が築かれ、少弐氏や甲斐氏が支配したといわれる。また、現在の富士スーパー付近は近世、処刑場であった。
* やがて同じ郡内に鎌倉幕府や鎌倉府がおかれ、政治の中心地となる。首都鎌倉に向かうための鎌倉街道上ノ道が通っていた。また、新田義貞による鎌倉攻めはたつ道(横浜市道環状4号)であったという。
* 飯田は鎌倉党の一族ともいわれる飯田氏の苗字の地。飯田五郎家義は石橋山の合戦で敗れた源頼朝を救ったことで知られる。その館跡は現在「富士塚城址」という碑が建つ公園近辺という。飯田氏は当地の御家人として『吾妻鏡』などに名を遺している。
* 和泉町の長福寺・須賀神社は、北条氏によって滅ぼされた泉親衡ゆかりの寺社という。ただし親衡は信濃の御家人であり、泉姓から付会した伝承と思われる。同地の和泉中央公園の湧き水が「和泉」の地名の発祥といわれている。
* 上飯田町の本興寺は、寺伝では日蓮ゆかりの地であるという。のちに鎌倉にあった不受不施派寺院が慶長の法難にともなって移転してきた(現在、再興された同名寺院が鎌倉市大町2丁目にあり)。日什門流で戦前まで顕本法華宗本山、現日蓮宗由緒寺院。
* 後北条氏の時代には、『小田原衆所領役帳』によると、区内には上飯田に平山氏、下飯田に川上氏、和泉に笠原氏、岡津に太田氏がいた。岡津には現在の横浜市立岡津小学校周辺に岡津城がおかれた。のちの中田村は岡津村の枝村と考えられる。
* 江戸幕府ができると、岡津城に陣屋がおかれ、代官に彦坂元正が任ぜられた。戸塚宿に近いために、その助郷を担わされた。
* 中田村には、後北条氏の評定衆で小田原の役に際して豊臣秀吉や徳川家康との折衝に当たった三河国出身の石巻康敬が謹慎させられ、戦後そのまま旗本として認められた。家康の関東入府のおり、家康を戸塚区柏尾町で迎えた。その橋は康敬の通称にちなみ「五太夫橋」とよばれて遺っている。また中田寺の開基でもあり、付近に墓所が残る。
* 柏尾町を発し、庶民信仰の山である大山に至る大山道が区内を横断していた。領家谷・西田谷には大山道や谷戸の田畑が遺り、中近世の景観を伝えていたが、大規模ニュータウンの開発により消滅した。大山道は今も断片的に遺されている。
* 坂東三十三箇所観音巡礼の道として、弘明寺と星谷寺(座間市)を結ぶ「ほしのや道」が、和泉町の北部を通っていた。
* 江戸期、和泉は松平氏、上飯田は佐野氏、下飯田は筧氏、新橋は安藤氏の領地となった。
* 旧大山道(長後街道)と旧岡津道が交差する踊場は、猫が踊ったという伝説の場所であるが、中世の合戦の死者の墓所とも言われている。
* 1889年4月1日 町村制施行により、神奈川県鎌倉郡中川村(阿久和村・上矢部村・秋葉村・名瀬村・岡津村)・中和田村(中田村・上飯田村・下飯田村の全域に高座郡今田村及び上和田村の各飛び地)が誕生。
* 近代に入ると、和泉の清水、横山の各製糸工場、上飯田の持田、宮崎の各製糸工場、岡津の萩原製糸工場を中心に養蚕業がさかんになる。
* 1939年4月1日 鎌倉郡中川村・中和田村は、鎌倉郡戸塚町・川上村・大正村・本郷村・豊田村・長尾村・瀬谷村とともに横浜市に編入され、戸塚区が誕生した。この戸塚区の区域は横浜市の他の部分(※)と異なり、武蔵国ではなく相模国に属する。

※港南区・南区の永野地区(上永谷町・上永谷一〜六丁目・下永谷町・下永谷一〜四丁目・東永谷一〜三丁目・日限山一〜四丁目・芹が谷一〜五丁目・野庭町の全域及び日野南五〜七丁目の各一部、南区六ツ川四丁目)は1937年10月1日までは鎌倉郡永野村であったため相模国である。また現在の金沢区朝比奈町も1897年までは鎌倉郡東鎌倉村に属していたため相模国である。

* 戦時中は旧軍関係の施設として、和泉町の横根(現:変電所)に航空灯台、戸塚区深谷町を含む和泉町に海軍通信隊、市立中田小学校一帯に海軍桑原工兵部隊、和泉町に神奈川第2抑留所(外人隔離施設)が、それぞれ設置された。
* 長後街道は、敗戦直後、マッカーサーが厚木飛行場から横浜ホテルニューグラントへ向かう際に利用した道だが、中田町中西は、そのための休息所が置かれた。
* かつての人気玩具「ダッコちゃん」の製造工場が上飯田にあった。
* 1969年瀬谷区の成立により、旧中川村の内阿久和町(旧大字阿久和の北部)が同区に編入される。
* 1976年4月8日 相鉄いずみ野線がいずみ野駅まで開通。
* 1986年11月3日 栄区とともに戸塚区から分区し、泉区が誕生。
o 区名は公募の結果に基づき、候補となった和泉区・泉区・いずみ区・弥生区・いずみ野区・富士見区・中和田区・西戸塚区・北戸塚区などの中から、泉が湧き出るように若い力を生み出し、未来に向けて発展する区であることを祈願し、清らかでさわやかなイメージがあり、簡潔で語調もよい「泉区」に決定した。本来であれば区の大部分を占める旧中和田村に因んだ新区名が相応しかったが、一部に旧中川村(岡津町・新橋町・名瀬町・池の谷・緑園一〜七丁目・領家一〜四丁目・白百合一〜三丁目・西が岡一〜三丁目・桂坂・弥生台の各町)を含むため、事前に選考からは外されていた。
* 「泉区」とは瑞祥地名に分類できるが、実際には、区中心部の和泉町の存在がバックボーンにあることは否定できない。
* 1990年4月4日 相鉄いずみ野線がいずみ中央駅まで開通。既に設置されていた区役所の最寄駅となる。
* 1999年3月10日 相鉄いずみ野線が湘南台駅(藤沢市)まで開通。最終的にはJR平塚駅まで延伸される予定である。
* 1999年8月29日 横浜市営地下鉄が湘南台駅まで全面開通。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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