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戸塚区

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戸塚区(とつかく)は、横浜市を構成する18区の政令区のうちの一つである。

概要

戸塚は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた。明治になると東海道線が開通、戸塚駅が開業する。近代化に伴って日立製作所など、多くの工場が進出し、高度経済成長以降は丘陵地の造成が進み、東京・横浜のベッドタウンとなっている。横浜市の副都心として指定されている。

都市整備は市中心部に比べて大幅に遅れている。特に新興開発地である東戸塚地区と異なり、戸塚駅の西口再開発事業が商店主の反対もあって計画が遅れ、一帯の再開発が課題となっていたものの、2007年6月より本格的に事業が着手され工事も開始され、西口の仮設のビル(戸塚ウエスト)に金融機関も含めて入居している。再開発は4期に亘って行われ2009年秋に第一交通広場、2010年春に商業施設、2012年秋に第2交通広場、戸塚区役所(新庁舎)などの公益施設度の完成を予定している。これにより、戦後の闇市以来の歴史を有する「旭町通商店街」は消滅する。

歴史

* 元々の戸塚区は、現在の瀬谷区(1969年分区)、泉区(1986年分区)、栄区(1986年分区)などを含み、きわめて広大な面積であった。これは、成立当時の横浜市が旧武蔵国であったのに対し、周辺町村を吸収合併し続けていく過程で、旧相模国鎌倉郡であった町村のほぼすべての部分を戸塚区としてまとめたからである。したがって、区内に「湘南」という地名を冠する機関があるが、戸塚区、瀬谷区、泉区、栄区は、“横浜でありながら鎌倉・湘南でもある”(湘南には相模の南という含意もある)ためであって、なんら不自然ではない。
* 「戸塚」の語源は、区内にある富塚八幡宮の「富塚」(とみづか)から来ているとする説が有力である。同社は富属彦命(とつぎひこのみこと、相模国造二世の孫と伝える)を主祭神とし、社殿背後には彼を葬ったという前方後円墳があるが未発掘。区内には縄文時代以来の遺跡も多い。上矢部町の富士山古墳(円墳。径25メートル)からは多様な埴輪が出土した。
* 律令制下では、相模国鎌倉郡に属した。中世までは高座郡であったとする説もあるが、面積や境界での不自然さがあり、説得性に欠ける。境川が文字通りの郡堺と考えられる。
* 吉田町一帯は、中世の豪族山内首藤氏が治めた吉田荘の一部である。
* 平安後期から鎌倉期には鎌倉党の一族がいたもようである。始祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」などが区内近隣に遺っている。
* 中世は、狭義での鎌倉ではなかったが、同じ郡内に鎌倉幕府や鎌倉府が置かれたため、政治動向に巻き込まれることも多かったはずである。「いざ鎌倉」という時に用いられた鎌倉街道(上道・中道)が通っていた。
* 汲沢に「源氏山」、「六郎丸」という地名が残っており、畠山重保(畠山重忠の子)の居館跡と伝承されている。
* 汲沢の宝寿院は土地の旧家・森家の建立であるが同家は森蘭丸の末裔とされている。
* 区内の俣野は、鎌倉党の大庭氏一族俣野氏の本貫(苗字)の地である。俣野景久(俣野五郎景久)(伝説上はじめて河津掛けをされた人物)が反源氏のため越後で戦死した後も、末裔がいたようである。また同地一帯には、小栗判官・照手姫伝説が残る。
* 東俣野一帯には横山大膳(横山党か?)が住していた。
* 江戸時代になると、五街道が整備され、程ヶ谷宿と藤沢宿(戸塚への宿場設置に反対していた)の間の宿駅として、両者より3年遅れた慶長9年(1604年)に矢部、吉田、戸塚を範囲とする戸塚宿が成立、幕末には東海道五十三次中、旅籠の数では小田原宿に次ぐ規模となった。のちに本陣となる沢辺家が、妹が岡津陣屋の代官彦坂元正の妾となっていた人脈を活かして幕府の裁許を得たようである。現在でも駐車場やコンビニエンスストアを経営している。なお、当家に設けられた寺子屋が富塚学舎となり、横浜市立戸塚小学校となった。もう一つの本陣内田家は、現在でも旧地のそばでスポーツ店を営む。
* 旧東海道は、ほぼ現在の国道1号と重なるが、保土ケ谷区の権太坂から品濃町までの間、秋葉町の秋葉立体、舞岡町の舞岡入口の3箇所において、旧道が今も独自に残っている。
* 原宿、鉄砲宿は、東海道の間宿である。
* 区内戸塚町にある浄土宗清源院は、徳川家康の妻妾お万の方の創建にかかり、のちに荼毘所となる。
* 品濃町、川上町は、幕末、日米修好通商条約批准書交換使節として渡米した幕臣、新見正興の領地であり、一族の墓所も現存している。
* 柏尾から庶民信仰の山である大山に向けて大山道が発していた。
* 1874年(明治7年)、当時の鎌倉郡川上村柏尾の地で、高座郡産の豚肉を使用した国産のハムがはじめて製造される。現在は名古屋に本社を持つ鎌倉ハムの社名はここに由来する。
* 1878年(明治11年)、当時の鎌倉郡役所が戸塚町に設置された。この鎌倉郡には現在の鎌倉市も含まれており、旧戸塚区(戸塚区・瀬谷区・泉区・栄区)は相模であり鎌倉であった事実の一つであるが、現在その事を遡って知る住民は少ない。
* 1887年(明治20年)、東海道線戸塚駅が開業。現在の東戸塚駅北側に位置するトンネル(清水谷戸トンネル)は、東京〜小田原間では唯一のトンネルで、武相国境を貫いている。後に横須賀線開通のため東海道線は通過となるが、再び東海道線が停車するようになったのは、東戸塚駅が設置された1980年である。
* 1939年(昭和14年)4月、戸塚町をはじめとした神奈川県鎌倉郡下の1町7村が横浜市に合併され、横浜市戸塚区となる。横浜市立戸塚高等学校は、町立時代の実科高等女学校の系譜を引く。吉田町の日立製作所は1933年完成の旧戸塚競馬場跡地(現・川崎競馬場)で、その後1942年に汲沢町に移転した戸塚競馬場跡地に現在の汲沢団地バス停がある。バス停周囲が広いのはこの為である。
* 1944年(昭和19年)、原宿町の一帯に海軍軍医学校戸塚分校が設置された。この分校は戦後に「聖母の園」という施設となったが、1955年に日本の火災史上に残る大惨事となった聖母の園養老院火災が発生している。なお現在の横浜医療センターは戦時中、海軍病院であった。
* 箱根駅伝は、横浜新道開通以前は旧東海道がルートであったため、走者はしばしば戸塚駅横の大踏切で立往生した。
* 1961年、秋葉町の無人踏切で湘南電車・ダンプ・横須賀線の多重衝突事故(死者4名)が発生したため、以降立体化された。
* 1980年、品濃町に東戸塚駅が開業。乗換のため戸塚駅の東海道線停車が復活した。
* 下倉田町花立は、かつて火葬場であり、また鳥が丘は鳥葬の場で現在は葬祭場があり、また付近一帯は、マスコミも取り上げたほどの市内屈指のミステリースポットといわれる。
* 日本人初のNBA選手・田臥勇太は、コーチを慕い、金沢区から区内の市立矢部小学校ミニバスケットボールの練習に参加していた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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