中央区 (東京都)
概要
東京の都心を形成する区(都心3区)のひとつである。区内には、銀座、日本橋、築地といった街がある。面積は10.15km²で、23区の中では台東区に次いで2番目に小さい。2006年現在の人口は9万人で、千代田区に次いで少ないが、大商業地域を複数抱えるため、昼間人口は65万人に膨れ上がる。中央区は商業地域としての特徴が強く、建物はビルやマンションが大半を占め、一戸建住宅やアパートは極めて少ない。道路は碁盤目状で、他区と比べると比較的よく整備されている。
地理
区域の西側は江戸時代には日本橋や京橋など下町として栄えた地域であり、東側は同時代からの埋め立てによって出来た地域である。現在、中央区は行政上、日本橋、京橋(銀座・築地などを含む)及び月島の3地域に区分されている。
中央区は終戦直後まで運河と水運の町であった。区内には京橋川・桜川・築地川・汐留川・三十間堀川・箱崎川・浜町川・竜閑川などが縦横無尽に張り巡らされていた。これらの河川は戦後の残土処理や高速道路建設のため埋め立てられ、現在では往時の姿を殆ど残していないが、町や区界はこの河川に沿っていることが多い。
区の北端との区界は竜閑川跡、西端は外堀跡および日本橋川、南端は汐留川跡である。区の東端には江東区との境に隅田川が流れる。隅田川は下流で二股に分かれ(西側が本流、東側は「派流晴海運河」)、その中州には佃や月島、勝どき、豊海町、晴海がある。区の南東部は東京湾に面している。
歴史
近世での江戸郷内前嶋の位置にあたる。
江戸時代の江戸町に相当。寛政の改革では雇用政策として石川島(現在の大川端)に人足寄場が設置された。
1869年築地鉄砲洲(今日の明石町付近)に外国人居留地設置(〜1899年)。
1878年11月2日施行の郡区町村編制法に基づく東京15区のうち、日本橋区(日本橋、人形町、兜町など)と京橋区(京橋、銀座、埋立地の勝どき、月島、晴海など)が現在の中央区に相当する。1947年3月15日、両区を併せて現在の中央区となる。
1947年5月3日、地方自治法施行により、中央区は特別区となる。
地名の由来
東京都特別区(旧東京市)のほぼ中央に位置することから。
逸話
現在の中央区の町名で旧日本橋区の区域にある街は「日本橋○○町」と称している。これは戦後、旧日本橋区と旧京橋区が合併する際に「日本橋」の町名が消えることを避けるために、旧日本橋区の町名に日本橋を冠したことによる。
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