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瀬谷区

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瀬谷区(せやく)は横浜市を構成する18区の中の一つ。1969年10月、戸塚区より分区された。地名の由来は「狭谷で、狭い川瀬の小谷がある土地」より。南北に5つの川が流れている。

歴史

先土器

* 旧石器時代の遺跡が本郷・林の両遺跡で見つかった。本郷遺跡は本郷二丁目にあり、石片等十数点出土。石碑がある。林遺跡は、下瀬谷中学校が建設されるにあたって発掘作業がおこなわれた。

縄文時代

* 区内からは50箇所を越える遺跡が見つかっている。
* 阿久和の大久保原、蟹沢、宮越等に縄文時代の遺跡がある。大久保原の遺跡は現在埋め立てられているが、住居跡や土器が発掘されている。釣手土器、石斧、石皿等が発掘されている。蟹沢遺跡は、阿久和団地造成にあたって発掘作業がおこなわれ、竪穴住居、貯蔵穴は見つかっている。宮越遺跡(阿久和西のセブン-イレブン付近)では住居跡257軒が見つかり、大規模な環状集落であることが判明している。また墓穴も見つかっている。
* 小金が分譲される時(昭和40年代)にも発掘調査がおこなわれ、茅山式土器が見つかった。小金第一公園付近や長屋門東側にある鉄塔付近からも縄文時代早期・中期の遺跡が見つかっている。

弥生時代

* 区内の9箇所から、遺跡が見つかっている。

古墳時代

* 古墳時代の遺跡は区内に25箇所記録されている。
* 八幡上古墳跡…若宮八幡宮にあったとされる。円墳。直刀と勾玉が発掘されたと言う。
* 別太羅塚古墳(べったらつかこふん)…上瀬谷通信隊の基地内にあったというが、基地が造られるさい、米軍のブルドーザーで破壊されたと言う。
* 長天寺古墳跡…長天寺の北側には古墳跡があり、装飾品等の出土品(人骨3体、直刀、金環、琥珀玉)は東京国立博物館に収められている。
* その他…南台3丁目に石塚山古墳、瀬谷中学校北側にもあったと言うが、詳細は不明。東野にも相沢川沿いに遺跡がある。

[編集] 奈良・平安時代

* 1978年(昭和53年)、瀬谷西高校の建設工事で奈良時代と思われる横穴墓が発掘され、人骨が発掘された。同時に盗掘のあとも見つかっている。正門から校舎に向かう道路の下部付近である。

鎌倉時代

* 南北を縦断する鎌倉街道(かまくら道)の上道は、当時の主要な街道の一つであり、源頼朝、日蓮、新田義貞などが通った跡が残されている。
o 源頼朝は鎌倉入りする前に諏訪社で宿泊したという言い伝えがある。
o 日蓮は晩年、鎌倉を出発し池上に向かう途中、妙光寺に立ち寄った。
o 新田義貞は、世野ヶ原(今の瀬谷)で、20万を越える勢力の陣揃えをして鎌倉攻めの準備をした。
* 阿久和は鶴岡八幡宮の荘園だったという記録が残されている。

室町・戦国時代

* 宝徳の頃、上杉定正の家臣、山田伊賀守経光(? - 文明2年(1470))が瀬谷・大和を治めていた(『新編相模国風土記稿』巻之六十四)。居住は瀬谷の中屋敷で大和の深見城を本拠にしていた。現在でも中屋敷、馬場屋敷、牢場坂等の居館祉に由来する地名が残されている。境川に架かる上瀬谷橋は、架け替えられる前は山田橋という名前であった。牢場坂では牢屋が置かれた場所とも馬事訓練がおこなわれていたともいわれている。
* 鎌倉に通じる道が縦断しているので合戦も多くあった。瀬谷原や楽老峰、中丸山(現在の瀬谷市民の森)は上杉禅秀の乱、享徳の乱の古戦場であった。瀬谷市民の森周辺では中丸山の合戦があり、北条氏康と大森氏が闘っている。この時氏康は初陣をかざっている。
* 小田原北条氏の時代、瀬谷は御馬廻衆(旗本)の久米玄蕃之助、阿久和は小机衆増田駿河守満栄の知行であった。
o 久米玄蕃の所領は、現在の埼玉県坂戸市森戸であったことが「小田原衆所領役帳」に残されており、他に相模国西郡別堀、そして瀬谷を合わせて101貫67文を領していた。
o 増田駿河守満栄は現在の川崎市高津区の一部を含め141貫を領していた。
* 甲斐武田氏が滅亡した時武田家ゆかりの者の一部が瀬谷に土着したと言われ、区内の善昌寺は支族岩崎丹後守が一族を弔うために開基したと伝えられている。ちなみに三菱の創始者岩崎弥太郎も岩崎家の流れを汲んでいるとされている。岩崎家はその後長田家支配の上瀬谷地域の名主となる。

江戸時代

* 1578年(天正6年)中原街道沿いの瀬谷(現在の北新、宗川寺あたり)に問屋場が設けられる。天正18年、石川弥治右ヱ門重久に経営が委嘱された。二ツ橋には、荷物等の受け渡しを行う継立場が設けられた。
* 徳川家康は東海道よりも中原街道を利用することが多く、「駿府記」によると天正18年の江戸入府の際にも利用している。また遺言により、駿府から日光に分骨されるときにも利用された。
o 二ツ橋で「しみじみと 清き流れの清水川 かけ渡したる 二ツ橋かな」と詠み、現在では二ツ橋に石碑が設置されている。
o 三ツ境駅北部にある楽老峰という名前は、徳川家康が訪れた際に命名したと言われている(当時は美屋古山と呼ばれていた)。家康が駿河に行く途中ここで休憩をし、住民が差し出した茶湯を飲んだという。記念碑が楽老峰南公園にある。
o 徳川家康が瀬谷を通過した際、瀬谷の絶景を「瀬谷八景」と命名した。二ツ橋の三叉路、中丸山北条氏康古戦場、上瀬谷の城山、五〆目、竹谷戸の鎌倉道、山田橋、別太郎塚の狩場、伊賀守の中屋敷。
o 宮沢村でも、家康が鷹狩りをしたという言い伝えがある。
* 瀬谷村に知行地を持つ旗本は、後藤氏、長田氏、本多氏。阿久和村は、安藤氏。宮沢村は、石川氏が治めていた。二ツ橋は天領であった。
o 二ツ橋は、天正年間に瀬谷郷にあった芝地を露木甚左衛門らによって開墾され、藤沢宿の支配下に置かれた。二ツ橋の千駄野(現区役所周辺)からは藤沢御殿に萱を納めていた。しかし年貢は年々増加し村人たちが正しい検知を実施することを要求し、享保10年検知が行われ、幕府の直轄領に移行され、日野氏、大貫氏を経て江川家が代官を務めた(二ツ橋に宿場があったのも一因)。正徳4年、日野小左ヱ門正晴は屋敷を中原街道と相鉄線が交差するところに、代官陣所を現在の二ッ上橋の交差点の辺りに置いた。文政7年にも、不作でも減免しない領主に対して、農民が代官に窮状を訴えている記録がある。江川英龍が二ツ橋に巡視に来た際には、露木源兵衛宅に宿泊したという記録がある。
o 宮沢は、石川重政が徳川家康関東入国により天正二十年に賜った土地で、重政は、戸塚区上矢部に屋敷を置き、寒川町大蔵、海老名市望地、大和市下草柳に計687石を賜っている。
o 下瀬谷は、後藤忠直の知行におかれた。忠直は、島津氏の庶流長徳軒の子で、長徳軒(島津運久の子で別名忠貞)は享禄年間薩摩を出奔後、北条氏綱に招かれ相模に居住した。忠直の子の忠正は、北条滅亡後徳川家康に見いだされ、瀬谷村旗本となった。代々御書院番を努める。二代後の久利の時、島津に改姓。1844年、江戸城で大火があり、瀬谷で植樹していた椰の木を伐採して中原街道で送り、江戸城復興に一役買ったと伝えられている。現在では南台に石碑ができ、近くに「梛の木石碑前」というバス停もある。久利三代後の久武のときまた後藤姓も戻る。宗川寺に墓地が残っている。
+  幕末の資料「視聴草」によると、後藤忠正(島津)の長女である大橋局は、徳川秀忠夫人お江与の方に使えていたが、秀忠の寵愛を一時期受けてしまい身ごもってしまったので、家康は後藤光次(庄三郎)の妾として下げ渡された。
o 上瀬谷は平良兼の流れをくむ長田氏領で、妙光寺に墓地が残されている。長田氏は、家康・秀忠の鷹匠を務めていた。瀬谷駅近くに鷹見塚が残されている。長田氏の先祖の一人長田左衛門尉親致は源義朝を討ち取っている。
o 相沢は代官采配の村であったが、本多一族の康重の家系を組む旗本の本多紀品が采地として明和4年に賜った。盗賊追捕頭に任命された時であった。紀品は鬼平犯科帳にも登場する。石高は2,000石を超え、江戸屋敷は番町(現千代田区)にあった。
o 徳川家康の関東入国にあたり、安藤治(次)右衛門が阿久和に所領をもらい受ける。初代定次は伏見の乱で戦死、二代目治(次)右衛門正次は阿久和の熊野神社から大坂の陣に出陣し、夏の陣で戦死した。三代目安藤正珍(まさよし)は、鍵屋の辻の決闘で仇討で荒木又右衛門に殺害された河合又五郎を匿ったとされている。菩提寺は泉区にある阿久和山観音寺、お墓山に安藤家の墓地がある。詳しくは、阿久和安藤氏を参照。
* 瀬谷村、阿久和村、宮沢村は中原街道や東海道戸塚宿の助郷が割り当てられていた。
* 瀬谷村はお鷹場があったため、将軍お鷹狩りのお達しがあれば、農繁期でも鷹狩り水夫に努めなければならなかった。
* 区内には、川口、守屋、平本、芝本、露木、北井、相沢、相原、籾山等の姓が多い。江戸時代は、名主・組頭・百姓代等を務めていたためである。守屋家は、相州東郡三十八か村の惣名主を務めた。
* 幕末になるとこの地域でも剣術が流行り、阿久和では北井家や相原家、下瀬谷では守屋平助が天然理心流の道場を開いていた。
* 慶応3年、京都守護職の任にあった会津藩主松平容保が京都からの帰還の際に、瀬谷村は人夫役として36人が割り当てられた。

明治時代

* 1868年(明治元年)瀬谷村・宮沢村は神奈川府に、二ツ橋村は韮山県に編入し、同年12月に神奈川県に編入した。
* 1873年(明治6年)「地租御改正反対運動」が起こり、1887年(明治20年)に東京上等裁判所で村民が勝訴する。運動を支えた川口儀右ヱ門と平本平右ヱ門を讚えた義民の碑が徳善寺に残っている。

この頃、瀬谷学舎、二つ橋学舎、若宮学舎、新道学舎、阿久和学舎(現在の小学校にあたる)ができたといわれている。

* 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行により瀬谷村、宮沢村、二ツ橋村から鎌倉郡瀬谷村が誕生する。初代村長に守屋平助、助役は露木要之助。が選出される。長天寺に役場が置かれる。
* 阿久和村は、尾勝村、上矢部村、秋葉村、名瀬村と合併して鎌倉郡中川村(中川の由来は、村の真ん中を阿久和川が流れていることから)になる。中川村役場は、岡津の向導寺から阿久和の給田(相鉄線給田トンネルのある付近)に移る。役場の建物は昭和50年頃まで残っていた。

明治期は養蚕が盛んであった。上瀬谷の野鳥館、中屋敷の石井製糸場。本郷の川口製糸場(後の本郷館)、北村の小沢製糸場。新道の守屋製糸場。下瀬谷の仙田製糸場。阿久和は北井製糸(相州改良社)、大岡家の大剛館が長屋門公園前にあった。現在では製糸場跡地の看板が立っていて、当時は江戸阿久和と呼ばれていた。区内最大の製糸工場は、1960年(昭和35年)頃まで営業していた本郷館であった。阿久和の長屋門の前でも製糸工場が営まれ、長屋門で養蚕が行われていた。必要になる水は、現在長屋門公園になっている地下に横穴が掘られそこから水を引いていた。現在では鉄の柵で囲われている。当時は桑畑が多くあった。

大正時代

* 1912年(大正元年) 国鉄程ヶ谷駅から旭区を通り、今井・又口・三ツ境を経由し二ツ橋を終点とする駅馬車が開通した。片道60銭。しかし資金が成り立たないため、廃止になったと言う。
* 1916年 瀬谷村役場が長天寺客殿より新庁舎に移転した。
* 1921年 楽老峰で武相地方陸軍特別大演習が行われた。
* 1923年 関東大震災により瀬谷村で死者1名、行方不明1名、全壊戸数53戸が被害を受ける。
* 1926年 神中鉄道が二俣川〜厚木間で営業開始。三ツ境、二ツ橋駅、瀬谷に停車場を設置。

昭和時代

* 1939年4月1日 第6次横浜市拡張計画により瀬谷村と中川村が横浜市に編入、戸塚区の一部となる。

戦時中は、上瀬谷(横須賀海軍資材集結所・第二海軍航空廠補給工場・横須賀海軍軍需部火薬庫)、本郷、(海軍施設部家屋)、南台(兵器工場=大日本兵器(現日平トヤマ)第五製作所、航空鉄砲弾を主として製造。東京府立第七中学校などから学徒が動員されたという記録がある)などが軍に強制収容され、軍用地になった。瀬谷は疎開先にもなり、横浜中心部から学童が疎開をし、1944年(昭和19年)、1945年(昭和20年)には一時的に人口が増えた。戦後、上瀬谷はそのまま米軍に接収され(上瀬谷通信施設)、南台は米軍の通信基地にされようとしていたが住民の反対運動で回避、土地は相鉄、三菱を介し横浜市に売却され市営のアパートになった。また本郷には川口航空機、瀬谷6丁目付近には皆川酸素工場など、区内各地に軍需工場があった。

* 1945年1月 瀬谷駅構内に小型機の爆弾が投下される。貨車一両が延焼。

4月3日午後10時頃 米軍の重爆撃機一機が本郷原の上空に飛来、爆弾28個を投下。その他、焼夷爆弾による家屋の焼失が相沢、二ツ橋、橋戸でもあり、中でも中村ではほとんどが灰と化したと伝わっている。

* 1957年10月20日 厚木基地(大和市)を発着したB57爆撃機が瀬谷町7830付近の山林に墜落し1名が死亡、1961年11月27日にも本郷1丁目54付近にF8Uジェット機が墜落した事故が起きている。
* 1962年5月 阿久和町の一部が三ツ境になる。
* 1969年10月1日 戸塚区から旧瀬谷村全域と阿久和町(旧阿久和村北部)が分立し、瀬谷区が誕生する。
* 1980年 瀬谷町・旭区上川井町・緑区長津田町の一部より卸本町が新設され、現在の区域となる。

横浜市における瀬谷区の位置づけ

* 1969年に瀬谷区が戸塚区より分区される際区名の応募を行ったところ、「西浜」が「瀬谷」より上回ったが、親しまれている等の理由により「瀬谷」が採用された。
* 高秀秀信市長の時代に策定された「ゆめはま2010プラン」において、瀬谷駅周辺地区は地域拠点に位置づけられ、瀬谷駅周辺の南北一体となった発展が望まれている。現状は北地区の再開発が完了したが、南地区の再開発が遅延している。また、当時は瀬谷区を横浜市の西の玄関とするという計画であった。

瀬谷区の家系ラーメン
環状4号線沿いを中心に家系ラーメンのお店が点在している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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