神奈川区
神奈川区(かながわく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつ。横浜市で初めにできた区の一つで、9番目に大きい区である。
東海道の宿場町、「神奈川宿」から区名が取られた。県名も同源である。 日産自動車発祥の地である。
臨海部
概ね第二京浜より海側
旧東海道沿いには寺社や旧跡が多く点在し、かつての往時をしのばせる。海岸線の殆どは埋立地で、京浜工業地帯の一部であり、多数の工業施設や、横浜市中央卸売市場、横浜郵便集中局等の横浜市を支える施設が集中している。そのため、入江川は国道15号をくぐると枝分かれして運河になり、工場を縫う様に貨物線も通っている。AV機器で有名な日本ビクターの本社もこの地域にある。
大野町・金港町・栄町はヨコハマポートサイド地区として再開発が行われ、オフィスビルや高層マンションが多く建ち並ぶ地区となった。神奈川区で一番高い建物「ザ・ヨコハマ・タワーズ」(143m)もここに建っており、2006年には金港町に大型商業施設、横浜ベイクォーターが完成した。また、2007年には「ナビューレ横浜 タワーレジデンス」(150m)、「パークタワー横浜ステーションプレミア」(143m)、2008年には「パークタワー横浜ポートサイド」(120m)といった建物が建つ。
2006年現在、山内町・橋本町にも波が広がり「コットンハーバー地区」として再開発が始まっている。この山内埠頭から東神奈川駅へ至る地域は「東神奈川まち・海軸」として、横浜市の重点整備地域に指定されている。また、京急神奈川新町駅から新浦島町へ至る地域は「神奈川新町・新浦島町軸」として、道路・歩道の整備が行われる予定である。
第一京浜、第二京浜沿いにはオフィスビル・雑居ビル・商店・住宅等が立ち並んでいる。第一京浜よりさらに海側には、臨港幹線道路が整備中である。
この地域は、中区山下町〜みなとみらい〜新町と続く、横浜港を取り囲む臨海部の再開発の一部分になっている。地域の発展に備え、東海道貨物支線を旅客化する構想も上がっている。
横浜市は、横浜港の正面に位置する瑞穂埠頭 (横浜ノースドック) の返還を米軍に求めている。
内陸部
概ね第二京浜から新横浜通りまで
古くからの住宅密集地帯が多く、細く狭い道や急な山坂が多いのが特徴。東急東横線・JR横浜線・横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)沿線、幹線道路沿いに商業施設・住宅が広がる。
横浜線大口駅から京急子安駅まで続く大口通商店街は、市内で一番長い商店街である。東横線白楽駅目の前の六角橋商店街は、戦前から続く市内有数の商店街の一つで、かつては横浜市電の終点があり、買い物客で溢れた時代もあった。現在は学生街として、昭和の面影を残す商店街として、ドラマの舞台になったりと有名である。学生が多い為かラーメン屋が多く、家系ラーメンの六角家も近くにある。
1930年には横浜専門学校(現:神奈川大学)が、東横線の開通によって発展が見込まれた当地域に移転した。また、六角橋には杉山大神があり、この神社の秋の祭礼は盛大で有名である。
市営地下鉄三ツ沢下町駅から三ツ沢上町駅へ続く三ツ沢商店街は、市営地下鉄が開通する前から賑っており、現在でも近所の住民の買い物の場として現役である。
丘陵部
概ね新横浜通りより山側
第三京浜が縦断しているこの地域は、主に住宅が広がっている。元々広い耕地や里山だった所は、大きな団地や社宅となっており、今後もさらに宅地化が見込まれる地域である。旧城郷村域の神大寺・片倉・三枚町・菅田町・羽沢町には市街化調整区域内を中心に農地や農家が多く残っており、のどかな雰囲気がある。菅田町、羽沢町には、「農業専用地区」が設定されている。4.2 農業参照
昭和30年代までは神奈川大学近くまで水田が広がっており、夏にはホタルが飛び交うのどかな情景が見られたほどであった。この地域には駅がないので、最も近い横浜市営地下鉄の片倉町駅にはバスターミナルが設けられており、また、横浜駅まで直接出られるバスも多い。
羽沢町には貨物線が通っており、2015年頃に羽沢貨物駅の旅客化が予定されている。
地名の由来
「神奈川」の由来には諸説あるが、過去によく知られているものは、いずれも非科学的な民間語源説であり、地名語源としては認められない。
* 昔、神奈川宿の西の町と仲の町の間に小川があった。その川は水源が解らないので、上(かみ)がない川、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていた。いつからか、文字が脱落して「かな川」と呼ぶようになった。これは江戸期の文人が、江戸の品川を下無川、神奈川を上無川とペア地名と見たもので、いわゆる民間語源説である。言語的にも「かみなし」が「かな」となったとするのは無理がある。東海道を歩いた文人が庶民から聞いて広めた俗語源というべきもの。
* 日本武尊が東方へ赴く際、上無川で船出の用意をしていた。日本武尊が船に乗る時、倭姫命に貰った宝剣が水面に映り、金色に輝いたので、この地を金川(かながわ)と名付けた。それから長い月日が流れ、源頼朝がこの地を訪れた時、金川の風光を賞し、「金は西の方角を司ると言う。西は上にあたり、皇城の方角でもある。ここは神が大いに示す地である。」と言い、大いに示すを「奈」の字とし、金川から「神奈川」となった。これも典型的な地名伝説であり、ほとんど文字遊びの域を出ず、地名の学問的な由来としては認められない。
* 古文書には、「神奈河・神名川・上無川・狩野川・かの川・かな川」等と記されており、これらが変化して「神奈川」になったと言われている。埼玉県にある「かな川」などの例を見ても、「かな」とはある種の地形、つまり川の形状を表した語彙と考えるのが自然であろう。「かの」川のと表記もあるところから、伊豆の狩野川などと同義ではないかとの考えもある。そうすると語構成から考えて、「曲がった」川などの可能性もあるか(櫻井澄夫説)。なお大日本地名辞書の吉田東伍などは神奈川とは、滝野川のことだと考えていて、上無川であるとは考えていない。川の大きさから考えて、その地域を代表する地名が集落名になったであろうことを考慮すると、妥当な意見であろう。
浦島太郎伝説
浦島太郎の両親の墓が白幡にあったことから、浦島町、亀住町などの地名が残っており、嘗ては足洗川という川もあった。子安通には浦島太郎が足を洗ったとされる井戸がある。
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