さいたま市

さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南東部に位置する市で、同県の県庁所在地である。政令指定都市。

概要

2001年5月の浦和、大宮、与野の3市の合併により成立した。政令指定都市及び業務核都市に指定されている。2005年4月には岩槻市を編入し、岩槻区が誕生した。

日本で10番目に多くの人口を抱える都市であり(東京特別区を1都市として数えた場合)、新幹線をはじめ周辺各地の広域鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。

地区

さいたま市は浦和市、大宮市といった人口規模のほぼ同じ市をはじめとする複数の市が対等の地位で合併したという側面が強い。さらに成立してまだ日が浅いことから、市の歴史は旧4市それぞれについて個別に記述されることが多い。

* 近世の浦和は中山道の宿場町(浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生・拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門(緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。
* 旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来裁判所、県警察など行政機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。また「鎌倉文士に浦和画家」という言葉からも分かるように、旧浦和市は瑛九や高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあっり、同時にサッカーの盛んな地としても知られる。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館が設置されているた現在でも旧浦和市地域の市民の教育レベルが高いと言われ、「文教都市」ともいわれている。
* 旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に貨物操車場が設置されるなど「鉄道の街」と呼ばれるようになった。戦後、多くの大企業が埼玉県内の営業拠点として大宮を選んだために商業、業務機能が集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地であるため大宮には埼玉県内全域はもとより栃木県、群馬県、東京都からも多くの買い物客が訪れる。また東北・上越新幹線が開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・仙台・新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地はさいたま新都心となった。
* 旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店が多く建てられたため、「自動車の街」と呼ばれていた。
* 旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形の街」として全国的に知られる。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、ほぼ同じルートだと言われる武州鉄道のときに果たせなかった、東京都心への直通列車の完成が待たれている。
o なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。

名称問題

浦和市、大宮市、与野市の三市が合併する時に、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。

市名公募の結果では、『さいたま市』という名称は2位であり、1位は漢字の『埼玉市』であった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位、『浦和市』が6位、『与野市』は100位以内に入らなかった。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。しかしその後の議論では『さいたま市』を推す浦和市・与野市に対し、大宮市がこの5案になかった『大宮市』(公募3位)を主張した。最終的に大宮市は新市の事務所(市役所)の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた。

『埼玉』の地名は、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。この事から、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属する本地域にできた市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また、行田市から、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるからという理由で新しい名称に『埼玉』『さいたま』を使わないで欲しいという要望も出たが、これはすでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後であり、考慮されなかった(なお、さいたま市発足後に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属する)。

単に市名をひらがなにする事に対しては、同時期に合併が行われた『東かがわ市』『さぬき市』(いずれも香川県)などと共に批判も多い。だが、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。

このほか、区名についても批判がある。

さいたま市に関わる作品

赤き血のイレブン
サッカー漫画。浦和南高校が舞台。
エースをねらえ!
テニス漫画。原作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデルとされる。(作中では「神奈川県立西高校」。横浜市が舞台となっている)
おおきく振りかぶって
野球漫画。原作者のひぐちアサの出身校である浦和西高校が舞台のモデルとされる。(作中では「西浦高校」)
行け!稲中卓球部
ギャグ漫画。原作者の古谷実の出身地である旧浦和市及び校舎のみだが出身中学校がモデル。(作中では「稲豊市」)
キャプテン翼
サッカー漫画。旧浦和市がモデルであるが、大宮公園サッカー場・浦和駒場スタジアムが実名で登場している。(作中では「明和市」)
Jドリーム
サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
灼眼のシャナ
ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺が舞台のモデルとなっている。(作中では「御市」)
タナカヒロシのすべて
主人公がさいたま市に住んでいる。
レンアイ至上主義
大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、さいたま市大宮武道館が登場する。

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西区 (さいたま市)

西区(にしく)は、さいたま市を構成する10区の1つである。区名の由来は、同市西部(旧大宮市西部)をその区域とすることからきている。

歴史

* 1889年 町村制施行、指扇村・馬宮村・植水村・日進村(宮前町)・三橋村(三橋5・6丁目)
* 1940年 日進村・三橋村が大宮町・大砂土村・宮原村と合併し、大宮市発足
* 1955年 指扇村・馬宮村・植水村が大宮市と合併
* 2001年 大宮市が浦和市・与野市と合併し、さいたま市発足
* 2003年 政令指定都市移行に伴い、西区誕生

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北区 (さいたま市)

北区(きたく)は、さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

区名はさいたま市北部(旧大宮市北部)に位置する事に由来する。区域は大宮台地上にあり、西限には鴨川が流れ、他に芝川や見沼代用水などが流れる。江戸時代には中山道が大宮宿から上尾宿に至る途上に位置し、現代でも各鉄道が大宮駅より伸びている。

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大宮区

大宮区(おおみやく、英語:Ōmiya-ku、Ōmiya ward)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

旧大宮市の中心部にあたり、古くは中山道の宿場、大宮宿が置かれた宿場町、また氷川神社の門前町、近年では埼玉県下有数の商業都市として栄えた地域である。

大宮駅付近にはJR東日本の大宮総合車両センターやJR貨物の車両工場があり「鉄道の街」としても知られており、東京・神田の旧交通博物館が大成町に移転して新たに鉄道博物館として開館した。

地理・概況

ほとんどの区域が大宮台地上にあり、平坦で山岳・丘陵はない。 大宮駅を中心として店舗・事業所・住宅が立ち並び農地はほとんど見られないが天沼町の一部に見沼田んぼがあったり、三橋の鴨川沿いに田畑が見られるなど区の外れでは若干見られる。

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見沼区

見沼区(みぬまく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。同市の北東部に位置する。旧大宮市東部にあたる。

沿革

区名の由来は、この見沼区と隣接する緑区および北区にかけて存在した見沼(1728年干拓され消滅)である。現在では跡地は見沼田圃と呼ばれ、豊かな緑地が残る地として保護の対象になっている。

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中央区 (さいたま市)

中央区(ちゅうおうく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。

沿革

旧与野市全域と旧大宮市および旧浦和市の一部(さいたま新都心のうち東北本線線路より西側の地域)にあたる。位置的に市の中央部であることから名づけられたもので、街の中心部というわけではない。

区役所は、旧与野市役所の場所に置かれている。

歴史

* 1889年4月1日 - 北足立郡与野町、小村田村、下落合村、上落合村、中里村、大戸村、鈴谷村、上峰村、八王子村、円阿弥村が合併して与野町となる。
* 1958年7月15日 - 市制施行により与野市となる。
* 2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市となる。
* 2003年4月1日 - 政令指定都市移行に伴い、旧与野市とさいたま新都心のうち東北本線線路より西側の地域を区域とする中央区が設置される。

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桜区

桜区(さくらく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。

歴史

* 区名は、荒川河川敷の秋ヶ瀬地区(田島ヶ原)に日本でも最大級のサクラソウ自生地がある事に由来するものであり、歴史上の地名に基づくものではない。また、桜とサクラソウはまったく別の植物である。
* 低地の広がる現区域では、自然堤防などの微高地が集落、後背湿地が水田として利用されてきた。このため弥生時代以降、様々な時代の集落や律令体制下の条里制の遺構が各地に見られる。また、5世紀後半から7世紀にかけて、白鍬地区(大久保古墳群を参照)や西堀地区など各所に古墳が造られた。
* 律令体制下において足立郡は七つの郷からなっていたといわれている。このうち「大里郷」「殖田郷」などが現桜区周辺にあったと比定する説もあるが、定かではない。また南北朝時代以降、大窪郷という集落があったとされ、現在の「大久保地区」の地名の興りとなったとされる。
* 鎌倉時代、大久保地区を鎌倉街道が通じており、2005年現在も県道215号線等として残っている。またこの街道が入間川(現:荒川)を渡る地点が羽根倉であり、こちらも「羽根倉橋」(国道463号の荒川架橋)等に名を残している。
* 1350年(観応元年)、観応の擾乱に応じ羽根倉の戦いが起こり、足利尊氏方の高麗経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破る。
* 1920年(大正9年)、田島ヶ原のサクラソウ自生地が天然記念物に指定される。
* 第二次世界大戦後、東京の郊外化に伴い人口が急増を始め、この地区の浦和市への合併の一因となる。
* 1964年(昭和39年)7月から1969年(昭和44年)12月にかけて、埼玉大学が浦和市内常盤地区(現:浦和区)より大久保地区へ移転する。
* 1973年(昭和48年)4月1日、国鉄武蔵野線が開通。西浦和駅が開設される。
* 1985年(昭和60年)9月30日、国鉄埼京線が開通。中浦和駅が開設される。

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浦和区

浦和区(うらわく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

浦和区はさいたま市の中央よりやや南に位置し、旧浦和市の中心部にあたる。江戸時代には江戸日本橋から草津で東海道に合流する中山道の浦和宿で、宿場町として栄える。近代に入ると埼玉県の県庁所在地となり、1923年の関東大震災が起ると、復興の過程で首都圏への利便性が注目され都市として発展する。2001年(平成13年)にさいたま市が誕生、03年に政令指定都市に移行し、市を構成する9区が誕生し、現在ではさいたま市の行政機関が集まる行政の中心となっている。

歴史

* 1889年 町村制施行、浦和町発足。
* 1934年 旧浦和市が市政施行。
* 2001年 浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市が誕生。
* 2003年 政令指定都市移行に伴い、浦和区誕生。

名物

鰻の蒲焼が古くから名物で老舗が多い。旧浦和市はウナギ消費量が日本一といわれていた。そして鰻の蒲焼の発祥の地。

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南区 (さいたま市)

南区(みなみく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

区名の由来は、同市南部をその区域とすることから。旧浦和市の南部にあたり、これは1932年以前の自治体では六辻村(1938年町制施行、六辻町)の大部分(神明の北部を除く)、谷田村の北部(太田窪の北部・原山)を除く地域、土合村の南東部(関・鹿手袋)、および美谷本村(1943年笹目村と合併、美笹村)の北部(内谷・曲本・松本・堤外の一部)にほぼ相当する。

* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して北足立郡辻・白幡・根岸・別所・文蔵・沼影の6村が合併し六辻村が、同郡大谷場・太田窪・大谷口・広ヶ谷戸・円正寺と原山新田の5箇村1新田が合併し谷田村が、同郡南元宿・西堀・関・鹿手袋・田嶋(田島)・新開・道場・町谷・栄和・中嶋(中島)・山窪(山久保)の11箇村が合併し土合村が、内谷・曲本・美女木・松本新田の3箇村1新田が合併し美谷本村がそれぞれ成立。
* 1932年(昭和7年)4月1日 - 谷田村が同郡木崎村(大字北袋を除く)と共に浦和町に編入され、それぞれ同町の谷田地区、木崎地区となる。
* 1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制を施行し、浦和市となる。この頃より浦和市と六辻村の合併交渉が始まる。
* 1938年(昭和13年)7月1日 - 六辻村は浦和市と合併することなく単独で町制施行、六辻町となる。
* 1942年(昭和17年)4月1日 - 六辻町が浦和市に編入され、同市の六辻地区となる。戦局の悪化に伴う経済統制上の事情が合併の機運を一挙に高めたとされる。
* 1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村・笹目村が合併し美笹村成立。当時国内各地で「戦時合併」と呼ばれる市町村合併が頻繁に行われていた。
* 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村が同郡大久保村と共に浦和市に編入され、それぞれ同市の土合地区、大久保地区となる。
* 1957年(昭和32年)7月1日 - 美笹村が戸田町に編入される。
* 1959年(昭和34年)4月1日 - 旧美笹村のうち旧美谷本村北部にあたる内谷・曲本・松本と堤外の一部が住民の強い運動の後に浦和市に編入され、同市の西浦和地区となる。これにより現在の南区の範囲全域が浦和市に含まれることとなった。
* 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市と与野市・大宮市との合併によりさいたま市が成立。
* 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行。旧浦和市のうち六辻地区のうち神明の北部を除く地域、谷田地区のうち太田窪の北部・原山を除く地域、土合地区のうち関・鹿手袋、および西浦和地区の地域をもって南区が誕生。

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緑区 (さいたま市)

緑区(みどりく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちのひとつである。

地理

緑区はさいたま市の南東部の端に位置し、かつての美園村の一部、旧浦和市東部にあたる。中央部に広がる見沼田圃を中心に緑地が広がり、芝川や綾瀬川、見沼代用水などが流れ、綾瀬川は区の東限に当たる。見沼田圃は江戸時代に新田開発及び水害対策を目的として見沼溜井を干拓し、形成される。南部には武蔵野線が通り、東部には南北に東北自動車道(国道122号)が通り、かつての武州鉄道が走っていた。衆議院小選挙区のブロックは埼玉第一区。

歴史

* 1889年 谷田村・尾間木村・三室村・野田村・大門村誕生。その後順次旧浦和市に合併。
* 2001年 旧浦和市、与野市、大宮市が合併してさいたま市が誕生。
* 2003年 政令指定都市になり、さいたま市を構成する9区が誕生する。緑区誕生。

現在の大門地区は日光御成街道の宿場大門宿として知られる。

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岩槻区

岩槻区(いわつきく) は、さいたま市を構成する10区のうちの1つであり、10区のうちで最も新しい区である。2005年4月1日、旧岩槻市がさいたま市に編入され、その市域が岩槻区になった。

歴史

* 1457年、太田道灌によって岩付城(岩槻城)が築城される。戦国時代には道灌の曾孫・太田資正は名将として名を轟かせた。
* 江戸時代、大岡家岩槻藩2万2千石の城下町として、また日光御成街道の宿場町として栄えた。なお、岩槻城長屋門などが遺構として移築現存している。
* 1871年(明治4年)旧暦7月14日 - 廃藩置県に伴い、埼玉県が成立。県庁は岩槻町におかれることとなったため、県名は岩槻町の所属郡である埼玉郡から名づけられた。しかし県庁は、暫定的という形で浦和町の旧浦和県庁に置かれた。
* 1876年(明治9年)12月1日 - 実際の県庁が岩槻町におかれることのないまま、実質的に浦和町が県庁所在地となる。
* 1879年(明治12年) - 前年に成立した南埼玉郡の郡庁が岩槻町におかれる。
* 1890年(明治23年)9月25日 - 勅令により、県庁が岩槻町に移転しないまま、正式に浦和町が県庁所在地となる。
* 1954年(昭和29年)5月3日 - 南埼玉郡岩槻町、新和村、和土村、川通村、柏崎村、河合村、慈恩寺村の1町6村が合併し、新たに岩槻町となる。
* 1954年(昭和29年)7月1日 - 岩槻町が市制施行し岩槻市となる。
* 2002年(平成14年) - 公職選挙法の改正で、岩槻市の所属する衆議院小選挙区が埼玉13区から埼玉1区となる。後に、さいたま市へ編入合併へ至る要因の一つとなる。
* 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、合併に関する住民投票を行う、その結果は、「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市,宮代町,杉戸町,庄和町との合併(8.5%)」となり、2月5日に岩槻市はさいたま市に対し合併協議を申入れる。
* 2004年(平成16年)7月1日 - 市制施行50周年を迎える。
* 2004年(平成16年)8月24日 - さいたま市との合併協定の調印式が行われる。
* 2005年(平成17年)4月1日 - さいたま市に編入され、さいたま市岩槻区となる。

名産品

現在では、東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積。「人形の街」として全国的に知られる。岩槻の名物としては特に雛人形、兜などの人形が有名である。これは日光東照宮造営に関わった職人がその後岩槻にとどまり、江戸初期に始めたものと言われている。現在も岩槻駅周辺や人形町通り、市宿通りなどに人形店が軒を連ねる。県内の人形製造が盛んな地域としては他に鴻巣市・越谷市・所沢市がある。

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川越市

川越市(かわごえし)は、関東地方の南部、埼玉県の南西部に位置する人口約34万人の市。旧入間郡。中核市と業務核都市に指定されている。

概要

江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れた為、歴史的な街並や寺院などが多く残っており、市内の観光名所には年間約550万人もの観光客が訪れている。

埼玉県では第一の城下町ともあって、廃藩置県の時期には、入間県の県庁所在地であった。又、埼玉りそな銀行の前身の一つである八十五銀行の発祥地でもある。

東武東上線・JR川越駅及び、西武新宿線本川越駅を合わせた乗降客数は26万人を超える。川越駅周辺は、埼玉県内では大宮駅周辺に次ぐ第二の繁華街として賑わっている。埼玉県西部を代表する都市である。

新宿・池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることはかなり多い。新宿からは西武新宿線の本川越行きと埼京線の川越行きがあり、また池袋では同様に埼京線の川越行き・東武東上線の川越市行き・西武池袋線でも所沢で乗り換えて本川越行きがあり更には駅付近に川越街道も通じる。

* 川:荒川、入間川、新河岸川、小畔川、不老川
* 沼:伊佐沼

都市名の由来

市街地を川が囲む形となっており、川を越えないとたどり着けないことから「河越(川越)」と称されたと言われている。しかしながら古文書等にも伝説として記載されており、はっきりした由来は不明である。

歴史

古代から平安時代まで

* 武蔵野台地の北東端に位置する川越は、西北部に入間川が流れており、住環境に適していた。
* 奈良時代には、大陸の文化が伝わり、質の高い土器の生産や鉄器が使用され、農業の生産性が向上。やがて川越にも階層が生まれ、古墳が築かれるようになった。
* 平安時代になると、荘園が形作られ河越、仙波、古尾谷などの荘園を武蔵武士が支配する時代へと移っていった。

戦国時代まで

* 中世には河越と表記され、鎌倉幕府の有力御家人である河越氏の本拠地であった。長禄元年(1457年)には上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子によって川越城が築城される。
* 戦国時代には、後北条氏の武蔵国支配の拠点として栄える。

江戸時代

* 江戸時代には、江戸の北の守りとして重視された。川越藩の歴代藩主には、松平信綱や柳沢吉保などの江戸幕府の重鎮や、親藩が就任した。
* 城下町たる川越は、江戸とは川越街道や新河岸川の舟運(貨物輸送)で結ばれた衛星都市として発展し、「小江戸」と呼ばれた。天海僧正や春日局などにも所縁がある。

明治から第二次大戦まで

明治に入ると、城下町の伝統と地理的な条件により、埼玉県最大の商業都市となり、穀物の中継地や織物、箪笥の生産地として発展した。

* 1871年(明治4年)8月29日 - 廃藩置県により、入間県の県庁所在地となった。
* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、川越城下17町・松郷・東明寺村・小久保村・脇田村・小仙波村・野田村が合併し、川越町が発足する。

面積7.46km²

* 1893年(明治26年)3月の大火で市街地が全焼。その経験を元に耐火建築である「蔵造り」の建物が多く建てられ、現在にまで残る趣のある街並みを形成した。
* 明治・大正時代を通じて商業都市として繁栄。県内唯一の国立銀行八十五銀行(後の埼玉銀行、現在の埼玉りそな銀行)は川越に設立された。
* 1922年(大正11年)12月1日 - 入間郡仙波村を編入し、市制施行(埼玉県下では初めて)、川越市となる。

人口30,359人、世帯数5,414世帯、面積12.36km²

* 1939年(昭和14年)12月1日 - 入間郡田面沢村を編入。

人口37,578人、面積16.68km²

* 1945年(昭和20年)川越空襲。6月、連雀町に爆弾2発が投下され、1人死亡。7月、川越駅が艦載機の機銃掃射を受け数名が死傷。

第二次大戦後

* 1955年(昭和30年)4月1日 - 入間郡芳野村・古谷村・南古谷村・高階村・福原村・大東村・霞ヶ関村・名細村・山田村を編入。

人口104,854人、世帯数19,799世帯、面積110.28km²

* 1957年(昭和32年) - 川越市民の歌「われらの川越」制定。
* 高度成長期には東京のベッドタウンとして発展。
* 1994年(平成6年)5月1日 - 狭山市・日高市と境界変更。現在の市域となる。
* 2003年(平成15年)4月1日 - 埼玉県内で初の中核市に指定される。

農業

江戸時代には、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(十三里半とも)」と謳われた程のサツマイモの名産地であったが、次第に効率の悪いサツマイモから葉物野菜などへの作物転換が行われるようになっていった。しかし、近年では幼稚園や小学校の「藷掘り遠足」が流行ったため、サツマイモを植える農家は今尚残っている。

現在では、南部台地上に位置する福原・大東地区を中心に葉物野菜が、北や西の川沿い低湿地に位置する芳野・山田・名細・田面沢を中心に稲作が行われている。近郊農業地域であり、野菜と米の出荷量も非常に多く、農業産出額は県内第三位(2002年時点)。

川越を舞台にした作品

* ウォーターボーイズ(テレビドラマ、映画)

県立川越高校の水泳部が行う男子シンクロチームが、モデルになっている。
ウォーターボーイズのプロデューサーは川越出身。

* 監察医・室生亜季子(火曜サスペンス劇場)

川越市を舞台に繰り広げられるサスペンスドラマ。
出演:浜木綿子、大場順、左とん平、清水ミチコほか。

*  鉄塔 武蔵野線 (小説・映画)

* 漫画
o 哲弘「不良愛煙家集団ヤニーズ」(作中表記は山越)
o みやたけし「ミルク捜査日記」
* 音楽

スネオヘアー「Over The River」
シングル「Over The River」及び1stアルバム「スネスタイル」に収録。
川越で学生時代を過ごした思い出と、現在の自分を照らし合わせて唄った曲である。

* 小説

大地の園(打木村治 作)

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熊谷市

熊谷市(くまがやし)は埼玉県北部にある人口約20万5千人の市。

概要

埼玉県北部地区を代表する都市であり、業務核都市に指定されている。江戸時代には中山道の宿場・熊谷宿が置かれ、宿場町として栄えた。現在でも市内には国道17号をはじめとする4本の国道(および各線の計6つのバイパス)、9本の主要地方道、上越新幹線をはじめとする3本(JR上越新幹線・JR高崎線・秩父鉄道秩父本線)の鉄道路線が通過しており、交通の要衝としての役割を果たしている。また人口は県内第9位であるが、農業産出額県内第2位、商品販売額県内第3位、製造品出荷額県内第4位であり、埼玉県北部における経済上の一大拠点をなしている。

2005年10月1日に熊谷市と大里郡妻沼町、同郡大里町が合併(新設合併)し、新たに「熊谷市」が設置された。また、2007年2月13日には大里郡江南町を編入し、埼玉県北部では初の20万人都市となった。これによって特例市の指定要件を満たすことになり、市としては2009年4月1日に特例市の指定を目指す予定である。

2007年8月16日14時42分(JST)には日本国内の最高気温となる40.9℃を観測している(岐阜県多治見市においても同日に同気温を記録)。気候については後述。

歴史

古代の武蔵国大里郡郡家郷(「ぐうけきょう」、久下・佐谷田付近) 、楊井郷(「やぎいきょう」、 御正・吉岡・大麻生付近)の地である。

平安時代、親王任国制度により桓武平氏高望王の子である村岡五郎(平良文)がこの地(武蔵国村岡)に下向、地元豪族と通じて土着し坂東平氏に代表される関東の平氏(三浦氏、千葉氏、秩父氏、鎌倉氏、大掾氏、中村氏、梶原氏、長尾氏、眞田氏、土肥氏、土屋氏、梶原氏、長江氏、大庭氏、村岡氏、俣野氏、畠山氏、河越氏、江戸氏、豊島氏、葛西氏、稲毛氏、渋谷氏など)の祖となったという説がある(ただし諸説あり)。

中世には熊谷氏を始め、久下氏や奈良氏など多くの武士団が興った。とくに源平合戦時の熊谷次郎直実が有名であり、熊谷氏の名称も地名の熊谷が由来となっている。後に地名の読みは「くまがい」ではなく、「くまがや」と改称した。

江戸時代のこの辺りの地域は忍藩領や幕府領、旗本領が複雑に入り組んでいた。また、中山道の宿場、熊谷宿が置かれた。

明治に入り、廃藩置県が行われる中で入間県と群馬県の合併により成立した熊谷県の県庁所在地となり、地域の中心都市として発展した。明治以降の熊谷周辺の主要地主、指定の任職家は東部(佐谷田、成田)の野原家、馬場家、西部(三尻・籠原)の小林家、津久井家、南部(吉岡)の黒田家、北部(奈良、中条)の石坂家、山下家、現南河原地区の束田家等が挙げられる。以後、これらの名家からは国会議員や市長、地域の要職者、文化人、教育者が輩出されている。例えば石坂養平や黒田海之助も含まれる。

名所

* 荒川の熊谷桜堤(日本さくら名所100選のひとつ)
* 星渓園
* 熊谷寺(ゆうこくじ)
* あじさい寺(能満山能護寺)
* 妻沼聖天山 歓喜院
* 重要文化財平山家住宅
* 埼玉県指定史跡の古墳群

名物・特産

* 五家宝(菓子。埼玉三大銘菓の一つと評される)
* ミニくま(ミニ野菜、JAくまがやによって商標登録済み)
* 雪くま(地元の水を凍らせた氷を使って地元で作ったかき氷。特定の条件をクリアしたオリジナルかき氷を作り上げると、市から認定される。2007年現在16店舗)
* いなり寿司(妻沼地区。聖天寿司)
* フライ(隣の行田市が中心で熊谷市内にも取扱店舗がある→行田のフライ)
* 地酒(直実など)
* 炭酸まんじゅう(大里地区)
* 熊谷染(近年では、衰退の傾向にあり、今後が心配される)
* 小麦(米との二毛作で作っていることが多い。五家宝の材料でもある。近年、市では小麦を使った「熊谷うどん」を広めようとしている)
* ネギ(隣の深谷市における深谷ねぎが有名であるが、当市内の妻沼地区を中心にたくさんの量が作られており「めぬまねぎ」などと称している)
* ニンジン(県内第1位)

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川口市

川口市(かわぐちし)は、埼玉県南東部の荒川北岸にある人口約49万人の市。さいたま市に次いで県内で2番目の人口を擁する。特例市。

概要

荒川を隔てて東京都と接することもあり、東京に通勤、通学するいわゆる埼玉都民が多い。

江戸時代には日光御成街道の宿場町として栄え、鋳物の製造でその名を知られるようになり、当時・若手女優の吉永小百合をヒットさせた映画『キューポラのある街』(1962年公開)の舞台となった。幕末の動乱期には勝海舟の指示により川口の鋳物で大砲が製造されている。しかし近年は鋳物工場も急激に減少し、今ではほとんどその姿は見られない。そして入れ替わるように1990年代からマンションが相次いで建てられ、街の風景も一変してきている。

鳩ヶ谷市、蕨市との合併構想(武南市)があったが、事前に行った市名公募のアンケート結果で、新市の名称が「川口市」が1位であったにも関わらず合併協議会で「武南市」が可決されたことに対し、民意が反映されていない、とした川口市が離脱を表明、これにより解散された。鳩ヶ谷市が合併協議会解散後に行った「合併に関する全世帯意向調査」で、「川口市との合併」が過半数に達し、編入合併についても3割以上の賛成があり、川口市に改めて合併協議を申し入れたが、川口市は時期尚早であるとした。

1995年に当時の浦和市(現・さいたま市)にその座を譲るまで、県内最多の人口を擁していた。 また2006年10月26日には、住民基本台帳と外国人登録に基づく登録人口が50万人に達している。

年表

* 1873年6月1日 川口で1番古い川口小学校(現本町小学校)が開校
* 1905年 製品の品質向上を期し、川口鋳物業組合が結成
* 1910年9月10日 川口駅開業(開業時は川口町駅)
* 1923年8月 荒川放水路が10年余の事業期間を経て完成
* 1932年9月1日 東北本線の電車線(現在の京浜東北線)、赤羽〜大宮間開通
* 1938年 武州鉄道が経営難を理由に廃止される。
* 1954年9月1日 西川口駅開業
* 1973年4月1日 武蔵野線開通。東川口駅開業
* 2001年3月28日 埼玉高速鉄道開通。川口元郷駅、新井宿駅、戸塚安行駅、東川口駅開業

沿革

* 1933年4月1日 北足立郡川口町・青木村・横曽根村・南平柳村が合併し、川口市となる。
* 1940年4月1日 鳩ヶ谷町・新郷村・神根村・芝村が川口市に編入される。
* 1950年11月1日 旧鳩ヶ谷町の区域が川口市から分離し、新たに鳩ヶ谷町が設置される。そのため旧新郷村地域が飛び地になる。
* 1956年4月1日 安行村が川口市に編入される(旧新郷村地域の飛び地解消)。戸塚村、大門村、野田村が合併して美園村が設置される。
* 1962年5月1日 美園村のうち、旧戸塚村全部と旧大門村の一部の区域が川口市に編入される。
* 2001年4月1日 特例市に移行する。
* 2001年 彩の国中核都市の指定を受ける。
* 2003年12月24日 合併特例法に基づき、「川口市・蕨市・鳩ヶ谷市法定合併協議会」が設立
* 2004年7月 新市名「武南市」の決定を民意を無視しているとして、川口市が合併協議会を離脱

地域

中心市街である川口駅・川口元郷駅のある市南部は東京都との結びつきが強い。東京都と相互に通勤・通学の人の行き来がある。 駅周辺は超高層マンションが多く、1998年に完成した当時日本一の高層マンションエルザタワー55(55F)を有し、川口駅〜川口元郷駅を中心に高層マンションが林立している。また、川口駅前はそごうをはじめとして各種ビル、商店街である樹モールでの買い物等にも非常に便利な上、都内へはJRや地下鉄、路線バスまで利用できるため、ある会社がこの地区でマンションを販売した際には「東京24区」という愛称までつけたほどである。

芝地区は蕨駅の最寄りの機能を生かし、蕨駅と直結したような街並みを携える。坂などの地形はなく、平坦であるためほとんどは住宅地で形成されている。多くの店は産業道路沿いに存在するが、地区内の産業道路以外の主要道路でも住宅地と商店街を混合して形成しているため、蕨駅から離れた位置でも中心市街地並みの街並みを携える。それを象徴するかのように県下最大級のショッピングモールのイオンモール川口キャラ(旧ダイヤモンドシティ・キャラ)はこの地域にある(所在地住所は「前川」)。

神根地区は市内の中では最も緑が多く、坂が多い。都市計画上の市街化調整区域はこの地区に集中する。そのため宅地化できず、現在でも多くの畑や植木苗の畑が見られ農業が盛んである。西側の平地の部分は地元向けの商店が立地する。 地区内には川口市立グリーンセンターと川口市立医療センターと新井宿駅、川口ジャンクションが立地する。この地区は面積が広いため、場所によっては東浦和駅・鳩ヶ谷駅の他市の駅を利用する場合が多い。川口市内ではあるが、限られた地域の特性としてはこれら両者(さいたま市・鳩ヶ谷市)の地域に依存している。

安行地区は植木でその名を知らしめている。植木が盛んであり、川口緑化センターなどの植物に関係する施設が多い。また、草加市に接しているため関わりが深く松原団地駅と新田駅を最寄り駅とする地域がある。さらに戸塚安行駅が開業したことにより安行地区に鉄道が通ることとなった。

東川口駅のある戸塚地区は川口市最北端に位置し、南端部に位置する川口駅・川口元郷駅より最も遠い位置にある。昭和50年代に区画整理され、市街地を形成するようになった。市の端部という地理的条件よりさいたま市緑区(旧美園村)・越谷市との関わりが深い。東川口駅周辺はおおむね坂が多く、坂がないけやき通り沿いに市街地を持つ。けやき通りから離れると住宅街が広がる。 武蔵野線・埼玉高速鉄道線の乗換駅であるため、川口市内では中心市街地に次ぐ交通の便のよさを持つ。

新郷地区は中心部から移住してきた工場の関係で工場などの施設が多い。隣接する草加市との関わりが深い。中心街へ行くには鳩ヶ谷市を越える形になる。 この地区はほかの地区と比べ鉄道が通らないため、バス路線が非常に発達しており、交通は川口駅か草加駅などを利用する。関東広域AMラジオ局の文化放送の送信所がある。

作品

* キューポラのある街
* 破壊魔定光

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行田市

行田市(ぎょうだし)は、埼玉県北部にある人口約9万人の市である。

近世以前

* 行田市大字埼玉(さきたま)は、古くは万葉集に「さきたまの津」という記述があり、風土記にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあるように、「埼玉県」という地名の発祥地であるとされる。
* 古墳時代には稲荷山古墳などが造成され、これらからは金文字の入った金錯銘鉄剣など貴重な文化財が出土している。
* 室町時代には忍城(おしじょう)が築かれ、成田氏を中心とする武士団の本拠地として周辺に勢力を拡大していた。
* 戦国時代には後北条氏と結んだため、豊臣秀吉の小田原攻めの際には石田三成に攻撃を受けることとなる。
* 江戸時代には阿部氏、後に松平氏の城下町。石高は十万石。
* 江戸時代中期より、下級武士の内職として足袋の生産が始まり、明治時代を迎えて機械化され一大産地となる。戦後は洋装化が進んだため衰退したが、今でも生産は行われているほか、足袋から転じた繊維産業が地場産業として一定の地位を占めている。「きねや足袋」が老舗の名店として有名。

近代以後

* 1889年4月1日 - 北埼玉郡成田町・行田町・佐間村が合併し忍町(おしまち)となる。
* 1902年6月 - 行田馬車鉄道が創業。
* 1910年9月 - 行田電灯が設立。
* 1937年4月1日 - 北埼玉郡長野村・星河村・持田村が忍町に編入される。
* 1949年5月3日 - 忍市として市制施行、その直後に改称し行田市となる。
* 1954年3月31日 - 北埼玉郡荒木村・須加村・北河原村が行田市に編入される。
* 1954年7月1日 - 北埼玉郡埼玉村が行田市に編入される。
* 1955年7月20日 - 北埼玉郡星宮村が行田市に編入される。
* 1955年9月30日 - 北埼玉郡太井村のうち旧棚田村・門井村の区域が行田市に編入される。
* 1955年10月1日 - 池上・下川上が行田市から分離し、熊谷市に編入される。
* 1956年4月1日 - 北足立郡吹上町から堤根・樋上および下忍の一部が分離し、行田市に編入される。
* 1957年3月31日 - 北埼玉郡太田村が行田市に編入される。
* 2006年1月1日 - 北埼玉郡南河原村が行田市に編入される。

観光地

* 忍城御三階櫓

中心部の行田市郷土博物館内に併設されている。1873年(明治6年)に解体されたが、1988年(昭和63年)2月17日に再建された。春には桜がきれい。

* 古代蓮の里

近隣のごみ焼却場建設時に種が発見された古代蓮や、その他の蓮を鑑賞できる(開花時期のみ)。展望台のある古代蓮会館を併設している。

* さきたま古墳群(埼玉県立さきたま古墳公園)

1968年(昭和43年)に「金錯銘鉄剣」(国宝)が出土した稲荷山古墳や、日本最大級の円墳である丸墓山古墳が有名である。古代、この辺りの有力者の根拠地が置かれていたと推定されている。

* 水城公園

1964年(昭和39年)4月に開園した、県内でも最も古い都市計画公園。行田市民の憩いの場所。アヒル、カモ、カイツブリ、そしてニワトリもいる。

名物

* ゼリーフライ
* 行田のフライ
* 十万石饅頭

テレビ埼玉で放映される、強烈なインパクトのあるCMにより、埼玉県民の間での知名度は高い。

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秩父市

秩父市 (ちちぶし) は、埼玉県北西部にある人口約7万人の市。面積は約578km²で、埼玉県内で最も広い市町村である。

地理

秩父山地に囲まれ、秩父盆地の中央に位置する唯一つの市である。市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や、武甲・西秩父といった埼玉県立の自然公園に指定されている。荒川が、南西から北東に流れ河岸段丘を形成する。市の南東にそびえる武甲山では石灰石を産出し、露天掘りが行われている。

歴史

* 708年 - 現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡付近から、和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出し、朝廷に献上された事を記念して、「和銅」に改元するとともに、和同開珎が作られたとされる。

* 秩父盆地の中央にあることから古くから物資の集散地として、また秩父神社の門前町として栄えた。そのためかつては大宮郷(おおみやごう)と呼ばれ、自治体名も1915年までは大宮町(おおみやまち)であった。

* 1884年(明治17年)- 秩父事件。同事件は、負債に悩む秩父の農民たちが結成した「困民党」と呼ばれる組織を中心とした武装蜂起であり、最盛期には小鹿野・吉田、さらには郡都大宮郷(現在の秩父市)等を武力占拠した。これに対し政府は、警察・憲兵隊、最終的には東京鎮台まで動員し、徹底的な武力鎮圧を図った。事件後の裁判の結果、死刑7名を含む4000名余が処罰された日本史上最大規模の民衆蜂起とされる(詳細は同項目参照)。

* 1889(明治22)年4月1日 - 町村制施行に伴い、秩父郡大宮郷・別所村が合併し、大宮町となる。
* 1916(大正5)年1月1日 - 大宮町が町名を変更し、秩父町となる。これは、秩父郡の中心にあることのほか、1914年に開業した秩父鉄道の駅が郡名を採って「秩父駅」となったことや、同県内の北足立郡大宮町(のちの大宮市、現在のさいたま市大宮区周辺)との混同を避けるためといったことが理由として考えられている。
* 1950(昭和25)年4月1日 - 市制施行により、秩父市となる。
* 1954(昭和29)年5月3日 - 秩父郡尾田蒔村・原谷村を編入する。
* 1954(昭和29)年11月3日 - 秩父郡久那村を編入する。
* 1957(昭和32)年5月3日 - 秩父郡高篠村・大田村を編入する。
* 1958(昭和33)年5月31日 - 秩父郡影森町を編入する。
* 2005(平成17)年4月1日 - 秩父郡吉田町・荒川村・大滝村と合併し、秩父市となる。

名所・史跡

* 秩父神社
* 三峯神社
* 秩父三十四箇所※西国三十三箇所、坂東三十三箇所と併せて日本百観音と呼ばれる)
* ちちぶ銘仙館※国の登録有形文化財
* 秩父ふるさと館※国の登録有形文化財
* 和同遺跡※和同開珎の発掘された遺跡

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所沢市

所沢市(ところざわし)は埼玉県南部にある人口約33万8千人の市である。 さいたま市、川口市に次ぎ、埼玉県内で3番目に多い人口を擁する。特例市及び彩の国中核都市に指定されている。

概要

都心のベッドタウンとして、新所沢、小手指地区には集合住宅が多く、所沢駅前はプロペ通りを中心にした繁華街となっている。東所沢地区はJR武蔵野線が開業した当時から人口が急増している。その反面、北部の富岡地区は江戸時代に行われた開拓により整備された農地(三富新田)が広がり、南部には宮崎駿監督作品の映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵(トトロの森)が広がっており豊かな自然にも恵まれている。

日本で初めて飛行場が建設された地としても有名で、かつて飛行場であった所には所沢航空記念公園が作られ、所沢航空発祥記念館もある。東京航空交通管制部もここ所沢にある。

プロ野球球団西武ライオンズのフランチャイズのグッドウィルドームの所在地としても全国的に名が知られている。西武鉄道グループ(通称:西武グループ)の本拠地としても有名で、駅前には西武百貨店(ただし旧セゾングループ)など西武の名を冠するビルが連なっている。

市名の由来

「所沢」という地名は野老(トコロ。ヤマノイモ科の植物)が群生する湿地の意といわれるが不詳。古くは「野老沢」(とろろさわ)と称した。市内中心部から東部を流れる東川(あずまがわ)を指しているとする説が有力である。

歴史

古代まで

所沢の近辺には、約2万年前から人類が定住しており、砂川遺跡を筆頭に市内には旧石器時代以降の遺跡や貝塚が点在している。

東日本各地に多く見られることだが、当地にも日本武尊の東征伝説がある。戦勝を祈願したといわれる神社(所澤神明社や北野天神社の由来)や、あるいは篭手をかざした(地名・小手指の由来)と言った伝承がある。

7世紀に律令制度のもと、武蔵国国府が現在の府中市に設置されると、武蔵国国府と上野国国府を結ぶ官道が築かれた。これが東山道武蔵路であり、市内の南陵中学校で遺構が確認されている。また、かつての郡境にあたる現在の松が丘付近には悲田処(行路病人などの救護施設)が設置されたという伝承がある。

武蔵国一帯は朝鮮半島からの渡来人が数多く定住しており、当地にも渡来人のコミュニティが存在していた、との説もある。

中世

平安時代末期になると世情が乱れ、野武士軍団である武蔵七党の一派、村山党が定着した。 現在も市内に多く存在する山口、村山、金子といった姓は、この流れである。

1192年に鎌倉幕府が成立すると、府中方面に通じていた街道は鎌倉街道上道となり、軍事的にも経済的にも重要な幹線道路として整備された。 特に所沢は、上道と間道である堀兼道・羽根倉道の合流地点として、栄えたという。

1333年、京都で後醍醐天皇が蜂起すると、上野国(群馬県)の新田義貞は呼応して鎌倉へ向かって進軍し、小手差原(現在の北野付近)で北条氏の兵と衝突、決着はつかず両軍とも一時兵を引いた。世にいう小手指原の戦いである。 市内に残る白旗塚・将軍塚(松が丘)・誓詞橋(砂川堀)・勢揃橋(柳瀬川)といった地名は、この戦いに由来する。 その後、1352年にも義貞の遺児である義興・義宗の兄弟が足利軍と小手指原付近で衝突している。(武蔵野合戦)

戦国時代は関東管領扇谷上杉氏の支配下にあり、上杉氏家臣で守護代の大石氏が統治していた。のちに後北条氏が台頭してくると北条氏照の支配下となった。柳瀬川沿いに山口城址・滝の城址などの中世城館跡が数か所残っている。

近世

江戸時代、所沢は江戸から近いこともあり、旗本領や天領(一部は川越藩領)として幕府の直接支配のもとに置かれた。 河原宿(現在の宮本町付近)から江戸四谷への道(江戸街道・おおむね現在の西武新宿線沿い・現所沢街道に近い)が整備され、東(江戸街道)・西(秩父道)・南(府中・八王子方面)・北(川越方面)へ延びる主要道路の中継地、あるいは物資の集積地として繁栄した。 また、市北部の富岡地区では、川越藩の柳沢吉保による三富新田開拓が行われた(このうち上富地区は、現在は三芳町の域内)。

なお、地層が関東ローム層と礫層に覆われた武蔵野台地では地下水脈が深いため、所沢は井戸水の確保に苦労した。 その惨状たるや「所沢の火事は土で消せ」と言われたくらいであり、実際に1818年(文化15年)2月の神明社、薬王寺及び民家142戸が焼失する大火など、江戸期には数回の大火が発生している。

近代

明治維新後、現在の所沢市域の旧幕府直轄領だった大部分は1869年(明治2年)3月21日(旧暦2月9日)に品川県に、1871年8月29日(旧暦7月14日)に川越藩領だった一部は川越県となったが、同年12月25日(旧暦11月14日)に全域入間県、1873年6月15日に熊谷県と移管された後、最終的に1876年8月21日、埼玉県に組み入れられた。1881年(明治14年)上新井村の本宿と久米村の金山を編入し、所沢村から所沢町になった。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、入間郡所沢町が誕生。

明治時代にも1875年(明治8年)、1880年(明治13年)、1885年(明治18年)などに大火があり、蔵造りの街並みが造られた。

1911年(明治44年)、現在の並木地区を中心とした一帯に陸軍が日本初の飛行場(のち陸軍航空整備学校)を設置し、基地の町という新たな顔をもつことになった。現在、所沢が「航空発祥の地」を標榜しているのは、これに由来する。(ちなみに日本人の初飛行は東京代々木練兵場で、1910年(明治43年)12月29日。臨時軍用気球研究会所沢試験場が翌1911年4月1日にオープン。4月5日に陸軍大尉徳川好敏による初飛行が行われた)なお、これに合わせて武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)や旧西武鉄道(現在の西武新宿線)も競って基地への最寄駅を設置した。(現在は両駅とも廃止)

一方、交易中継地としての機能も健在で、「所沢飛白」「湖月縮」といった名産品により、「織物の町・所沢」として最盛期を迎えた。

1927年(昭和2年)、東京市民の水がめとして、山口貯水池(狭山湖)の建設が開始され、1934年に完成した。このため山口村の旧勝楽寺村と上山口村にわたる一帯が水没し、村の住民は隣の小手指村などに移住した。 狭山湖畔からの景観や付近の桜景色は、同湖完成直後から観光名所となり、後に周辺一帯が一大レジャーエリアとして開発される端緒となった。

現代

1943年(昭和18年)、所沢町と小手指・富岡・吾妻・松井・山口の5村が合併、1950年(昭和25年)に市制を施行し所沢市となった(埼玉県で8番目)。

敗戦とともに、陸軍所沢飛行場および周辺施設はアメリカ軍に接収され、1971年(昭和46年)に6割、1978年(昭和53年)にさらに1割は返還されたものの、現在も通信基地として残っている。 1955年(昭和30年)には柳瀬と三ヶ島の両村を吸収し、現在の市域となった。

市制施行時、人口は約4万2千人であったが、昭和20年代〜30年代前半に沖縄からの移民団が新所沢東部や小手指付近に入植・開拓を行うなど人口は増加しつづけ、1959年(昭和34年)には住宅公団による新所沢団地の入居が開始された。 その後も小手指や新所沢地区を中心に大規模な住宅開発が行われ、2000年には人口33万人を突破している。

1978年(昭和53年)福岡を本拠地とし、経営不振に陥っていたプロ野球パシフィックリーグ『クラウンライターライオンズ』を、国土計画の堤義明が、西武鉄道沿線である所沢市への移転を条件に、全ての債務を肩代わりするなどして買収。狭山丘陵に自前の球場(西武ライオンズ球場(現:グッドウィルドーム)を建設。チーム名を西武ライオンズとした。

1982年(昭和57年)西武ライオンズが創設4年目にしてリーグ初優勝、日本一に輝く。以来2006年(平成18年)までにリーグ優勝15回、日本一8回達成し、80年代のパリーグ黄金時代を築く。

1997年(平成9年)に廃部となったバスケットボールチーム・アンフィニ東京ブロンコスの後継チームを発足。名称を所沢ブロンコスとし活動開始。2005年(平成17年)には埼玉ブロンコスに名称を変更し新潟アルビレックスBBとともにbjリーグを発足した。所沢市民体育館を本拠地としている。

1997年(平成9年)にはテレビ朝日のテレビ報道に端を発するダイオキシン騒動が発生、社会問題となった。

2002年(平成14年)特例市へ移行した。

農業

* 狭山茶が有名だが、ほうれん草や里芋、にんじん等の栽培も盛ん。また、さつまいも掘りやぶどう狩り等の観光農園も点在している。

所沢市が舞台の映像作品等

* となりのトトロ(アニメ映画)
* 鉄塔 武蔵野線(映画・小説)
* がんばれ!!タブチくん!!(漫画・映画)
* Shall we ダンス?(映画)
* 瀬戸の花嫁(漫画・アニメ)
* 風飛び一斗(漫画)
* 世界の中心、針山さん(小説)

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飯能市

飯能市(はんのうし)は、埼玉県の南西にある人口約8万5千人の市。

市内の多くが山野で、南東端に市街地が集中している。東京のベッドタウンであるほか、周辺地域の鉄道や道路の要所でもある。

歴史

* 1889年 - 町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村・小岩井村が合併、飯能町となる。
* 1896年3月29日 - 高麗郡が廃止され入間郡に編入、入間郡飯能町となる。
* 1943年4月1日 - 入間郡飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村が合併し、飯能町となる。

* 1954年1月1日 - 市制施行により飯能市となる。
* 1954年4月1日 - 旧元加治村・新光の一部が分離し、東金子村に編入される。
* 1956年9月30日 - 入間郡吾野村・東吾野村・原市場村を編入する。
* 2004年 - 環境省エコツーリズムモデル事業地区に選定される。
* 2005年1月1日 - 入間郡名栗村を編入する。
* 2005年4月1日 - 「森林文化都市」を宣言する。

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加須市

加須市(かぞし)は、埼玉県の北東部に位置する人口約7万人の市。難読地名の一つであり、「カス」または「カズ」と読み間違えられる事がある。

こいのぼりの生産数が日本一であり、うどんの街としても知られている。武州囃子の流れを汲む『武州加須囃子』がある。

歴史

* 1889年4月1日 町村制施行により、北埼玉郡加須町・久下村が合併し、加須町となる。
* 1902年9月6日 東武鉄道伊勢崎線加須駅が開業
* 1927年4月1日 東武鉄道伊勢崎線花崎駅が開業
* 1954年5月3日 北埼玉郡加須町・不動岡町・三俣村・礼羽村・大桑村・水深村・樋遣川村・志多見村が合併し市制施行、加須市となる。
* 1957年1月1日 北埼玉郡大越村を編入する。

名産・特産品

* 手描きこいのぼり
* 手打ちうどん
* 浮野みそ
* 五家宝
* いがまんじゅう
* 塩あんびん
* 柔剣道具
* 公式野球ボール

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本庄市

本庄市(ほんじょうし)は、埼玉県の北西部に位置する市。中山道の宿場・本庄宿が置かれた。本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄え、明治時代には本庄への遷都が計画されていた事がある。

地理

埼玉県の北西部に位置し、北に利根川が位置し、市内中央部にJR高崎線が、南部に関越自動車道と上越新幹線が東西に横断している。市街地は本庄駅付近に集中する。

利根川の坂東大橋が架け替えられ2004年3月6日に開通、また同年3月13日には、上越新幹線の本庄早稲田駅が開業した。

歴史

鎌倉時代にこの地域を群雄割拠した武蔵七党の一つ、児玉党を構成する本庄氏がこの地に土着したことが地名の由来である。

* 市町村名の由来 - 「本庄城」から。本庄宮内少輔実忠が1556年に築城した。現・城山稲荷神社。新潟県村上市の本庄城(村上城)との混同に注意。

* 1954年7月1日 - 児玉郡本庄町・藤田村・仁手村・旭村・北泉村が合併(新設合併)し、本庄市となる。
* 1957年7月18日 - 児玉郡共和村の一部を編入する。
* 2006年1月10日 - 児玉郡児玉町と合併(新設合併)し、新たに本庄市となる。

映画、ドラマ等のロケ

本庄市は、周辺の市町村と比べると映画・ドラマ・プロモーションビデオの撮影が多く、『スパイ・ゾルゲ』、『ゴジラ FINAL WARS』、『日本沈没』、『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(ドラマ)』、『医龍2』など有名作品の撮影が行われている。銀座通りや岡病院、若泉公園、テイヒュー工場跡がロケ地として使われることが多い。2007年夏公開の『ワルボロ』の撮影や秋公開の『恋空』の一部シーンの撮影も行われた。

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東松山市

東松山市(ひがしまつやまし)は、埼玉県のほぼ中央に位置する人口約9万人の市。

概要

県域としては県南西部地域に属する。多くの街道が集まる交通の要衝として、古くは鎌倉時代から松山城の城下町として知られた比企地域の中心都市である。国際ウォーキング大会でアジア最大規模の「日本スリーデーマーチ」が開催される都市として有名。焼き鳥の街であり、2000年に室蘭市が焼き鳥店の数をNTTの電話帳で調べたところ、1位東松山市、2位室蘭市、3位今治市であった。人口は約9万人。

気候は太平洋式気候の影響により冬には秩父おろしが吹く。

歴史

市制施行以前

現在の東松山市の中心部にあたる地域は市制施行前まで松山町と呼ばれ、元を辿れば1333年に築城されたとされる松山城の城下町として発展した街である。城下町時代は、松山城大手門に至る、鴻巣道沿いの現在の松本町から本町あたりが最も賑やかだったそうである。このあたり松山新宿と呼ばれていた一方、街道筋にあたる本町から材木町のあたりは松山本郷と呼ばれていた。また、現在の本町1丁目交差点は札の辻と呼ばれ高札場が設けられていた。

徳川家康が関東入国すると、松山城に松平家広が入城し松山藩を立藩。近代的な城郭都市に発展する可能性も潜めていたが、家広の跡を継いだ松平忠頼が浜松城に移封となると松山城は廃城となった。廃城後、この地域は最終的に川越藩の藩領となり、城に近い松山新宿は次第に廃れていったとされる。

江戸時代には、徳川幕府によって五街道と脇往還の整備が進められ、東松山市域でも、江戸から高坂を経て上州に至る川越・児玉往還(川越道)と、八王子から高坂・松山を経て日光に至る日光脇往還(日光道)が整備され、松山宿と高坂宿は宿場町として賑わった。

幕末になると、川越藩主である松平直克が、前橋藩に移封となり、比企郡・高麗郡・埼玉郡周辺のおよそ6万石の統治を行うために、1867年に松山陣屋が設置され、武家の移住で人口が2倍近くに増えたとされている。しかし、幕末という事もあってわずか5年足らずで廃藩置県を迎える事になった。

明治時代になると、入間県、熊谷県を経て埼玉県域となり、市域では主に「士族授産」事業として旧松山陣屋士族が中心となって東松山製糸工場など工場や銀行が起こされていった。また1923年には東上線が開通。市域には、高坂駅・武州松山駅(現:東松山駅)の2つの駅が設置されるなど交通網も整えられていった。

第二次世界大戦中には、唐子地区に陸軍松山飛行場が建設、また吉見町の吉見百穴近辺では中島飛行機(現富士重工業)の地下工場が建設され、工事関係者が多く集まるなど軍事色が濃い町ともなった。

市制施行以降

* 1954年7月1日に比企郡松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村が合併し、東松山市となる。

市名の由来は、地域の中心である松山町から採られたものであるが、松山市の呼称は既に愛媛県松山市が先行して市制施行して使用されていた。しかしこれ以前に、福岡県遠賀郡若松町(現・福岡県北九州市若松区)が同名の福島県若松市(現・福島県会津若松市)がありながら、同一の市名である若松市を申請し認められた例があった。また、1954年3月31日に広島県府中市、同年4月1日に東京都府中市が相次いで成立し同一名の市が誕生していた。
こうした先行事例をふまえ同名の松山市を市名として申請したが自治省はこれを認めず、愛媛県松山市に対して東の松山市という意味で東松山市とした。この後、自治省により同一の市名は認可しない旨の通知がなされ、東久留米市、東大和市(ともに東京都)など同様の命名法による市名が出来る端緒となった。このような経過もあってか、現在でも市民や周辺部の住民を中心に東松山市を指すときに「松山」と呼ぶことが多い。
しかし、2006年1月1日、北海道伊達市と同名の福島県伊達市が成立し、現在、この同一市名に関する通知は有名無実化している。

* 高度成長期になると東京のベッドタウンとして人口が増加。高坂ニュータウンや東松山マイタウンに代表されるような住宅団地が次々と造成された。
* 1975年8月8日に関越自動車道 川越IC〜東松山IC間が開通し、交通・物流の拠点地点化が進む。

名所

* こども動物自然公園
* ビアトリクス・ポター資料館
* 埼玉県平和資料館
* 物見山
* 岩鼻運動公園
* 原爆の図丸木美術館
* 高坂駅西口彫刻通り
* 箭弓稲荷神社(ぼたんの名所)
* 東松山ぼたん園
* 岩殿観音(板東十番札所)
* 鳴かずの池
* 等覚院木造阿弥陀如来坐像
* 光福寺宝篋印塔
* 松山陣屋跡
* 大谷瓦窯跡
* 青鳥城
* 高坂館跡
* 市民の森
* 上岡観音
* 東松山遊園地跡
* 神秘珍々ニコニコ園跡

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春日部市

春日部市(かすかべし)は、関東地方の南部、埼玉県東部にある人口約24万人の市。旧南埼玉郡・北葛飾郡(旧春日部町は南埼玉郡)。隣接する越谷市とともに彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。

第二次大戦期までは粕壁と表記された(この頃隣接の現・越谷市も「越ヶ谷」と表記していた)が、当地を起源とする武家・春日部氏にちなんで現在の表記に改められる。

江戸時代には、江戸と日光を結ぶ日光街道粕壁宿の宿場町であった。

概要

埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝である。

牛島の藤の所在地であり、日本有数の「藤の街」として有名である。藤で知られる都市には、春日部の他には藤枝が代表的である。また、特産品に桐箪笥、桐箱、麦藁帽子、押絵羽子板がある。尚、国道16号直下には首都圏外郭放水路と呼ばれる大規模な放水路が建設されており、一般にも公開されている。

市内在住の漫画家・臼井儀人原作の漫画で、1992年(平成4年)よりテレビ朝日系で放映されているアニメ「クレヨンしんちゃん」の舞台として有名である。2004年(平成16年)4月6日には、作品の主人公であるしんちゃんこと野原しんのすけと野原家に特別住民票が交付された。尚、アニメ内では「かすかべ(春日部)」ではなく、「かすがべ(春我部)」と表記されることがあったが、現在は「かすかべ(春日部)」で統一されている。

高度成長以来東京のベッドタウンとして人口増加の一途を辿ってきたが、ここにきて転出超過数が自然増加数でまかないきれなくなり、人口減少期に突入した。隣接する千葉県野田市などとともに、「都心回帰の好例」として不動産系シンクタンクが取り上げることがある。

春日部を舞台(モデル・春日部の表記)とした作品

漫画、テレビアニメ

* クレヨンしんちゃん(臼井儀人) - 表記は当初「春我部」であったが現在は「春日部」に統一。
* らき☆すた(美水かがみ) - アニメ版にのみ登場。表記は「糟日部」。実際、「糟」の漢字表記は過去使われていた。粕壁を参照。
* おおきく振りかぶって(ひぐちアサ) - 作中「春日部市立高校」という架空の学校が登場。

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狭山市

狭山市(さやまし)は埼玉県南西部、入間川流域にある人口約15万7千人の市。

概要

市域を西武鉄道の二路線が通り、1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化)が進む一方で、若年者が流出し、新規転入者も減少するという都心回帰現象の影響が大きく、2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。原因として考えられるのは、交通面では新宿・池袋各副都心までの電車実乗時間が通勤ラッシュ時でおよそ1時間(都心回帰現象は満員電車かつ長時間乗車の通勤地獄が原因のひとつとなっている)、昼間時40〜50分と、ベッドタウンとしてはやや遠めであること、および西武新宿線の地下鉄直通がないことなどがある。その他では、基本整備では、隣接の所沢市から比べると球切れした街灯が多かったり街灯未整備箇所が多く暗い市道が目立つ。また市街地や住宅の都市基盤整備の遅れが近隣に比べ目立つことなどが挙げられる。

市名の由来

* 狭山丘陵・特産物「狭山茶」に由来する。

歴史

* 古代 - 武蔵国入間郡に属する。
* 716年(霊亀2年)- 新たに高麗郡が設置される。中世以降、入間川西岸の一部地区が高麗郡に属する。
* 中世 - 入間川宿が鎌倉街道上道の宿場町として栄える。鎌倉街道上道は入間川宿で上野国方面と下野国方面に分岐していた。
* 近世 - 天領や川越藩領の村々となる。
* 近世中期 - 武蔵野の新田開発により三富新田などとともに不老川流域が開墾され、入間・堀兼の住民が増える。

その他

* 航空自衛隊の入間基地は市役所の南に位置し、9割が狭山市域にある(1割は入間市域)。
* いわしふりかけ「さやま」(通称「さやまふりかけ」)

1979年、子供のカルシウム不足問題を解消するため、当時の市長町田佐一が自ら考案(町田は旧制東京農業大学出身で、農芸化学を専門としていた)し、丸美屋食品工業と共同開発・商品化したふりかけ。いわしを利用したもの。市内小中学校の給食時の献立に使用。当時余剰政府米が盛んに学校給食に利用され、パンに代わって米飯が給食の主流となる中、一時は周辺市町村の学校給食の献立にも採用されていた。狭山市役所のほか市内のスーパーマーケット・茶店・農協等で販売し、一般にも流通した。現在も給食で出されており、また販売もされている。ただしローカル商品のため、市外での流通・販売はほとんどない。

* 狭山抹茶「明松」(みょうしょう)

1990年、「さやま大茶会」開催に合わせ、狭山市において新たに商品化された抹茶。

* 「saku saku」で歌われた「狭山のうた」

2004年11月02日放送のテレビ神奈川(神奈川県域)の人気番組「saku saku」(埼玉県域(狭山市)をサービスエリアとするテレ玉では未放映)の中で、ご当地ソングとして「狭山のうた」が歌われた。歌詞は入間市との合併問題を扱った内容になっている。ビデオの中では、狭山市駅周辺の映像が映されている。

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羽生市

羽生市(はにゅうし)は、埼玉県の北東に位置する人口約5万7千人の市。衣料の街として知られる。

歴史

* 1903年4月23日 - 東武鉄道伊勢崎線羽生駅が開業。
* 1903年9月13日 - 東武鉄道伊勢崎線須影駅(現南羽生駅)が開業。
* 1921年3月30日 - 北武鉄道(現秩父鉄道)羽生駅が開業。
* 1922年7月28日 - 北武鉄道(現秩父鉄道)新郷駅が開業。
* 1954年9月1日 - 北埼玉郡羽生町、新郷村、須影村、岩瀬村、川俣村、井泉村、手子林村が合併、羽生市が新設される。
* 1955年1月1日 - 北埼玉郡三田ヶ谷村、村君村が合併、千代田村が新設される。
* 1959年4月1日 - 千代田村が羽生市に編入される。
* 1981年9月1日 - 秩父鉄道西羽生駅が開業。

市名の由来

* 埴輪がなまったもの

名所・旧跡・観光スポット

* 田舎教師 - 自然主義文学の代表作(作者・田山花袋)
* 建福寺 - 田舎教師のモデル・小林秀三の墓
* さいたま水族館 - 全国的にも珍しい淡水魚専門の水族館

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鴻巣市

鴻巣市(こうのすし)は、埼玉県の東部中央、大宮台地の北端に位置する人口約12万の市である。

概要

534年安閑天皇より笠原直使主が武蔵国国造を任命され、現在の鴻巣市笠原地区に拠点を持つ(日本書紀)。隣接している行田市にあるさきたま古墳群は同時代の古墳であり、何の基盤の無い当地に突如として、関西に匹敵する中型前方後円墳が現れた事を考えれば、鴻巣を本拠とした武蔵国国造の笠原氏の古墳ではないかと指摘されている。

1602年(慶長7年)に宿駅整備に伴い中山道の宿場・鴻巣宿がこの地(市宿新田)に移転したのち宿場町となった。なお、元の鴻巣宿は移設後、本(元)鴻巣を称し、本(元)宿→北本宿→北本と変化して、現在北本市となっている。

またひな人形の産地として380年以上の歴史を誇り江戸中期には江戸十軒店(現東京都中央区日本橋室町)・越ヶ谷(現埼玉県越谷市)とともに関東三大ひな市として栄えた。明治時代には埼玉県内の他の人形の産地である岩槻(現さいたま市岩槻区)3軒、大澤(現越谷市)2軒、越ヶ谷6軒に対し31軒300人の職人という記録も残っており、現在でも9軒のひな人形製造業者が軒を連ねる。

昭和20年代から農村部で花卉園芸栽培が始まり全国的にも珍しい花市場が二つある街として知られていたが平成14年に第三セクター方式で東日本最大級の規模を誇る地方卸売市場鴻巣フラワーセンターに統合。近隣地区には花卉栽培のビニールハウスが立ち並ぶ。

市の面積は約67.49平方キロメートルで、埼玉県内では、秩父市、さいたま市、飯能市、小鹿野町、熊谷市、深谷市、川越市、本庄市、所沢市に次ぐ10番目である。また、東京の住宅衛星都市である一方で、花卉園芸や稲作も盛んである。

現在、鴻巣駅東口は再開発事業に伴い、鴻巣駅東口に駅ビルを建設している。このビルは平成19年秋ごろに落成予定で、市の商業の拠点となるため、期待がされている。また、北鴻巣駅西口では、土地区画整理事業が進行している。こちらは、平成20年4月に街開きが行われる予定である。

地名の由来

* 鴻巣の地名は古来からのもので、この地のほかに茨城県や栃木県、福岡県にも同様の地名が存在する。古来からの地名ゆえその由来は不明だが幾つかの仮説が存在する。

* 高台の砂地を「コウ(高)のス(洲)」と言い換えて、その言葉が由来となったと言う説があり、これは大宮台地上に位置する古来からの鴻巣郷(現在の鴻巣市南部から桶川市北東部にかけての地域)および他地域の同一地名の地域の地形的特徴と合致する。

* 日本書紀に出てくる武蔵国造の乱で鴻巣郷に隣接する埼玉郡笠原郷を拠点としたとされる笠原直使主(かさはらのあたいのおみ)が朝廷から武蔵国造を任命されたことから国府と結びつけて、国府が置かれたところ「国府の州」が「こうのす」と転じ、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったとする伝承もある。

名所・旧跡・観光スポット

* 勝願寺(伊奈忠次の墓)
* 鴻神社
* 人形資料館(吉見屋人形店内)
* 埴輪竈跡(原馬室)
* 一里塚
* 石田堤史跡公園
* 荒川コスモス街道
* 真福寺(屈巣)
* 北根久伊豆神社
* 花久の里

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深谷市

深谷市(ふかやし)は、埼玉県北部にある人口約15万人の市である。

概要

江戸時代以降中山道の宿場(深谷宿)が置かれ、宿場町として発展した。岡部には安倍(あんべ)家の旧岡部藩岡部陣屋があり、遺構として長屋門、西島町に地方(じかた)通用門が残っている。また、県下有数の農業地帯で、深谷ねぎは日本一の出荷量を誇る。第一国立銀行の創立に携わり近代日本経済の基礎を築いた渋沢栄一の生誕地、国鉄に働きかけて深谷駅に急行列車を停車させた運輸大臣の荒船清十郎でも知られている。

歴史

* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、深谷宿、田谷村、東大沼村、萱場村、西島村、西大沼村、曲田村、原郷村の一部、国済寺村の一部が合併し榛沢郡深谷町が成立する。
* 1896年(明治29年)4月1日 - 榛沢郡が大里郡、幡羅郡、男衾郡と統合し大里郡となる。
* 1955年(昭和30年)1月1日 - 大里郡深谷町、明戸村、幡羅村、大寄村、藤沢村が合併し、市制を施行、深谷市となる。(埼玉県下18番目)
* 1973年(昭和48年)4月1日 - 大里郡豊里村を編入する。
* 2006年(平成18年)1月1日 - 深谷市、岡部町、川本町、花園町が合併し、現行の深谷市となる。

名所・旧跡

* 渋沢栄一記念館
* 渋沢栄一生家
* 深谷城址公園(深谷城跡)
* 畠山重忠公史跡公園
* アクアパラダイス・パティオ
* 岡部六弥太忠澄の墓
* 畠山重忠墓
* 人見館跡
* 旧北根代官所(県指定史跡・江戸時代この地の領主日野氏(幕府旗本)の代官所跡)
* 桜ヶ丘組石遺跡
* 鹿島古墳群
* 中宿古代倉庫群跡
* ブリッジパーク
* 旧日本煉瓦製造
* 白鳥渡来地(旧川本町・荒川)
* 岡部藩陣屋跡(市内全昌寺には二層の長屋門、西島町に地方通用門が移築現存)

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上尾市

上尾市(あげおし)は、埼玉県中東部にある人口約22万強の市。江戸時代には中山道の宿場・上尾宿が置かれた。

歴史

現在の上尾市域は中世まで農村地帯であったが、用水の確保が困難なため、水田よりも麦などの畑作が行われていた。江戸時代に中山道整備の一環として上尾宿が置かれると、人口約千人の宿場町ができた。上尾宿は街道沿いの宿場の中では規模が小さかった。この頃は水運が貨物輸送で有利だったため、江戸との運輸交通は荒川を利用した船が中心であり、船着場のあった平方が上尾宿より賑わい、人口も約1300人あった。また、戦国時代から町ができていた原市も中山道の脇往還として機能していた。「原市」の由来は、中世末期に原村といわれていた吉野原村(現在のさいたま市北区吉野町)から、「宿」の部分が分離して「原宿」の名が生じ、後に月に2回の「市」が立った。この地域は天領・旗本領・寺社領・近隣の大名の所領が入り組んでいたが、江戸時代後期には上尾宿のための輸送負担を負う助郷としてまとまりが生まれてきた。

1883年(明治16年)に日本初の私鉄日本鉄道が開通し上尾駅が開業したことから、上尾町周辺が発展し始めた。一方、平方は荒川水運の衰退にともなって町としては停滞し、原市も上尾の繁栄から引き離された。後の上尾市を構成する町村は引き続き畑作中心の農村で、大正時代から1930年代までは養蚕も行われた。20世紀後半には東京郊外の住宅地として発展し、1960年代からは工場も増えた。同時期に建設が始まった日本住宅公団(当時)の西上尾第一団地・同第二団地は県内有数の規模である。原市にも原市団地・尾山台団地が建設され、中規模都市としての体裁を整えていった。中山道の通る高崎線東側に比べ、西側は発展が遅れていたが、急速な宅地開発によって市街地は拡大し、子育て世代の若年人口が継続して流入した。現在、住民の高齢化が急速に進行している。かつて最寄り駅(上尾駅)からバスで20分という田園地帯に建設された西上尾第一団地・第二団地にまで市街地が達し、現在も区画整理事業や宅地造成が進められている。一方、上尾駅周辺には高層マンションが林立し、富裕層による市中心部への回帰も起こっている。

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草加市

草加市(そうかし)は、埼玉県南東部にある人口は約23万8千人の市。さいたま市、川口市、所沢市、川越市、越谷市に次いで県内で6番目に多い人口を擁する。南側を東京都と接する。草加松原や草加煎餅で知られる。

概要

江戸時代、日光街道で江戸から2つ目の宿場町として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。戦後当初は5万人にも満たなかったが、高度経済成長期における松原団地の造成や、東武伊勢崎線と営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の相互直通運転開始により人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。それに伴い近年引っ越して来た人が多いので市民の平均年齢は比較的若く、子供の数も多い。 中心部は、都心まで約15kmという立地にありながら宿場町の面影を残す落ち着いた雰囲気の住宅地である。現在、松原団地の建て替え、再開発や草加宿を中心とした都市計画「今様草加宿」が進められている。2000年に彩の国中核都市に指定、2004年に特例市に移行。

歴史

* 1212年頃 - 北条氏、鶴岡八幡宮に戦勝祈願のために谷古宇郷を寄進。
* 1630年 - 江戸幕府、正式に草加を伝馬宿として認める(草加は日光道中の宿場町になる)。
* 1889年 - 町村制が施行され、市域に北足立郡草加町、谷塚村、新田村、安行村、南埼玉郡川柳村、八条村ができる。
* 1940年- 谷塚村が町制を施行する。
* 1955年1月1日 - 草加町・谷塚町・新田村が合併し、草加町となる。
* 1955年8月1日 - 南埼玉郡川柳村を編入する。
* 1955年8月1日 - 旧川柳村の井原・上谷・麦塚が草加町から分離し、越谷町に編入される。
* 1956年9月28日 - 南埼玉郡八条村のうち、立野堀が編入される。
* 1958年11月1日 - 市制施行により、草加市となる。
* 2004年4月1日 - 特例市へ移行。

1968年に、越谷市大字麦塚、大字千疋のそれぞれ極僅かな地域(麦塚:小字東、新田前耕地、蔵屋敷耕地、笹塚、山城耕地の各一部、千疋:小字九升田、庄権の各一部)を編入している。その後越谷市内では麦塚は川柳町、千疋は東町と町名変更され地名が消滅してしまっているが、草加市に編入された部分の一部は、かなり狭小で無人の地区であるが地名が受け継がれている。ちなみにこの千疋とは日本橋千疋屋の由来でもある。

名産品

* 紙製品、紙加工品
* せんべい(「草加せんべい」として知られている。)
* 慈姑(くわい)

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越谷市

越谷市(こしがやし)は、埼玉県の南東部にある人口約32万人の市。日光街道の江戸から数えて3番目に位置する宿場越ヶ谷宿で知られる。特例市、彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。

概要

2003年4月1日に特例市へ移行した。現在、中核市への要件を満たしている。

越谷市は、中核市への移行を検討した結果、現段階においては、地方交付税制度の見直し等による財政負担など、メリットよりデメリットが上回るものと判断し、現在取り組んでいる行政改革を最優先課題として取り組むこととし、地方交付税制度や市町村合併の動向を考えあわせて、改めて判断するとしている(平成18年10月現在)。

「国民健康保険発祥」の地

旧越ヶ谷町が昭和10年に発足させた一般住民を対象とした日本初の健康保険制度「越ヶ谷順正会」は昭和13年の国民健康保険法(旧法)施行よりも3年早く発足している。このため越谷市は「越ヶ谷順正会」を「国民健康保険の発祥」と称しており、国民健康保険法施行10周年を記念して、昭和23年には「越ヶ谷順正会」を顕彰する「相扶共済の碑」が現在の市役所敷地内に立てられている。

この制度は、昭和初期の世界恐慌に加えて越ヶ谷町が県立高等女学校(現在の越ヶ谷高等学校)を誘致したことなどから町の財政が逼迫したことがきっかけと言われている。町の財政建て直しと滞納税を一掃するために有志が無尽講を設立した。そして病気が貧困の大きな原因となっていることから、その無尽講の利益で設立された。当時、勤労者を対象とした健康保険制度はあったが、農漁業、自営業者を対象とした健康保険制度はまだ無かった。

市町村名の由来

「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮大地の麓にある低地」を指す地名であろう。

なお、本来の地名は「越ヶ谷」であり、1954年、越ヶ谷町と他の町村が合併して新町制をとった際、本来の「越ヶ谷」と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」となった。したがって、かつて宿場町があった越谷市の中央部は、現在「越谷市越ヶ谷」となっており、それ以外の「こしがや」が付く地名は、町制・市制に伴って出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「ヶ」が入らない。同様の理由で、「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。

観光

* 越谷レイクタウン(建設中)
* 越ヶ谷久伊豆神社
* 宮内庁埼玉鴨場
* 千疋屋
* キャンベルタウン野鳥の森
* こしがや能楽堂
* 見田方遺跡
* しらこばと水上公園
* ホタル観賞の夕べ :毎年7月中旬頃花田苑にて行われる。
* 越谷花火大会:毎年7月下旬から8月上旬の土曜日、市役所前(葛西用水河川敷)にて開催。
* 南越谷阿波踊り:日本三大阿波踊りの一つ。毎年8月下旬頃に3日間開催。
* シラコバト:越谷付近に生息している。国の天然記念物。

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蕨市

蕨市(わらびし)は埼玉県南東部にある人口約7万人の市。

概要

全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても11番目に狭い(2007年現在)。人口密度は全国で一番高い(東京23区を1つの都市とした場合)。

主に住宅地からなるが、江戸時代には蕨宿が置かれ、中山道の宿場町として非常に栄えていた。この地で1946年から開催されている成年式が成人式のルーツといわれている。全国的に珍しい有料公衆便所条例が存在する。

日本の市町村を「五十音順」に並べたら最後になる。

タレント・俳優の石原良純が蕨市PR大使を務めている。

歴史

わらびという地名はいつごろから言われているか不明であるが、文献上、初めて「わらび」が見られるのは観応3年(1352年)6月29日付の「賀上家文献」で、「蕨郷上下」と記されており、ここで初めて蕨が文献で確認された。蕨市役所付近には、日本古来の日本住宅など多く残されており、旧中山道沿いに栄えた当時を偲ばせる美しい建物も多い。

地名の由来

蕨という名前は歴史が古く、地名の由来は文献にも残されていないが、諸説伝わっているうちの主に2つの説が有力とされている。

* 源義経が立ちのぼる煙を見て「藁火村」と名付けた、在原業平が藁をたいてもてなしをうけたところから「藁火」と命名したという「藁火」説。
* 憎慈鎮(じちん)の「武蔵野の草葉にまさるわらびをげにむらさきの塵かとぞみる」の歌をもって名付けた、近隣の戸田市や川口市にもある地名の青木、笹目、美女木などの植物にならって命名したという「蕨」説。

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戸田市

戸田市(とだし)とは埼玉県南部にある人口約11万8千人の市。荒川を境に東京都と接する。

地理

北をさいたま市、東を蕨市と川口市にそれぞれ地続きで接し、西の朝霞市と和光市、南の東京都板橋区と北区へは荒川を隔てて接する。市域はおおむね平坦な低地である。埼京線が開通する以前は交通の便が非常に悪く、陸の孤島と揶揄されていた。

沿革

江戸時代には御鷹場として栄え、荒川の「戸田の渡し」は全国的にも有名である。

* 1889年4月1日 - 新曽村、上戸田村、下戸田村が合併し、北足立郡戸田村となる。
* 1941年6月1日 - 町制施行。戸田町に。
* 1957年7月20日 - 美笹村と合併。
* 1959年4月1日 - 旧美笹村北部の松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離し、浦和市(現:さいたま市南区)に編入される。
* 1966年10月1日 - 市制施行。戸田市になり、現在に至る。

観光ほか

* 戸田橋
* 幸魂大橋
* 戸田漕艇場
* 戸田競艇場
* 戸田橋花火大会
* 戸田ふるさと祭り
* 戸田市商工祭

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入間市

入間市(いるまし)は埼玉県南西部にある人口約14万8千人の市。狭山茶の主産地として有名。マスコットキャラクターは「ファミリー」。

市名の由来

古代の律令制施行による国郡里制以来の郡名「入間郡」に由来する。

歴史

奈良時代には、前内出窯、平安時代には、須恵器窯跡群である東金子窯跡群(窯跡群としては前内出窯を含む)が操業していた。そのうち、八幡前窯跡群や新久窯跡群は、埼玉県南部の集落に須恵器を広く供給するのみならず、武蔵国分寺の塔再建の瓦などを生産していたことで知られる。 市内の中核を成していた扇町屋商店街はかつて日光往還の宿場町として栄えた名残りである。

* 1938年、陸軍航空士官学校(現入間基地)が開設。
* 1945年、戦後進駐軍に接収され「ジョンソン基地」になる。
* 1973年、ジョンソン基地が返還され、航空自衛隊入間基地となる。

ドラマ夫婦道

* 2007年4月〜6月に放送されたTBSドラマ「夫婦道」のモデルの地であった。同番組に「いるま」と書かれた物が多く出ている。(恐らく金子・東金子・新久地区がモデルである。)ちなみに最初のOPのシーンでは「新久小学校体育館」が映っている。

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鳩ヶ谷市

鳩ヶ谷市(はとがやし)は、埼玉県の南東部にある人口約6万人の市。

江戸時代には日光御成街道の宿場町として栄えた。東京都に接しているが、近辺の都市と比べ開発が盛んではなかった為、現在でも当時の面影が町の随所に見られる。 面積は日本の市の中で蕨市(埼玉県)に次いで2番目に小さい。

2007年、市制開始40周年をむかえた。

地名の由来

明確な由来は解明されていないが、鳩ヶ谷の地名の「谷」については、大宮台地の斜面に食い込む谷が多い地形に由来している。「鳩」については、平安時代の「和名抄」という史料に武蔵国足立郡発度郷という地名が存在し、この発度郷をハト郷あるいはハット郷と読んでいたとする説があり、 台地の先端部すなわち端(ハシ)という音がハトに転訛したという説も存在する。動物の鳩からの由来ではない。

歴史

* 1901年5月3日 - 北足立郡鳩ヶ谷町、北平柳村が合併し、鳩ヶ谷町となる。
* 1940年4月1日 - 川口市に編入。
* 1950年11月1日 - 川口市から分離し、鳩ヶ谷町となる。
* 1967年3月1日 - 市制施行。
* 2001年3月28日 - 埼玉高速鉄道線が開通。鳩ヶ谷駅、南鳩ヶ谷駅開業。

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朝霞市

朝霞市(あさかし)は埼玉県南部、武蔵野台地の中北端にある人口約12万7千人の市。

地理

市の北東部の市境付近を荒川が、それよりも多少西側を新河岸川が南東に向かって流れる。また、中央部を黒目川が北向きの弧を描くようにして、東に向かって流れている。そして、南東部の広沢の池(市立図書館に程近い)から発する越戸川が、ほとんど和光市内に入りながらも東部の市境付近を北に向かって流れている。

地名の由来

かつてのこの地域の地名は「膝折」村(この地名の由来は、ある武士の馬がこの付近で足を骨折したためといわれている。)だったが、昭和7年(1932年)、現在の東京都世田谷区にあった「東京ゴルフクラブ」(現在は狭山市に再移転)が移転される際に、同クラブの名誉総裁で、当時の皇族であった朝香宮鳩彦王(やすひこおう)の名前にちなんで、町制施行にあわせて「朝霞」と改名された。但し、「朝香」という宮号をそのまま使用するのは畏れ多いということで一字変えて「朝霞」となった。

歴史

* 川越街道の宿場町(膝折宿)として古くから栄える。
* 江戸時代頃から、伸銅工業が盛んになる。
* 1889年4月1日 - 町村制施行に平行して膝折、溝沼、岡、台、根岸の5箇村が合併し、新座郡膝折村が成立する。
* 1896年3月29日 - 新座郡が廃止され、北足立郡に編入される。
* 1932年5月1日 - 北足立郡膝折村が改称・町制施行、朝霞町となる。
* 1955年4月1日 - 隣の北足立郡内間木村が朝霞町と合併。
* 1967年3月15日 - 市制施行。朝霞市になる。

その他

* 陸上自衛隊朝霞駐屯地の朝霞門右側に陸上自衛隊広報センターが所在する。
* 1972年(昭和47年)までは東武東上線朝霞駅近くに米軍施設キャンプ・ドレイクが存在した。現在では一部用地が学校や運動公園などに転用されたが大部分の土地は手付かず状態で残っているが、3ヘクタール分に対し、国家公務員宿舎を建設する事で財務省・県・市の3者間で合意した[1]。
* キャンプ・ドレイク跡地は、緑地公園、病院にしたいという意見や商業施設を誘致したいという意見がある。さらに最近は国家公務員宿舎移転の候補地にもなっており、利用計画はますます複雑で慎重に進めざるを得ない状況となっている。このため朝霞市立図書館、県立朝霞西高校、朝霞市民球場付近はうっそうとした木々が茂り貴重な自然が残っている。

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志木市

志木市(しきし)は、埼玉県南部にある人口約6万8千人の市。

概要

全国に先駆けて少人数学級の実施を行い、教育改革の先進地として話題になる。また大学生が市議を務めたり、荒れる成人式とは対照的に毎年一風変わった成人式を開催するなど、マスコミでも度々話題になる。[要出典] 世界に1本しかないと言われるチョウショウインハタザクラがある。 新座市、朝霞市、和光市(通称:朝霞班4市)との合併の計画があったが、実現しなかった。

地名の由来

* 古代の律令制施行による国郡里制以来の旧郡名「新座郡」に由来する。
* 1874年、いわゆる明治の大合併のとき、引又、舘の二村が合併することになったが、村名で大もめとなり、県に仲裁を仰ぐこととなった。その際、和名抄にあった「新座郡(にいくらぐん)志木郷」の名を取り、志木宿と名付けられた(後に、志木郷は現在の和光市白子だった事が判明し、誤って名付けてしまった事が分かった)。その後合併や分裂による町域の変更に伴い何度も町の名前が変わり、志紀町、足立町と名乗ったこともあったが、市制施行のとき志木市になった。

歴史

* 1896年3月29日 それまで所属していた新座郡が北足立郡と合体。以後北足立郡所属となる。
* 1944年2月11日 北足立郡志木町・内間木村、入間郡宗岡村・水谷村が合併し、北足立郡志紀町が発足する。
* 1948年4月1日 志紀町が分離し、合併前の志木町、宗岡村、水谷村、内間木村となる(何れも北足立郡)。
* 1955年5月3日 志木町と宗岡村が合併し、足立町が発足する。
* 1970年10月26日 市制施行に伴い名称変更、志木市となる。

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和光市

和光市(わこうし)は、埼玉県南部にある人口約7万8千人の市

概況

戦後、急速に東京のベッドタウンとして人口が増え、本田技研工業の工場建設(現在は工場は廃止)によって工業都市として発展。株式会社本田技術研究所の和光研究所、独立行政法人理化学研究所のほか、近年では、税務大学校、司法研修所、裁判所職員総合研修所などの国や民間の研究・研修施設の立地が進んでいる。

人口増加率は、1995年から2005年までの10年間で、21パーセントであり、埼玉県の市町村では1位である。全国ではトップ10に入っている。また生産年齢人口の割合も75パーセントに上り、全国トップ10に入っている。このため東京都内に比べて児童数が多く全体に若い雰囲気の街とも言える。

近年急速に住宅地として発展している街であるが、23区に隣接しているにもかかわらず、雑木林、畑が点在し、湧水もでており、新倉地域には狸も出没するなど、まだ武蔵野の自然が残っている。しかし、残念ながら江戸時代以前の面影を残すような建築物などはほとんど残っていない。

歴史

* 白子川沿いの台地には縄文期の遺跡が発見されている。隣接する成増地区にも同様に遺跡があり、台地上に集落が築かれていたと思われる。現在、その集落跡には寺社が建てられているケースが多い。
* 古墳時代から奈良時代にかけて、渡来人の移住があったとされる。その理由として白子(シラコ)は新羅(シラギ)の、新倉は新座(すなわち新羅)の転化とする説や、百済王子の住んだとされる牛房城伝説があるが、考古学的には実証されていない。ただ志木市や新座市にも同様の渡来人伝説があることから、単なる伝説ではないと考えられている。当市の近辺には、日高市の高麗神社(当時の国名である高句麗が由来)などもある。新座郡の項も参照されたい。
* いずれにせよ、かなり古い時代から白子台地には集落が築かれており、現に寺社も多く、その中心地は現在バス停に名をとどめているだけだが「市場」辺りだったらしい。
* 戦国期には白子台地上で上杉勢と北条勢の争い「白子の戦い」があった。
* 江戸期には川越街道の宿場として白子宿が栄えた。その中心地は熊野神社であり、現在もなお周辺には旧家が多い。中でも花火を稼業とした富沢家は中心的役割を占めており、現在も富沢姓の旧家が多い。
* 鉄道が敷かれ、川越街道のルートが変更されると、白子宿は寂れた。豊富な清水を利用して魚の養殖、水車営業も行われたが、衰退に歯止めはかからず、市の中心地は駅周辺に移って行った。
* 以前の白子には湧水が盛んに沸き出ており、明治9年(1876年)には白子村の熊野神社境内に日本最初の養魚場ができ、明治23年(1890年)に養魚場は閉鎖された。
* 川越街道は、15世紀に江戸城と川越城を築いた太田道灌が部分的にあった古道をつないだものが起源と考えられており、元々は近世の川越街道(現在の旧川越街道)の東を蛇行していた。近世の川越街道の完成は松平信綱が川越城に入った寛永16年(1639年)以後のことであり、板橋宿(板橋区)で中山道と分かれ、上板橋、下練馬、白子(和光市)、膝折(朝霞市)、大和田(新座市)、大井(大井町)の6宿を通って川越まで続き、さらに北の川島、松山、大里を通って中山道熊谷宿へ続く道である。

市名(町名)の由来

* 町制施行時に、町名に関してもめた為、「大いなる和」で一つになると言う意味から「大和町」と名付けられた。
* 市制施行時に、神奈川県大和市やほぼ同時期に市制施行する東京都東大和市と区別する為に新市名を一般公募し、「和光市」と名付けられた。地元にはこのような地名は無く、大和町と同じくいわゆる瑞祥地名である。
* 一般公募の際、現在の和光市内に住む「和光」さんも「和光市」と応募して、市の名称として採用されたという逸話がある。

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新座市

新座市(にいざし)は、埼玉県南部にある人口約15万6千人の市。比較的新しい市で、近年急速に発展した。ベッドタウンとして住宅開発が進む一方、出版・流通業を中心に工場なども多い。

市名の由来

古代の律令制施行による国郡里制以来の旧郡名「新座郡」に由来する。

地理

市のほぼ全域が武蔵野台地に位置する。河川の近くでは坂が多い。

歴史

* 1875年4月8日 野寺村、中沢村、十二天村、下中沢村、下片山村、石神村、原ケ谷戸村、辻村、掘ノ内村、栗原村が合併し、片山村が発足する。
* 1889年4月1日 町村制施行。新座郡大和田町、野火止村、北野村、菅沢村、西堀村が合併し、大和田町が発足する。
* 1896年3月29日 新座郡(にいくらぐん)が廃止され、北足立郡に編入される。
* 1955年3月1日 大和田町、片山村が合併し、新座(にいざ)町が発足する。
* 1970年11月1日 市制施行により、新座市となる。

町名由来とエピソード

* あたご - 小字、愛宕裏の地名から。江戸時代に愛宕社があったとされる。市内北西部に位置する。
* 池田(いけだ) - 黒目川 の氾濫から、田んぼが池の様になった為。
* 石神(いしがみ)- 江戸時代の村名から。古くは氷川神社の尊像名とも。
* 大和田(おおわだ) - 鎌倉時代から使われている地名。市内北西部、新座駅西側のエリア。農地も多い。
* 片山(かたやま) - 鎌倉時代から見出されている地名。片山姓発祥の地と言われている。また練馬区の飛び地・西大泉町を内包している(下記参照)。
* 北野(きたの) - 江戸時代の村名から。野火止の北側の原野を指していた。市内北部に位置し、立教大学がある。
* 栗原(くりはら) - 江戸時代の村名から。甲斐武田家臣とも。市内南端、ひばりヶ丘駅北側のエリア。ひばりヶ丘地区として住宅街を形成。
* 栄(さかえ) - 台地上にある新開地のため、これから栄えるよいうにと名付けられた。市内東端のエリアで、練馬区との境が入り組んでおり、大泉学園エリアとして住宅街を形成。また、いなげやの店舗やマンションなど「大泉学園」を冠するものが目立つ。
* 新堀(しんぼり) - 小字・新堀淵の名から。野火止用水からの新たな掘割、との意味も含むという。市内最西端で清瀬駅東側のエリア。清瀬市と東久留米市の間に食い込んだ形となり、東久留米市とは一部野火止用水で市境をなす。
* 菅沢(すがさわ) - 江戸時代の村名から。明暦2年に、横浜の菅沢から移住した人々の名に基づくという。市内西部、新座駅南のエリア。十文字学園女子大学がある。
* 道場(どうじょう) - 小字、道場の名から。鎌倉時代の時宗道場の名をとる。
* 東北(とうほく) - 小字、野火止東と北野の地名を一文字ずつとって、名付けられた。市内最北端のエリアで市内屈指の繁華街。東上線志木駅、サティや各金融機関の支店が密集している。
* 中野(なかの) - 江戸時代初期の朱印状に、中野の名が読み取れるという。市内北部のエリアで、三芳町と所沢市に食い込む形になっている。跡見学園女子大学・西武台高等学校がある。
* 新座(にいざ) - 江戸時代は水田地帯、大正時代に耕地整理を行う。市内北西部に位置し、住宅公団新座団地の開設・分譲を機に、「新座」との地名となる。志木ニュータウンの延長上にある。東武東上線の柳瀬川駅・志木駅両方共利用に便利。
* 新塚(にいづか) - 小字、新塚前・新塚原の地名から。古くは「廻国雑記」にその名がみられる。新座市営墓苑・埼玉県立新座総合技術高等学校がある。市内唯一の地番エリアである。
* 西堀(にしぼり) - 江戸時代の村名から。野火止の西の方にある用水堀だから。野火止用水を境に、旧電電公社旧田無局と清瀬局に別れている。三丁目の大半は、米軍大和田通信基地となっている。
* 野寺(のでら) - 江戸時代の村名から。古くは「廻国雑記」に、その名が見られるという。
* 野火止(のびとめ) - 江戸時代の村名から。古くは野火止塚に由来し、文明年間に記された「廻国雑記」にも、この地名が読みと取れるという。かつては焼畑農業をしており、その火(野火)を一定ラインで止める塚を作り止めた事から、野火止という名がついた、とする説がある。市のほぼ中央のエリア。新座駅・市役所・平林寺・凸版印刷がある。野火止5丁目周辺は住宅が多い。
* 畑中(はたなか) - 江戸時代の小字、「畑ケ中」(はたけなか)の名から。後年、「畑中」と呼ばれるようになる。市内北東部のエリア。高層マンションが立ち並ぶ。
* 馬場(ばば) - 江戸時代の小字名から。「ばんば」との読み方もあった。市内東部、関越自動車道北側のエリア。
* 東(ひがし) - 江戸時代の小字、上東・中東・下東の名より。市内北部に位置する住宅地区。
* 堀ノ内(ほりのうち) - 江戸時代の村名から。古くは中世城館跡。
* 本多(ほんだ) - 小字、本多の名から。徳川家臣の名とも。西武バスの営業所がある。かつては松平公家臣の屋敷町であった事から、「西屋敷」というバス停名に歴史を感じ取れる。

観光ほか

* 野火止用水(伊豆殿堀)

関連人物 - 松平信綱 伊奈半十郎 安松金右衛門 小畠助左衛門 玉川兄弟

* 平林寺

臨済宗妙心寺派の寺院。室町時代の太田氏により1375年(永和元年)に現在のさいたま市岩槻区に創建される。江戸時代の1663年(寛文3)に川越藩主松平輝綱が野火止に移転させた。茅葺の山門や、庭園や雑木林などがあり、境内林は国の天然記念物に指定されている。新座市役所各庁舎もこの一角にあり、市の歴史的中心地である。新旧川越街道沿道のいずれにも平林寺入口の巨大な石門があり、武蔵野の古刹の佇まいを見せている。(今でも、岩槻地区には「平林寺」という地名が残ったり、東北自動車道が「平林寺橋」の下をアンダーパスする場所がある)

* 平林寺半僧坊祭

毎年4月17日に行われる。

* 新座阿波踊り
* 旧海軍大和田通信所(現:米軍施設)はポツダム宣言を傍受した施設である。戦争体験を語り継ぐ平和教育については市もこうした身近な経緯から意欲的で、片山地区に歴史民俗資料館を設け一般公開している。敗戦の時分の米国による降伏を促す宣伝ビラや当時の教育についても小規模ながら展示している。

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桶川市

桶川市(おけがわし)は、埼玉県の中東部にある人口約7万5千人の市。

概要

古くは中山道の宿場町・桶川宿として発展し、江戸時代に周辺部で栽培されていた紅花は「桶川臙脂」としてその名を知られ、最上地方に次いで2番目の収穫高を誇っていた。桶川の地名の由来は「沖側」とか「起き川」等の説が有る。「沖側」説は、「オキ」は広々とした田畑の意で、その方向である「沖側」が訛ったという説。「起き側」説によると芝川と鴨川等の水源が有ることから「起き川」になったという説である。

年表

* 1889年4月1日 - 桶川宿・大谷領町谷村・上日出谷村・下日出谷村が合併し、北足立郡桶川町となる。
* 1955年1月1日 - 桶川町と加納村が合併し、桶川町となる。
* 1955年3月10日 - 桶川町と川田谷村が合併し、桶川町となる。
* 1956年4月1日 - 大字井戸木字後が上尾町(現在の上尾市)から分離、桶川町に編入される。
* 1956年4月2日 - 大字井戸木字後の一部が分離、上尾町に編入される。
* 1970年11月3日 - 市制施行により、桶川市となる。

名所・旧跡・観光・他

* 平成6年、紅花を街づくりのシンポルとしてよみがえらせ、「べに花の郷づくり事業」を展開している。
o 紅花ふるさと館(旧廿楽家住宅)
o べに花摘み取り園(見頃6月下旬から7月上旬)
* 桶川サン・アリーナ
* 熊野神社古墳 【国指定文化財】
* さいたま文学館
* 城山公園
* 武村旅館
* ホンダエアポート(軽飛行機専用の飛行場。飛行場を所有する本田航空の事務所は隣接する比企郡川島町に所在)
* 桶川スポーツランド
* 明星院
* 高井遺跡住居跡(現在の桶川市立桶川西小学校に位置する)
* 泉福寺(木造阿弥陀如来坐像) 【国指定文化財】

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久喜市

久喜市 (くきし) は、埼玉県東部にある人口約7万2千人の市。

地理

* 埼玉県東北部に位置し、都心までは約50km。
* 面積は25.35km^2。標高は13m以下で平坦である。
* 古利根川の流域であり、江戸時代以降河川の改修が行われ数々の用水路・排水路が西北から南東へ流れる。主なものは杉戸町との境界付近で合流し、大落古利根川となる。

歴史

* 戦国時代には二代目古河公方足利政氏が1518年(永正15年)に現本町六丁目にある館に隠居し、1519年(永正16年)この館を寺院に変え甘棠院と号す。また政氏は1531年(享禄4年)年に没するまでここで余生を全うする。

* 江戸時代には三河譜代米津政武がこの地に陣屋を設け久喜藩が立藩される。日光街道への道筋や、常陸・下総方面への道が通じていたことから産業が発達し、職人や商人の街として、 物資流通が盛んに行われる。

* 明治には日本鉄道久喜駅が1885年(明治18年)7月16日に開業する。1889年(明治22年)4月1日には久喜本町・久喜新町・上早見村が合併し、南埼玉郡久喜町となる。また、1899年(明治32年)8月27日には東武鉄道伊勢崎線が開業し、東北本線と東武伊勢崎線が交差する交通の要地として発展する。
* 1898年(明治32年)3月1日、久喜銀行が設立。
* 昭和には1954年(昭和29年)7月1日に久喜町・太田村・江面村・清久村が合併し、久喜町となり、1971年(昭和46年)10月1日には市制施行により久喜市となる。

観光など

* 甘棠院
* 光明寺
* 久喜れんげ祭り(4月29日)

久喜の提灯祭り(西口)(7月12・18日)

* 夏の商工祭り(西口)(7月下旬)
* 七夕祭り(東口)(8月7日)
* 久喜市民祭り(西口)(10月中旬)

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北本市

北本市(きたもとし)は、埼玉県の東部中央にある人口約7万人の市。江戸幕府による宿駅整備以前の1602(慶長7)年まで中山道の宿場、鴻巣宿があったことで知られる。

沿革

* 1889年4月1日 - 東間村・北本宿村・深井村・山中村・古市場村・北中丸村・常光別所村・花ノ木村が合併し、中丸村になる。下石戸上村・下石戸下村・石戸宿村・荒井村・高尾村が合併し、石戸村になる。
* 1943年2月11日 - 中丸村と石戸村が合併、北足立郡北本宿村になる。
* 1959年11月3日 - 町制施行に伴い、名称変更。北本宿村から北本町になる。
* 1971年11月3日 - 市制施行。

市名の由来と経緯

* 中山道の宿場・鴻巣宿が1602(慶長7)年に市宿新田(現在の鴻巣市)に移転し、以後本(元)鴻巣村と呼ばれるようになった。それが転じて本(元)宿村となる。明治時代に入り、同一郡内に本(元)宿村がもう一つ存在(現・さいたま市桜区南元宿)したため、北本宿村に改められた。
1889年に周辺村との合併により中丸村となり、旧北本宿村は中丸村大字北本宿となった。
* その後、1928(昭和3)年に高崎線の本宿信号場が駅に昇格した際に所在地が大字北本宿であることから北本宿駅となり、1943年に中丸村と石戸村が合併した際に、両村の最寄り駅である北本宿駅の名を採り、北本宿村が成立した。
* 1959年の町制施行と同時に自治体名を改称し、北本宿の宿を抜いて北本とした。旧中山道本宿交差点にある北本宿の碑や一部の地名辞典などで江戸時代の宿場町と記されるなど、北本という宿場があったかのような誤解が生じる要因となっている。
* 1971年の市制施行に先駆け、町内を発祥の地とし、信仰の拠点を置く解脱会関係者を中心として解脱市として市制施行する提案がなされたが実現せず、北本のまま市制施行し現在に至る。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 石戸城跡
* 東光寺
* 石戸蒲ザクラ - 日本五大桜

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八潮市

八潮市(やしおし)は、埼玉県の東南部にある人口約7万8千人の市。

歴史

* 1956年9月28日、南埼玉郡潮止村、八條村、八幡村が合併、八潮村となる。
* 1964年10月1日、町制施行、八潮町となる。
* 1972年1月15日、市制施行、八潮市となる。
* 1988年7月1日、埼玉県下初の生涯学習都市宣言を行う。
* 2005年8月24日、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線八潮駅が開業。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 大瀬の獅子舞
* やしお市民まつり
* 中川フラワーパーク

その他

* 市役所の内外装はいい意味での昭和の時代の建築物特有の落ち着いた雰囲気を醸し出している。
* 市役所内の正面玄関傍には市内の会社の製品を展示しているスペースがある。特に、消しゴムを加工して作られた(と思われる)色付きの様々なミニオブジェは時々模様替えをしており、来所者の目を楽しませている。

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富士見市

富士見市(ふじみし)は、埼玉県南東部にある人口約10万5千人の市。自然が多く残る首都圏のベッドタウンである。

概要

市の名は富士山がよく見えることに由来する。市章は、中央に富士の見える市ということで富士をおき、周囲に3本の川(荒川、新河岸川、柳瀬川)と旧3か村(鶴瀬村、南畑村、水谷村)の合併を意味した円を配し、富士見を象徴したもの。

上福岡市、入間郡大井町(以上、現・ふじみ野市)及び入間郡三芳町との合併の計画があったが、住民投票の結果、富士見市では合併賛成が上回ったが、上福岡市・大井町では住民投票成立の条件とした投票率が規定に満たずに不成立、三芳町では住民投票は成立したものの合併反対が賛成を上回ったため、合併協議は中止になった。

戦前

* 1873年(明治6年)、初めての学校(現在の鶴瀬小学校)が開校する。
* 1889年(明治22年)、鶴馬村と勝瀬村が合併し「鶴瀬村(つるせむら)」が、上南畑村と下南畑村、南畑新田村、東大久保村が合併し「南畑村(なんばたむら)」が、水子村と針ヶ谷村が合併し「水谷村(みずたにむら)」が、それぞれ誕生する。
* 1914年(大正3年)5月1日、東上鉄道(現在の東武東上線)の開通。同時に 鶴瀬駅開業。
* 1923年(大正12年)11月、南畑小作争議。これに参加した渋谷定輔氏が『農民哀史』を書く。
* 1936年(昭和11年)、鶴瀬村役場(のちの富士見村役場、富士見町役場、初代富士見市役所として使用)が建設される。
* 1944年(昭和19年)2月、水谷村が志木町(しきまち、現志木市)、宗岡村(むねおかむら、現志木市)と合併し志紀町(しきまち)になる。

戦後

* 1948年(昭和23年)、水谷村が志紀町から分離。
* 1954年(昭和29年)4月、埼玉県の指導による「鶴瀬行政支会合併促進研究会(通称:鶴瀬ブロック)」発足。鶴瀬村を中心に南畑(現富士見市)、福岡(上福岡市を経て現ふじみ野市)、大井(大井町を経て現ふじみ野市)、三芳(現三芳町)、柳瀬(現所沢市)の6村で合併協議が始まる。水谷村(現富士見市)は当初「朝霞ブロック」に所属。
* 1956年(昭和31年)9月30日、鶴瀬ブロックのうち入間郡鶴瀬村・南畑村、北足立郡(きたあだちぐん)水谷村の3村が合併し、入間郡富士見村(ふじみむら)が誕生。
* 1957年(昭和32年)11月、日本住宅公団による東上沿線初の公団団地・鶴瀬第一団地(230世帯)の入居開始。
* 1962年(昭和37年)7月、日本住宅公団鶴瀬第2団地(1,070世帯)の入居開始。
* 1964年(昭和39年)4月1日、町制施行、富士見町(ふじみまち)に。
* 1966年(昭和41年)5月1日、町章(現市章)制定。
* 1966年(昭和41年)9月13日、人間尊重都市宣言。
* 1970年(昭和45年)、人口増加率で全国2位を記録。
* 1971年(昭和46年)4月、学校3校(勝瀬小学校、上沢小学校、本郷中学校)が同時に開校し、町の予算の54%が教育費(=学校建設費)に充てられる。
* 1972年(昭和47年)4月10日、埼玉県内35番目の市制を施行し、富士見市(ふじみし)に。人口は59,265人。
* 1972年(昭和47年)、市長選挙で贈収賄行為があったことが発覚。当選した長根進午が辞任。(詳しくは山田三郎の項を参照のこと)
* 1973年(昭和48年)8月、市役所新庁舎(現庁舎)完成、同年9月3日から業務開始。
* 1975年(昭和50年)4月、埼玉県内で3番目となる富士見市立富士見養護学校を開校。
* 1977年(昭和52年)9月30日、スポーツ振興健康増進都市宣言。
* 1977年(昭和52年)10月21日、東武東上線 志木駅〜鶴瀬駅間にみずほ台駅開業。
* 1979年(昭和54年)、鶴瀬駅に西口を開設。
* 1982年(昭和57年)4月10日、市制10周年。富士見市民憲章制定。市の木、市の花の制定。
* 1982年(昭和57年)7月、第1回・ふじみ市民まつり開催。
* 1987年(昭和62年)7月19日、富士見市非核平和都市宣言。
* 1992年(平成4年)4月10日、市制20周年。
* 1993年(平成5年)11月15日、東武東上線 鶴瀬駅〜上福岡駅間にふじみ野駅開業。
* 2000年(平成12年)4月10日、環境にやさしい都市宣言。
* 2002年(平成14年)4月10日、市制30周年。
* 2002年(平成14年)11月1日、富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみ 開館。

旧跡

* 水子貝塚公園
o 縄文時代前期の遺跡で1937年(昭和12年)に発見され、以降、数回の調査の後、「学術上価値が高く状態が良好」として1969年(昭和44年)に国の史跡に指定される。
o 一般的な名称ではないが、一部で「水子式土器」が提唱された。
o 大規模な環状の貝塚と集落跡があり、これを再現する形で全体が整備され「水子貝塚公園〜縄文ふれあい広場〜」として1994年(平成6年)に開園。地表に貝塚の分布がわかるように表示してあり、また園内に展示館と資料館がある。
o 中央に大きな広場を設け、数軒の竪穴式住居を復元。発掘調査で出土した植物の種などを基に、公園周囲に「縄文の森」復元。近年では植物が大きく育ったため電線や住宅などがかくれ、縄文時代の“村”を体感できる。
o 木製の展望台があり「縄文の村」の様子を一望できる。
* 難波田城公園
o 平安時代末期に成立した武士団「武蔵七党」の一つ、村山党の金子氏を祖とする難波田氏の居城跡である。
o 1928年(昭和3年)に埼玉県史跡に指定され、古くから知られた史跡であった。1961年(昭和36年)に埼玉県旧跡に指定変更される。
o 公園として整備されるまでは、石碑だけが建つ小さな空き地、といった感じであった。
o 2000年(平成12年)に公園として開園。園内は、難波田城の堀や橋などを復元した城跡ゾーンと、富士見市内に建っていた古民家2軒と長屋門(いずれも富士見市指定有形文化財)を移築した古民家ゾーンにわかれており、その中央に難波田城資料館がある。この資料館は難波田氏や難波田城についてだけでなく、富士見市の近現代の歴史まで学べ、特に日本住宅公団鶴瀬団地の模型などは目を引く。
o 復元した堀の水を利用し、蓮や菖蒲の名所にもなっている。

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三郷市

三郷市(みさとし)は、埼玉県の南東の端にある人口約13万人の市。

地理

埼玉県の南東の端、関東平野の中に位置する。東京都心からは約20kmの距離である。市の東境を江戸川が、西の境を中川が流れる。そのほかにも市内を南北に河川が幾筋か流れている。土地は全体的に平坦であり、最高点で海抜約3m、最低点は海抜約1mの低地である。このため稲作がさかんである。

市北部は農地や高度経済成長期に計画された大規模団地(みさと団地、三郷早稲田団地、パークフィールドみさと(さつき平))などの区画された住宅地が多く、市南部は東京都に隣接していることもあり昔から住宅地が多い。市の中央部は住宅地のほか市街化区域もあり、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の開通に伴い開発が進んでいる。東部も急激に発展している。

歴史

高度経済成長期に大規模団地が造成され人口が急速に増加、「村」の成立から僅か16年で市制施行を果たしている。

1956年 17,313人(三郷村)
1964年 21,766人(三郷町)
1967年 30,849人
1972年 49,618人(三郷市)

* 1933年 (昭和18年) 7月1日 戸ヶ崎村と八木郷村が合併し、東和村が成立。
* 1956年 (昭和31年) 9月30日 東和村、彦成村、早稲田村が合併し三郷村が成立。
* 1964年 (昭和39年) 10月1日 三郷村が町制施行し三郷町となる。
* 1967年 (昭和42年) 12月1日 三郷町大字前間と吉川町大字三輪野江の境界を変更した。
* 1972年 (昭和47年) 5月3日 三郷町が市制施行し三郷市となる。
* 1973年 (昭和48年) 4月1日 武蔵野線開業と同時に、市初の鉄道駅である三郷駅開業。
* 1985年 (昭和60年) 1月24日 首都高速と常磐自動車道の三郷JCT開通。
* 1985年 (昭和60年) 3月14日 武蔵野線新三郷駅開業。
* 1992年 (平成04年) 11月27日 東京外環自動車道 外環三郷西IC開通。
* 2005年 (平成17年) 8月24日 つくばエクスプレス線三郷中央駅開業。
* 2005年 (平成17年) 11月27日 東京外環自動車道 三郷JCT〜三郷南IC間開通。

市名の由来

* 東和村・彦成村・早稲田村の三つの村が合併した。・・・「三」の字
* この地域は昔から二郷半領と呼ばれていた。・・・「郷」の字

以上から、三郷と名づけられた。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 埼玉県立みさと公園
* 番匠免運動公園

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蓮田市

蓮田市(はすだし)は、埼玉県中東部にある人口約6万人の市である。

歴史

約3万年前から人類が住んでいたといわれており、市内には多くの貝塚・住居跡等の遺跡が発見されている。また、市内の高台を中心に中世以前の武士城館跡が残るなど人々の暮らしの跡がみられる。江戸時代においては市内域はほぼ岩槻藩領であり(時期や場所により一部天領・旗本領等あり)、荒川の付け替えにより元荒川の水量が減少したことや見沼代用水の開通に伴い新田の開発が盛んに行われた。明治時代に入り鉄道が開通し蓮田駅が開業したことにより蓮田駅を中心に市街地が形成されていった。

* 1885年7月16日 日本鉄道蓮田駅が開業する。
* 1889年4月1日 町村制の施行により綾瀬村、黒浜村、平野村の3村が成立。
o 蓮田村・貝塚村・閏戸村が合併し、南埼玉郡綾瀬村となる。
o 黒浜村・城村・南新宿村・笹山村・江ヶ崎村が合併し、南埼玉郡黒浜村となる。
o 上平野村・高虫村・駒崎村・井沼村・根金村が合併し、南埼玉郡平野村となる。
* 1924年 武州鉄道開業(1938年廃止)
* 1934年10月1日 綾瀬村が町制施行に伴い名称変更、蓮田町となる。
* 1954年5月3日 蓮田町・黒浜村・平野村が合併し、蓮田町となる。
* 1956年1月1日 岩槻市の一部(川島及び馬込の一部)を編入する。
* 1972年10月1日 市制施行により、蓮田市となる。

現在、蓮田駅周辺の再開発事業を実施中。2007年3月16日に蓮田都市計画(蓮田市・白岡町・菖蒲町)の都市再開発方針として埼玉県から告示された。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 芥川龍之介自撰自筆の碑
* 西城沼公園
* はすだ市民まつり(8月下旬)
* さくらまつり(4月上旬)
* コスモスまつり
* 江ヶ崎城址 元・県指定史跡、現在は石碑のみ
* 閏戸の式三番(埼玉県指定無形民俗文化財)
* 関山貝塚・黒浜貝塚 それぞれ縄文時代前期の土器型式である関山式及び黒浜式の標式遺跡として知られており、黒浜貝塚は国指定史跡となっている。
* 蓮田市郷土資料館 黒浜式土器・関山式土器等を展示
* 武州鉄道 北足立郡神根村石神(現在の川口市)から南埼玉郡綾瀬村(現在の蓮田市)まで通っていた鉄道。

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坂戸市

坂戸市(さかどし)は、埼玉県中部にある人口約10万人の市。江戸時代には日光脇往還の坂戸宿であった。1916年10月、東上鉄道(現東武鉄道東上本線)が開通し発展した。

1976年(昭和51年)9月1日に、坂戸町から市制に移行した。

歴史

* 1889(明治22)年4月1日 - 町村制施行に伴い、入間郡坂戸村・浅羽村・片柳新田・片柳村・上吉田村・栗生田村・関間新田が合併し、坂戸村となる。
* 1896(明治29)年12月10日 - 町制施行により、坂戸町となる。
* 1954(昭和29)年7月1日 - 坂戸町・三芳野村・入西村・大家村・勝呂村が合併し、坂戸町となる。
* 1976(昭和51)年9月1日 - 市制施行。

* 市名の由来: 古来からの地名。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 坂戸市歴史民俗資料館
* 坂戸市民まつり(坂戸よさこい)北関東最大のよさこいと知られ、毎年30万人-50万人を動員
* 聖天宮(せいてんきゅう) 坂戸市塚越
* お釈迦様(5月5日)永源寺:釈迦降誕祭
* お天王様(7月)坂戸八坂神社

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幸手市

幸手市(さってし)は埼玉県東部にある人口約5万人の市。埼玉県の市の中では人口が最も少ない。

概要

江戸時代から日光御成街道と日光街道(奥州街道)の合流点に位置する宿場町として栄えていた。市内には徳川将軍が日光東照宮へ墓参する際に立ち寄った聖福寺や明治天皇が行幸した折に宿泊した行在所跡が残る。

近年では東京大都市圏の地価下落に伴い郊外の比較的遠距離帯に位置する幸手市においては、住宅需要が低迷し人口の減少をみている。2004年度末頃から幸手駅東口の拡張工事が急ピッチで進められている。それに伴い幸手駅前にあった東武ストア幸手店は加須店に吸収され、不二家駅前店はベルク幸手南店(御成街道沿い)に移転した。西口開設は用地取得も進みある程度の進展を見せている。

沿革

近代以前

* 幸手の地名は、この地に日本武尊が東征に際して「薩手が島」に上陸、田宮の雷電神社に農業神を祭ったという言い伝えが残っており、「幸手」の市名はその薩手(さって)に由来すると伝えられている。
* 鎌倉時代から江戸時代の初めにかけては古河公方の家臣一色氏の領地であったが、その後、大部分は天領に、関宿向川岸・槙野地は下総国関宿領となった。このころ、五街道が整備され、日光街道の宿場町として現在の市街地の基盤が形成される。

近代以降

* 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、幸手宿、内国府間村が合併し北葛飾郡幸手町となる(現在の中・北・西・南・東・緑台・大字幸手・大字内国府間の地域)。
* 明治28年(1895年)3月30日 - 千葉県東葛飾郡関宿町大字向河岸及び大字向下河岸を中葛飾郡豊岡村に移管し、大字西関宿とする。
* 大正6年(1917年) - 北葛飾郡桜井村大字細野を北葛飾郡吉田村に移管する。
* 昭和4年(1929年)4月1日 - 東武日光線幸手駅が開業。
* 昭和29年(1954年)11月3日 - 旧幸手町、行幸村、上高野村、吉田村、権現堂川村が合併し、幸手町となる。
* 昭和30年(1955年)
o 1月1日 - 桜田(さくらだ)村の一部(中川崎・下川崎)が合併。
o 4月1日 - 八代(やしろ)村、豊岡(とよおか)村の一部(中島・花島・槙野地・西関宿)が合併する。
* 昭和31年(1956年)1月1日・9月1日 - 大字戸島の一部(現在の杉戸町大字本島)を杉戸町に移管し、現在の市域となる。
* 昭和61年(1986年)10月1日 - 市制施行。

名所・旧跡・観光スポット
権現堂堤
権現堂堤

* 権現堂堤(桜土手)・・・埼玉県内有数の桜並木があり、本数は約1000本。
* 行幸湖(権現堂川・権現堂調整池)2004年彩の国まごころ国体カヌー競技開催
* マリア地蔵
* 義賑窮餓之碑

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鶴ヶ島市

鶴ヶ島市(つるがしまし)は、埼玉県中部にある人口約7万人の市。鶴ヶ島ジャンクションで知られる。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、脚折村・三ッ木村・三ッ木新田・五味ヶ谷村・戸宮村・大塚野新田・高倉村・町屋村・藤金村・上新田村・中新田村・下新田村・上広谷村・太田ヶ谷村が合併し、高麗郡鶴ヶ島村が成立する。
* 1896年3月29日 - 高麗郡が入間郡に編入され、入間郡鶴ヶ島村となる。
* 1942年 - 大字戸宮を入間郡勝呂村(現・坂戸市)へ編入。
* 1966年4月1日 - 町制施行により、鶴ヶ島町となる。
* 1991年9月1日 - 市制施行。

* 市町村合併の経緯
o 市制町村制の施行(1889年)以降合併はしていない。
o 1950年からの約50年間に人口がほぼ10倍に急増し、単独町制−単独市制へと至った。

* 鶴ヶ島市名の由来
o 島状の地に鶴が巣篭もったことから。

観光など

* 白鬚神社
* 雷電池(かんだちがいけ)の「脚折雨乞(すねおりあまごい)行事」 - 4年に1度しか行なわれない祭事。
* 高倉獅子舞

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日高市

日高市(ひだかし)は、埼玉県の南西部にある人口約6万人の市。ヒガンバナの名所、巾着田で知られる。

飯能市との合併を模索する声もあるが、まだ具体的な動きは出ていない。

歴史

716年に設置された武蔵国高麗郡高麗郷の地で、当時高麗郡大領に任命された高句麗王族・高麗若光を祭る高麗神社が鎮座する。高麗郡は668年に唐に滅ぼされた高句麗の亡命者を収容した。また江戸時代には高萩地区に日光脇往還の高萩宿が設けられた。

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、周辺村が合併、高麗郡高麗川村、高麗村、高萩村が成立する。
* 1896年3月29日 - 高麗郡が廃止され、入間郡に編入される。
* 1955年2月11日 - 高麗川村・高麗村が合併し、日高町となる。
* 1956年9月20日 - 日高町・高萩村が合併し、日高町となる。
* 1991年10月1日 - 市制施行。

町・市名の由来

* 諸説あるが、市の編纂委員会などの話によると、高麗・高麗川・高萩村が合併する際に、各村名に使われている「高」の文字の上に、「日和田山」の「日」の文字を冠したとする説が、有力であるとの事。

名所

* 巾着田
* 高麗神社
* 聖天院
* 野々宮神社
* 台滝不動尊
* 女影ヶ原古戦場跡(県指定旧跡)
* 五常の滝
* 高麗石器時代住居跡(国指定史跡)
* 台の高札場跡(江戸時代の掲示板)
* サイボクハム-直売施設、レストラン、まきばの湯
* 醤遊王国

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吉川市

吉川市(よしかわし)は、埼玉県の東南部にある人口約6万人の市。古くは舟運で栄えた。元天領。なまず料理で知られる。

歴史

中世以前から稲作地帯であり、この地域は二郷半領とよばれていた。江戸時代に入ると天領になり、大消費地・江戸に非常に近い生産地で中川の水運にも恵まれ、ますます稲作が盛んになった。

吉川市の範囲は中世までは下総国に属していたが、江戸時代から武蔵国に属するようになった。

* 1889年4月1日 北葛飾郡吉川村・旭村・三輪野江村がおかれる。
* 1915年11月1日 吉川村が町制施行し、吉川町になる。
* 1955年3月1日 吉川町・旭村・三輪野江村が合併し吉川町になる。
* 1996年4月1日 市制施行。 

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 八坂祭(7月中旬)
* 定勝寺
* 延命寺
* 清浄寺
* 喬高神社

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ふじみ野市

ふじみ野市(ふじみのし)は埼玉県南西部にある人口約10万人の市。2005年10月1日に上福岡市と入間郡大井町が合併して誕生した。

合併までの地域の歴史

農村地帯だったふじみ野市域は、東武東上線と上福岡駅が開通・開設されたことを契機に都市の芽が出始め、上野台、霞ヶ丘の両団地の建設によって急激に都市化が進み、東京のベッドタウンとして人口が急増した。当時の旧上福岡市は全国で最も人口密度が高い市として注目された。少子化が進む中、現在でも一部の小中学校では生徒・児童数が増え、クラスの数を増やしている学校もある。

その後ふじみ野駅が開業すると、畑作地帯であった同駅周辺の開発が急激に進み、超高層マンションや日本初のアウトレットモール(リズム)などが建設された。旧大井町は埼玉県内で最も人口増加率の高い町として、また全国で最も人口密度の高い町として知られるようになった。

2市2町の合併協議

1990年代前半から東入間青年会議所を中心に、上福岡市、大井町、富士見市、三芳町の合併運動が推進されてきた。

* 警察や消防、ゴミ処理の管轄が同じ、市街地に境界線が走り、非能率であることなどが、理由であった。

特に熱心であったのが上福岡市で、「合併できさえすれば、新市の名称や、新庁舎の位置には拘らない」と表明していた。また、合併時に国から給付される合併債で、上福岡市の財政赤字を解消させることも目的としていた。

一方で、最も消極的なのが、三芳町であった。それには以下のような理由があった。

* 町内に関越自動車道や国道254号線が走り、物流倉庫や町工場からの固定資産税収入が潤沢である。
* マンション群にも区長制度を適用し、110年間培ってきた地域社会の枠組みを変えたくない。

2市2町による合併協議会において合併後の市名として「ふじみ野市」が使用されることが決まったが、2004年に実施された住民投票の結果は以下の通りとなり、合併協議は破綻した。

* 富士見市では賛成が上回った。
* 上福岡市では賛成が上回っていたものの、法定投票率に届かず、不成立。
* 大井町は、不成立の上、反対が上回っていた。
* 三芳町では、成立した上、反対が上回っていた。

合併を推進してきた保守系議員たちは、合併はほぼ実現すると読んでいただけに、困惑の色を隠さなかった。と同時に、ほとんどが合併推進を断念した。三芳町の林孝次町長は、実は私的に反対派の集会に足を運んでおり、反対が上回ったときには、「三芳町は独立独歩で行く」と単独市制実現を目指す意向を表明した。

ただ、三芳町は、2006年現在人口約35000人。駅もなく、中核商業地もなく、富士見市内にある鶴瀬駅やみずほ台駅を中心に新市街が広がったことを考えると、単独市制はかなり困難だと言えるだろう。

大井町も、2005年に実施された国勢調査で、人口が5万人を超えるようなら、単独市制を窺っていたようであるが、48000人と及ばなかった。

上福岡市と大井町の合併

その後、改めて上福岡市と大井町とで合併協議が進められ、1市1町での合併が行われることとなり、公募により最多得票を得たふじみ野市を市名とすることとした。しかし、市名の由来となった東武東上線ふじみ野駅はふじみ野市ではなく富士見市にあり、また名前が類似していて紛らわしいことから、富士見市はこの市名を使用することを批判している。にも拘らず、新市名にふじみ野市を採用したことは、将来的には2市2町合併の仕切り直しを検討しているからだともされる。なお、その他候補に挙がった市名は、「大福市」「栄市」「西さいたま市」などであった。

住所表記

* 上福岡市中央・入間郡大井町中央・上福岡市武蔵野・入間郡大井町大字武蔵野は重複する為、次のように町名が変更となった。
o 上福岡市中央→ふじみ野市福岡中央
o 入間郡大井町中央→ふじみ野市大井中央
o 上福岡市武蔵野→ふじみ野市福岡武蔵野
o 入間郡大井町大字武蔵野→ふじみ野市大井武蔵野
* 上記以外は下記の例のように変更となった。
o 例1:上福岡市大字福岡→ふじみ野市福岡
o 例2:上福岡市福岡→ふじみ野市福岡
o 例3:入間郡大井町大字大井→ふじみ野市大井
o 例4:入間郡大井町大井→ふじみ野市大井

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伊奈町

伊奈町(いなまち)は、埼玉県の中東部にある人口約3万9千人の町。

歴史

町名は江戸時代初期の関東郡代で利根川東遷事業をおこなった伊奈忠次を輩出した伊奈氏の屋敷(小室藩)があったことにちなむ。

* 1943年7月15日 小針村と小室村が合併し、伊奈村となる。
* 1970年11月1日 町制施行により、伊奈町となる。

観光ほか

* 埼玉県県民活動総合センター
* 乗馬クラブ クレイン伊奈
* 伊奈氏屋敷跡
* 無線山(桜)
* 伊奈町町制記念公園(バラ)
* 伊奈まつり(8月)

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三芳町

三芳町(みよしまち)は、埼玉県の南にある人口約3万7千人の町.。サツマイモの生産でとして知られる。

歴史

町名は、伊勢物語からとられている。明治22年の合併の際に三芳野村とする予定だったが、先行して他に同名の3村が埼玉県内に誕生しており、県から多すぎるために変更を求められ野を省き三芳村とした。なお三つの三芳野村は、その後合併で廃止している。

沿革

* 1889年(明治22年)4月1日 - 入間郡上富村、藤久保村、竹間沢村、北永井村の4村が合併し三芳村が成立する。
* 1970年(昭和45年)11月3日 - 町制施行により、三芳町となる。

概要

* 東京に最も近い「町」で、ベッドタウンとしての開発発展も進みつつある。上福岡市、入間郡大井町(以上、現・ふじみ野市)及び富士見市との合併の計画があったが、住民投票の結果、富士見市では合併賛成が上回ったが、上福岡市・大井町では住民投票成立の条件とした投票率が規定に満たずに不成立、三芳町では住民投票は成立したものの合併反対が賛成を上回ったため、合併協議は中止になった。地方交付税不交付の財政優良自治体として、単独市制を目指しているが、交通改良などの面で問題点も多いと思われ、周辺市とともに首都圏のベッドタウンとして増大する交通面での歪みが大きくなりつつある。今後の動向が注目される。

* なお、富士見市との境界線の入り乱れが激しく、目の前に富士見市立つるせ台小学校がありながら、歩いて15分かかる三芳町立藤久保小学校に通学を余儀なくされている児童も多い(この事は旧大井町の境界の入り組みとも同じ)。富士見市立西中学校は、敷地が三芳町内にあるため、公共料金を三芳町に納めている他、正門前のマンションに住む生徒が、畑の中の道を歩いて三芳町立東中学校に通学することを余儀なくされている。そもそも三芳町の住宅地は、鶴瀬やみずほ台など、富士見市内の駅を中心に開発されたものであり、学区の弾力運営や、コミュニティーボランティアへの相互受け入れなどを進める必要があると言えよう。

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毛呂山町

毛呂山町(もろやままち)は、埼玉県南西部にある人口約3万9千人の町。

西部は自然が残る外秩父山地、北東には岩殿丘陵がかすめ、東部は水田が広がる低地、中央部をJR八高線と東武越生線が走り、沿線を中心に宅地化が進んでいる。果樹園が多く、特にユズの産地として知られている。

歴史

縄文中期頃にはすでに人々が生活をしていた痕跡があり、これまでに約120ヶ所の遺跡が確認されている。

* 1871年11月 - 廃藩置県による第1次府県統合が行われ、現在の町域は入間県の管轄となる。
* 1873年6月 - 入間県と群馬県が統合され、熊谷県の管轄となる。
* 1875年 - 入間郡堀込村・馬場村・平山村が合併して岩井村となり、現在の町域に川角村・西戸村・市場村・箕和田村・西大久保村・大類村・苦林村・下川原村・毛呂本郷・長瀬村・小田谷村・前久保村・岩井村・滝野入村・権現堂村・阿諏訪村・大谷木村・宿谷村・葛貫村の19村が成立する。
* 1876年8月 - 熊谷県が廃止され、埼玉県の管轄になる。
* 1889年4月1日 - 町村制施行により、川角村・西戸村・市場村・箕和田村・西大久保村・大類村・苦林村・下川原村が合併し、現在の町域の東部が川角村となる。毛呂本郷・長瀬村・小田谷村・前久保村・岩井村が合併し、現在の町域の中部が毛呂村となる。滝野入村・権現堂村・阿諏訪村・大谷木村・宿谷村・葛貫村が合併し、現在の町域の西部が滝野入村となる。
* 1891年8月20日 - 滝野入村が名称を変更し、山根村となる。
* 1939年4月1日 - 毛呂村と山根村が合併し、毛呂山町となる。
* 1955年4月1日 - 川角村と合併し、毛呂山町となる。
* 1957年 - 入間郡坂戸町の一部を編入する。
* 1962年 - 武州長瀬駅周辺に団地開発がはじまる。
* 1968年 - 毛呂山町公民館を建設する。
* 1978年 - 県立毛呂山高校が開校する。
* 1987年 - 新図書館が開館する。
* 1989年 - スポーツ健康都市を宣言する。
* 1990年 - 毛呂山町民憲章を制定する。
* 1993年 - 歴史民俗資料館が開館する。
* 1999年 - ゆずの里オートキャンプ場がオープンする。
* 2004年 - 町界町名地番整理事業が開始される。

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越生町

越生町(おごせまち)は、埼玉県のほぼ中央にある人口約1万3千人の町。関東三大梅林の1つである越生梅林を有する。

歴史

近現代

* 1889年4月1日 - 町制施行。
* 1955年2月11日 - 梅園村を編入。

名所

* 越生梅林
o 関東三梅林、付近は江戸時代からの行楽地として知られる。梅を栽培している農家が多い。
* 黒山三滝
* 黒山鉱泉
* 山吹の里
* 春日神社
* 法恩寺
* 五大尊つつじ公園
o 手前の五大尊明王から小高い山にかけて一面のつつじ。関東一のつつじの名所、その歴史は江戸期から続く。
* あじさい公園
* ゆうパークおごせ
* ウェルサンピア埼玉おごせ (埼玉厚生年金休暇センター)
* 大宅壮一文庫越生分館

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滑川町

滑川町 (なめがわまち) は、埼玉県中部、比企郡のにある人口約1万6000人の町である。

概要

町の大部分は比企北丘陵で占められるが南端は東松山台地がかすめる。町のほぼ中央を東西に滑川が流れ、東部には武蔵丘陵森林公園が広がる。近年、東武東上線の駅周辺を中心とする住宅開発などによって人口の増加が著しく、出生率は県内一、人口増加率は全国の町村のうち第3位である。[1]

歴史

* 1954年(昭和29年)11月3日 - 比企郡福田村、宮前村が合併し滑川村となる。
* 1974年(昭和49年)7月 - 国営武蔵丘陵森林公園が開園する。
* 1984年(昭和59年)11月3日 - 町制施行し滑川町となる。

名所

* 国営武蔵丘陵森林公園
* 滑川町エコミュージアムセンター
* 泉福寺 - 木造阿弥陀如来坐像は国の重要文化財
* 二ノ宮山展望塔

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嵐山町

嵐山町 (らんざんまち) は、埼玉県中部に位置する人口約2万人の町である。

平安時代末期の武将源義仲や畠山重忠ゆかりの地で、江戸時代には江戸と上州を結ぶ川越児玉往還の菅谷宿として栄えた。

地理

町の中央部と北部には東松山台地が広がる。北東部は比企北丘陵の西端部に位置し、南部は岩殿丘陵の北端に位置する。西部は外秩父山地の外縁となっており、南北に八王子構造線が貫いている。日本の国蝶オオムラサキが生息する地としても有名である。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、比企郡菅谷村・七郷村が発足。
* 昭和初期、武蔵嵐山渓谷が京都の嵐山の風景によく似ている(本多静六)と評判になり、多数の観光客が訪れる。
* 1955年4月15日 - 菅谷村と七郷村が合併し、菅谷村が発足。
* 1967年4月15日 - 町制施行・改称し嵐山町となる。

施設・名勝・旧跡

* 国立女性教育会館
* 埼玉県立嵐山史跡の博物館(旧埼玉県立歴史資料館)
* 財団法人 郷学研修所
* 安岡正篤記念館
* 社会福祉法人 埼玉県社会福祉事業団 嵐山郷
* おもちゃ図書館
* 嵐山渓谷  - 町名の由来。京都嵐山の風景に似ていたことから命名された。
* 菅谷館(城)跡(国指定史跡。鎌倉時代初期の武将畠山重忠の居館跡)
* 大蔵館跡(県指定史跡。平安時代末期の武将源義賢の居館とされているが、発掘調査の結果南北朝時代の遺構であると判明。真の館の主は不明)
* 鎌形八幡宮(源義賢の息子源義仲生誕の地)
* 鬼鎮神社(日本で唯一の鬼を祀った神社。菅谷館の鬼門を封じるために創建されたとされる)

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小川町

小川町 (おがわまち) は、埼玉県中部、比企(ひき)郡の町であり、比企地方の北西、秩父地方のすぐ外側に位置する。「武蔵の小京都」の異名を持ち、また、伝統工芸の和紙で知られる。

名誉町民である元・埼玉県議会議長 小久保太郎 の作詞による「ピッカリ千両」は、町の歌とも言われ、これによれば「山の町、酒の町、紙の町」である。

歴史

* 1955年2月11日 - 比企郡の1町3村、小川町、大河村、竹沢村、八和田村の合併により誕生する。
* 1956年1月1日 - 大里郡寄居町の西古里地区と鷹巣地区のそれぞれ一部を編入する。

和紙

小川町は古くより和紙の生産で栄えた。特産品である手漉きの「細川紙」は、国の重要無形文化財の指定を受けている。

太平洋戦争末期、風船爆弾の製造に当たっては実験段階から主に小川和紙が使用された。これは小川和紙が繊維が長く強度に優れる「細川紙」であること、和紙産地の中で小川町が比較的東京に近いことなどによる。

古くから起業家精神(アントレプレナーシップ)が盛んな土地として知られ、東証一部上場のスーパー「ヤオコー」や、衣料品小売「しまむら」は、それぞれ小川町の八百屋「八百幸」、「島村呉服店」が発端である。

特産品・名物

* 和紙
* 忠七めし
* 女郎うなぎ

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川島町

川島町 (かわじままち) は、埼玉県中部に位置する人口約2万3千人の町。比企郡に属する。

産業の中心は農業であるが首都圏中央連絡自動車道(圏央道)のインターチェンジが建設される予定で商業の新たな発展に期待されている。

現在、川島町では、隣接する川越市との合併の計画が持ち上がっている。

歴史

* 1954(昭和29)年11月3日 - 中山村・伊草村・三保谷村・出丸村・八ツ保村・小見野村が合併し、川島村となる。
* 1972(昭和47)年11月3日 - 町制施行。

イベント・名所・旧跡・観光

* 遠山記念館
* 桶川スポーツランド(サーキットは桶川市だが主宰する桶川塾の住所は川島町)
* ホンダエアポート(滑走路等施設は桶川市とまたがる。事務所所在地は川島町)
* 鳥羽井沼
* 広徳寺大御堂
* 伊草獅子舞

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吉見町

吉見町 (よしみまち) は、埼玉県中部、比企郡の東部にある人口約2万2千人の町である。 横穴古墳群「吉見百穴」(よしみ・ひゃっけつ/ひゃくあな)があることで知られる。また、イチゴの産地としても知られている。

歴史

* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、横見郡の43ヶ村が東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村の4ヶ村になる。
* 1896年(明治29年)4月1日 - 府県制施行による埼玉県内の郡の再編により、横見郡が廃止、比企郡に統合される。
* 1954年(昭和29年)7月1日 - 東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村が合併し、吉見村となる。
* 1972年(昭和47年)11月3日 - 町制施行により、吉見町となる。

観光

* 吉見百穴
* 松山城址
* 吉見観音(坂東三十三箇所11番札所・岩殿山安楽寺)
* 息障院(伝源範頼館跡)
* ポンポン山(高負彦根神社)
* 八丁湖
* 黒岩横穴墓群
* 桜堤
* 道の駅いちごの里よしみ
o 吉見町は、「いちごの里」を冠した道の駅が設置されている事からもわかるように、県内有数のイチゴの産地(主にとちおとめ)である。いちご狩りのシーズンには、道の駅や町内各地のいちご農家および特設のいちご直売所で、観光客でにぎわっている。
* いちご街道-埼玉県道33号東松山桶川線、大串〜飯島新田までのいちご農園が並んでいる区間の通称
* 大串毘沙門様縁日(大串毘沙門堂)2月13日
* 百穴温泉 東京から一番近い混浴温泉

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鳩山町

鳩山町(はとやままち)は、埼玉県中部にある人口約1万8千人の町。

歴史

* 奈良時代に須恵器や瓦などの窯業の一大産地として栄えた。(南比企窯跡群)
* 鎌倉時代に鎌倉街道が整備されると、宿場町や、材木の中継地として賑わいを見せた。
* 1955年 - 比企郡亀井村・今宿村が合併し鳩山村が発足する。
* 1974年 - 鳩山ニュータウンが完成し人口が急増。
* 1982年 - 町制施行し鳩山町となる。

名所

* おしゃもじ山公園
* 宇宙航空研究開発機構・地球観測センター
* 気象庁・気象衛星通信所(気象衛星センター) 
* トロッコ公園

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ときがわ町

ときがわ町(ときがわまち)は、埼玉県中部にある人口約1万3千人の町。 2006年2月1日に比企郡玉川村と都幾川村が合併して誕生した。町名の由来は両村内を流れる都幾川から因む。 町の大部分は外秩父山地に属するが南西部は岩殿丘陵の西端に位置する。

歴史

* 2006年(平成18年)2月1日 - 比企郡玉川村・都幾川村が合併し発足。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 都幾川温泉
* 玉川温泉
* 慈光寺( 坂東三十三箇所観音霊場九番)
* 雀川砂防ダム公園
* 小倉城址
* みかん狩り
* 都幾川村星と緑の創造センター
* たまがわ花菖蒲まつり

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横瀬町

横瀬町 (よこぜまち) は、埼玉県北西部、秩父郡の町である。武甲山の北側、秩父盆地の南東の端に位置する。

歴史

* 1955年2月11日 - 横瀬村と芦ヶ久保村が合併し、横瀬村となる。
* 1984年10月1日 - 町制施行により横瀬町となる

観光

* 秩父三十四箇所
* 丸山鉱泉
* 武甲温泉
* あしがくぼ果樹公園村

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皆野町

皆野町(みなのまち)は、埼玉県の北西部に位置する人口約1万1千人の町。秩父郡に属する。秩父音頭発祥の地。

長瀞町との合併協議がなされていたが、(住民投票では秩父市との合併を望む声が多数だった)新町名を巡って協議が難航し、実現しなかった。

歴史

* 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、皆野村が誕生。
* 1914年10月27日 秩父鉄道親鼻駅と皆野駅が開業。
* 1928年11月10日 町制施行により、秩父郡皆野町となる。
* 1943年9月8日 近隣5ヶ村(国神村、金沢村、日野沢村、三沢村、大田村)と白鳥村の一部(下田野)と合併し、秩父郡美野町となる。
* 1946年12月1日 美野町が解体し、1町5ヶ村(皆野町、国神村、金沢村、日野沢村、三沢村、大田村)に分離。旧白鳥村の一部(下田野)は皆野町に所属となる。
* 1955年3月1日 皆野町、国神村、金沢村、日野沢村が合併し、秩父郡皆野町となる。
* 1957年3月31日 三沢村を編入する。

観光スポット

* 長瀞
* 椋神社:獅子舞が無形民俗文化財
* 秩父温泉 満願の湯:水素イオン濃度(ph)9.5という全国有数の極めて高いアルカリ温泉

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長瀞町

長瀞町(ながとろまち)は埼玉県秩父郡にある人口約8千人の町。長瀞渓谷をはじめとする数々の観光名所を有する。

皆野町との合併が検討され、合併調印締結の一歩手前の段階まで協議が進んでいたが、唯一新町名で折り合いがつかず、2005年3月31日に「皆野町・長瀞町合併協議会」は解散となった。

地理

秩父盆地の北端に位置し、北に不動山、陣見山、南西に宝登山と山々に囲まれた町の中央には荒川が南北に流れており、長瀞渓谷となっている。その川に沿って鉄道、国道が延びている。

歴史

* 1889年4月1日 - 本野上村・中野上村・藤谷淵村が合併し、秩父郡野上村となる。
* 1940年2月15日 - 町制施行により、野上町となる。
* 1943年9月8日 - 樋口村および白鳥村の一部を編入する。
* 1971年11月1日 - 町名変更により、長瀞町となる。

観光

* 長瀞渓谷 - 名勝(国指定)。

* 岩畳
* ライン下り
* 長瀞船玉祭(8月15日)
* ラフティング
* カヤック

* 埼玉県立自然の博物館
* 天然氷(阿左美冷蔵)
* 宝登山神社

その他

* 長瀞の「瀞」の字はJIS X 0208では略字体が採用されており、正確に表示できない。正しくは中央の青が悄雰遒任呂覆円)、右の争は爭である。表外漢字字体表に基づき、JIS X 0213:2004では正字体に変更されたため、対応したフォントであれば正確な字体で表示可能である。
* 現在埼玉県では東秩父村に次ぎ、2番目に人口の少ない市町村となっている。
* 旅番組やドラマなどの撮影が頻繁に行われている。

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小鹿野町

小鹿野町(おがのまち)は、埼玉県秩父地方にある人口約1万4千人の町。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、秩父郡小鹿野町・長若村・三田川村・倉尾村・両神村が発足。
* 1955年4月1日 - 小鹿野町と長若村が合併し、小鹿野町となる。
* 1956年3月31日 - 小鹿野町、三田川村、倉尾村が合併し、小鹿野町となる。
* 2005年10月1日 - 小鹿野町、両神村が合併し、新・小鹿野町となる(現在の町域が完成)。

名所・旧跡・観光・祭事

* クアパレスおがの(町営温泉館)
* 秩父三十四箇所
o 三十一番 鷲窟山観音院
o 三十二番 般若山法性寺
* おがの化石館
* 尾の内渓谷
* 岩殿沢
* 地蔵寺(水子観音)(盂蘭盆会・花火大会)
* 小鹿野歌舞伎
* ジャンボひょうたん
* 小鹿野囃子
* 道の駅両神温泉薬師の湯
* 小鹿神社春祭り(4月第3土曜日)
* 小鹿野夏祭り(7月21日・22日)
* 小鹿野七夕祭り(8月第1土曜日)
* ふるさとまつり(11月3日)
* 鉄砲祭り(12月第2日曜日)
* 両神山
* 二子山
* 福寿草、ニリンソウ、ハナショウブ、ロウバイ、ヤシオツツジ等の花
* 埼玉県山西省友好記念館「神怡舘」
* わらじカツ丼(タレかつ丼の一種)
* 丸神の滝

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東秩父村

東秩父村(ひがしちちぶむら)は、埼玉県西部に位置する人口約3,600人の村。2006年2月1日より埼玉県内で唯一の村である。

概要

秩父郡に属しているものの、秩父盆地から山を隔てた東側にあることから、広域行政においては秩父地方ではなく、隣接する比企郡の自治体とともに比企広域市町村圏組合を構成し、比企圏域に属する。

古くから「和紙の里」として知られ、隣接する小川町と共に「細川紙」の産地である。

歴史

* 1956年(昭和31年)8月1日 - 秩父郡大河原村・槻川(つきかわ)村が合併し、東秩父村となる。

比企地区8市町村合併の動き

*
o 2003年3月3日 比企地区任意合併協議会設置(東松山市・比企郡滑川町・嵐山町・小川町・都幾川村・玉川村・吉見町・秩父郡東秩父村)
o 2003年4月1日 協議会事務局設置(東松山市役所内)
o 2003年5月21日 第4回協議会において比企地区任意合併協議会解散を決定

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美里町 (埼玉県)

美里町(みさとまち)は、埼玉県北西部にある人口約1万2千人の町。 自然に恵まれ、ブルーベリーなどの観光果樹園が町内各地にある。歴史も深く、文化財も多数残る。

歴史

近現代

* 1889年4月1日 - 那珂郡広木村・駒衣村・中里村・古郡村・甘粕村・木部村が合併し、松久村となる。那珂郡白石郷・猪俣村・円良田村が合併し、大沢村となる。児玉郡阿那志村・根木村・沼上村・関村・下児玉村・南十条村・北十条村・小茂田村が合併し、東児玉村となる。
* 1896年3月29日 - 那珂郡が廃止され、児玉郡に編入される。
* 1954年5月 - 3村合併協議会発足
* 1954年10月1日 - 児玉郡東児玉村・松久村・大沢村が合併し、美里村となる。
* 1957年4月1日 - 大字広木の一部を児玉町に編入。
* 1974年10月 - 合併20周年記念式典挙行。
* 1976年4月1日 - 児玉町との間で境界変更。(大字下児玉の一部と児玉町大字下浅見の一部)
* 1981年6月1日 - 大里郡岡部町との間で境界を変更。(大字関の一部と岡部町大字後榛沢の一部)
* 1984年10月1日 - 町制施行し美里町となる。合併30周年記念式典挙行。
* 1984年12月1日 - 大里郡岡部町との間で境界を変更。(大字関の一部と岡部町大字後榛沢の一部)
* 1989年3月1日 - 大里郡岡部町との間で境界を変更。(大字関の一部と岡部町大字後榛沢の一部)
* 1989年10月 - 合併35周年、町制5周年記念式典挙行。
* 1992年12月 - 戸田市と姉妹都市提携調印。
* 1994年10月 - 合併40周年、町制10周年記念式典挙行。
* 2002年2月 - 松久駅改築。
* 2004年10月1日 - 合併50周年・町制20周年となる。11月、記念イベントも行われる。
* 2004年10月 - まごころ国体で、綱引き競技を開催。炬火リレーも行われる。

遺跡、墓等

* 真東寺
* 水殿瓦窯跡(国指定史跡)

沼上地区にある鎌倉時代の窯で、4基が確認されている。文治5年(1189年)に源頼朝が建立したといわれている永福寺跡から見つかった瓦と似ているので、永福寺修理に使われた瓦が生産されたのがここだといわれる。

* さらし井の遺跡(県指定旧跡)

広木地区にある、奈良時代に織布を洗いさらすために使用された井戸の遺跡。

* 義民遠藤兵内の墓

美里町周辺で農民が起こした一揆の中心になった義民、遠藤兵内の墓。兵内は、打ちこわしの犯人とされ、無念の死を遂げた。

* 猪俣小平六範綱の墓

猪俣小平六範綱は、武蔵七党の一つ、猪俣党として功績を残した武士。

名所、観光

* 美里町観光農園 美里町観光農園情報

あんず、うめ、ブルーベリー(植栽4ha)、プルーンの4つの果実が、フレッシュ果実として観光果樹園で育てられている。夏のシーズンには収穫体験ができる。

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神川町

神川町(かみかわまち)は埼玉県の北西にある人口約1万5千人の町。梨の特産地として知られる。 また、日本武尊創建として有名な金鑚神社がある。

秋には町内全域でコスモスが咲く。

2006年1月1日、隣接する神泉村との新設合併により、新たに神川町となった。

沿革

* 1889年4月1日 - 町村制施行により、丹荘、青柳、若泉の3村が成立する。
o 賀美郡植竹、元阿保、原新田、八日市、関口、肥土、貫井、小浜、四軒在家の各村と児玉郡熊野堂村が合併して賀美郡丹荘村となる。
o 児玉郡二ノ宮、新宿、池田、中新里、新里の各村が合併して青柳村となる。
o 児玉郡渡瀬、下阿久原、上阿久原の各村が合併して若泉村となる。
* 1896年3月29日 - 賀美郡が児玉郡と統合され児玉郡丹荘村となる。
* 1949年12月1日 - 若泉村が分裂し渡瀬村と阿久原村となる。
* 1954年5月3日 - 児玉郡丹荘村・青柳村が合併し、神川村が発足。
* 1957年5月3日 - 渡瀬村を編入する。
* 1987年10月1日 - 神川村が町制施行し(旧)神川町となる。
* 2006年1月1日 - (旧)神川町・神泉村が合併し、神川町が発足。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 神川町コスモスまつり(10月)
* かみかわ駅伝大会(1月)
* 金鑚神社
* 神流川温泉(白寿の湯)
* 三波石峡 - 国の名勝・天然記念物。(1957年7年3日指定)
* 冬桜祭 - 一年に二度咲くという冬桜の開花時期に合わせている。
* 城峯公園
* 冬桜の宿 神泉
* 下久保ダム - 神流川対岸の旧鬼石町側から国道経由で着く。埼玉県側の県道は山の北側になるので根雪や落石があり道幅も狭い。ダムに沈む前の村の小中学校をそのままで残した施設(下久保コテージ)が町営で運営されている。
* 埼玉県100年の森

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上里町

上里町 (かみさとまち) は、埼玉県の北部にある人口約3万1千人の町。

概要

埼玉県の最北端の町で、神流川、烏川を挟み群馬県との県境を有する。町の南東部には大規模な工業団地がある。

1954年(昭和29年)に児玉郡の神保原村(じんぼはら)、賀美村(かみ)、七本木村(しちほんぎ)、長幡村(ながはた)の4ヶ村が合併して成立した上里村から、1971年(昭和46年)に町制へ移行した。「上里」の名は、かつてこの辺りの一帯を「賀美郡」(かみぐん)と称していたことに因む。

歴史

1883年(明治16年)12月に東京・上野と群馬・新町を結ぶ日本鉄道(現在のJR高崎線)が開通、1897年(明治30年)11月にはこの地に神保原停車場(現在の神保原駅)が開業した。

年表

* 1954年(昭和29年)5月3日 - 児玉郡神保原村、賀美村、七本木村、長幡村が合併し上里村となる。
* 1971年(昭和46年)11月3日 - 町制を施行し上里町となる。

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寄居町

寄居町(よりいまち)は、埼玉県北西部、大里郡にある人口約3万7千人の町。同郡唯一の自治体である。

地理

荒川の中流域、長瀞のすぐ下流に位置し、その左岸に街が発達する。古く秩父往還の街道筋にあり、宿場町として栄えた。また、街の対岸にはかつて鉢形城があり、その城下町でもあった。 荒川は秩父山地に発して寄居で関東平野に注ぐ。寄居から山よりは外秩父と上武山地にはさまれた渓谷になり秩父鉄道も国道140号も幅が狭くなる。このため古くから地の利を生かした要害であった。現在でも鉄道がターミナルを成していて、秩父市・雁坂峠・甲府市に通じる要衝である。

歴史

* 1889年(明治22年)4月1日 - 寄居町・藤田村・末野村が合併し、榛沢郡寄居町となる。
* 1896年(明治29年)3月29日 - 榛沢郡が廃止され、大里郡になる。
* 1943年(昭和18年)9月8日 - 桜沢村および秩父郡白鳥村の一部を編入する。
* 1955年(昭和30年)2月11日 - 寄居町・折原村・鉢形(はちがた)村・男衾(おぶすま)村・用土(ようど)村とが合併し、寄居町となる。

名所・旧跡・観光

* 風布川・日本水(湧水・名水百選)
* 鉢形城跡 (国史跡)
* 藤田康邦墓・北条氏邦墓・末野窯跡(県史跡)
* 風布・小林みかん山(観光みかん狩り)
* 埼玉県立川の博物館
* 玉淀湖
* 町内にある採石場は特撮のロケによく使われる

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騎西町

騎西町(きさいまち)は、埼玉県の東部にある人口約2万人の町である。

地理

荒川および利根川により形成された沖積地のほぼ中央部に位置する。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、北埼玉郡騎西町・外川村・下崎村が合併し、騎西町が発足する。
* 1943年4月1日 - 北埼玉郡騎西町・田ヶ谷村・種足村・鴻茎村・高柳村が合併し、騎西町となる。
* 1946年5月1日 - 北埼玉郡騎西町が騎西町・田ヶ谷村・種足村・鴻茎村・高柳村に分離する。
* 1954年10月1日 - 北埼玉郡騎西町・田ヶ谷村・種足村・鴻茎村が合併し、騎西町となる。
* 1955年3月20日 - 北埼玉郡高柳村を編入する。

観光・名所・旧跡

* 玉敷神社(藤で有名)
* 藤まつり
* あじさい祭り
* 私市城(騎西城)

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北川辺町

北川辺町(きたかわべまち)は、埼玉県の東部北端にある人口約1万3千人の町。オニバス(絶滅危惧種)が自生していることで知られる。

概要

埼玉県内で唯一、町全域が利根川の北にあり、茨城県、群馬県、栃木県の3県と接する。また、電話の単位料金区域が埼玉県内ではなく、古河となっている。このように古河との結びつきが強く、古河市、(旧総和町)、野木町と三国サミット会議が発足され、相互理解が深まっている。

北埼玉郡大利根町・北葛飾郡栗橋町との合併により「東埼玉市」の新設を目指す構想があった。

歴史

* 1929年4月1日 - 東武鉄道日光線新古河駅が開業。
* 1929年11月1日 - 東武鉄道日光線柳生駅が開業。
* 1955年 - 利島村・川辺村が合併。
* 1971年 - 町制施行。

名産品

* コシヒカリ
o 味がよいことで知られる。
* トマト
o 桃太郎。木甘坊愛称で流通。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 渡良瀬遊水地
* 遊学館/道の駅内
* ふるさと公園
* ライスパーク

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大利根町

大利根町(おおとねまち)は、埼玉県東部にある人口約1万4千人の町。

歴史

* 1955年1月1日 - 北埼玉郡東村・原道村・元和村・豊野村が合併し、大利根村となる。
* 1971年1月1日 - 町制施行により、大利根町となる。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 道の駅童謡のふる里おおとね
* カスリン公園
* 童謡のふる里おおとね温泉100(とね)の湯

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宮代町

宮代町(みやしろまち)は、埼玉県の東部中央にある人口約3万4千人の町。町内に東武動物公園がある。

地理

宮代町は埼玉県の東部中央に位置し、南北に縦長の町域を有する。東武伊勢崎線が町西部を沿って走り、日光線が町内の東武動物公園駅を起点として栃木、日光方面へと走る。町中央部には東武動物公園や日本工業大学がある。

* 河川: 古利根川

歴史

* 1889年4月1日 - 南埼玉郡百間村・百間東村・百間中村・百間金屋原組・百間西原村・百間中島村・蓮谷村が合併し、百間村が成立する。南埼玉郡須賀村・和戸村・西粂原村・東粂原村・国納村が合併し、須賀村が成立する。
* 1955年7月20日 - 南埼玉郡百間村と須賀村が合併し、宮代町となる。

* 町名の由来
o 百間村の総鎮守である「姫宮(ひめみや)神社」の「宮」と須賀村の総鎮守である「身代(このしろ)神社」の「代」を合成した地名。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 東武動物公園
* はらっパーク宮代

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白岡町

白岡町(しらおかまち)は、埼玉県の東部中央に位置する町である。

概要

* 梨の生産量・生産額は埼玉県内第1位で、町内の所々で梨畑を見られる。また田園も多く町内には多くの緑が残されている。中でも町内西部の大山地区の梨は品質の高さで近隣に知られ、シーズンになれば『大山の梨』として東京都内の高級果物専門店などでも取り扱われる。
* 1980年代から新白岡駅近辺が白岡ニュータウンとして整備が進められ、近年は白岡駅周辺にもマンションが建設されており、都心まで約1時間でアクセスできるベッドタウンという側面も持つ。このため現在でも人口は緩やかな増加傾向にある。
* 交通はJR宇都宮線白岡駅、新白岡駅、近くに東北自動車道久喜ICがあり、国道122号、埼玉県道3号さいたま栗橋線も通過している。現在、町北部で東北自動車道・首都圏中央連絡自動車道(仮)久喜白岡JCT、首都圏中央連絡自動車道(仮)菖蒲白岡ICの建設が進められている。
* 町内の商業地域は、主に古くからの商店街が集まる白岡駅周辺、住宅街となっている新白岡駅周辺、埼玉県道3号さいたま栗橋線沿を中心に存在している。
* 町東には東武動物公園も隣接する。
* 全国で5番目に人口の多い町でもある。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、篠津村・野牛村・白岡村・寺塚村・高岩村が合併し、南埼玉郡篠津村が成立する。岡泉村・実ヶ谷村・千駄野村・小久喜村・上野田村・下野田村・爪田ヶ谷村・太田新井村がそれぞれ成立する。彦兵衛新田が彦兵衛村として成立する。柴山村・荒井新田村・上大崎村・下大崎村が合併し、南埼玉郡大山村が成立する。
* 1895年3月15日 - 岡泉村・実ヶ谷村・千駄野村・小久喜村・上野田村・下野田村・爪田ヶ谷村・太田新井村・彦兵衛村が合併し、南埼玉郡日勝村となる。
* 1954年9月1日 - 篠津村・日勝村および大山村のうち大字柴山・大字荒井新田・大字下大崎が合併し、白岡町となる。大山村のうち大字上大崎は菖蒲町・三箇村・小林村・栢間村と合併し菖蒲町となる。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 東武動物公園(西ゲート側)
* 白岡まつり(8月)
* 白岡八幡宮
* 白岡天然温泉「八幡の湯」
* しらおか味彩センター(農産物直売所)
* 古代蓮(野牛・高岩土地区画整理地内・調整池)
* 興善寺
* 正福院
* 大山民俗資料館
* 柴山伏越

見沼代用水と元荒川が立体交差する。

* 一里塚(下野田、埼玉県指定史跡)

日光御成街道中、日本橋から数えて11番目の一里塚。

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菖蒲町

菖蒲町(しょうぶまち)は、埼玉県北東部にある人口約2万1千人の町。南埼玉郡の最北端に位置する。菖蒲城趾には花菖蒲の咲く「城趾あやめ園」がある。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、南埼玉郡菖蒲町・新堀村が合併し、菖蒲町が成立する。
* 1954年9月1日 - 菖蒲町・三箇村・小林村・栢間村・大山村大字上大崎が合併し、菖蒲町となる。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 菖蒲城址
* 神明神社
* 天王山塚古墳
* 善宗寺
* あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル

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栗橋町

栗橋町(くりはしまち)は、埼玉県の北東部にある人口約2万7千人の町。利根川を隔てて茨城県と接する。

概要

江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として栗橋関所がおかれた宿場町であった。国道4号・国道125号・県道さいたま栗橋線等の主要道路が交差する交通の節点である。また、歴史的な地名としての「栗橋」には現在の茨城県猿島郡五霞町の一部(元栗橋地区)を含む場合があり、古河公方家の支城・栗橋城は両町の境界線上にある(現在「栗橋城址」とされる史跡は行政区的には五霞町側に所属するが、城の一部は権現堂川右岸である栗橋町側にも及んでいた)。

歴史

* 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、栗橋宿が栗橋町となる。
* 1944年4月1日 - 栗橋町・静村・豊田村が合併し、栗橋町となる。
* 1949年10月1日 - 栗橋町から静村・豊田村が分割される。
* 1957年4月1日 - 栗橋町・静村・豊田村が合併し、栗橋町となる。

名所・旧跡

* 八坂神社

栗橋町の八坂神社は毎年7月の第3土日に「天王様」(てんのうさま)と呼ばれる祭を行う。八坂神社は町の北端寄りに位置するが、屋台はその南にある旧東第一小学校(現在ハクレン館)の正門が面する通りに出店する。神輿は活気に溢れ、町民の楽しみとなっている。

* ハクレン

栗橋町には毎年晩春から初秋にかけて、利根川をハクレンが遡上してくる。ハクレンは戦時中に食料として中国から国内に輸入、放流された魚類であるが、食用としては日本人の味覚に合うものではなかった。ハクレンは産卵の為に霞ヶ浦から川を遡り、日本で唯一利根川の栗橋町流域で大ジャンプを起こす。原因には諸説あるが、どれも定かではない。2004年度は何らかの原因でハクレンが大量に死滅し、遂には栗橋でジャンプが確認されなかったという事態が起きた。

* 静御前の墓

当地の伝説によると、源義経を追ってきた静御前は文治5年5月、茨城県古河市下辺見(しもへみ)で義経の死を知り、当時栗橋にあった高柳寺(現光了寺。古河市中田)で出家したものの、慣れぬ旅の疲れから病になり同年9月15日に22歳で亡くなったとされる。栗橋駅東口には静御前の墓と義経の招魂碑、さらには生後すぐに源頼朝によって殺された男児の供養塔がある。毎年9月15日には「静御前墓前祭」と称する追善供養が、また10月第3土曜には「静御前まつり」と呼ばれる祭が行われる。「静御前墓前祭」では邦楽の演奏が、「静御前まつり」では義経・静御前・白拍子などによる華やかなパレードが行われ、ともに町の新しい名物になりつつある。

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鷲宮町

鷲宮町(わしみやまち)は、埼玉県の北東にある人口約3万5千人の町。関東最古の大社「鷲宮神社」の門前町として知られる。

久喜市・幸手市と合併協議を行っていたが、2004年9月11日の住民投票で久喜市において反対票が上回り、合併は白紙になった。

町名の由来

* 古墳時代の土師部の居住地の宮、「土師宮」の転訛である「鷲宮」(わしのみや)を、合併の為、地方公共団体の名称として読みを「わしみや」としたもの。こういった事情から、駅名や神社名などは現在でも「わしのみや」の読みが使われている。

沿革

* 1889年4月1日 - 鷲宮村・上内村・葛梅村・中妻村・久本寺村が合併し、南埼玉郡鷲宮村(わしのみやむら)となる。また八甫村・西大輪村・東大輪村・外野村・上川崎村・中川崎村・下川崎村が合併して八輪野崎(はちわのざき)村となる。八輪野崎村はその年のうちに桜田(さくらだ)村と改称。
* 1902年9月6日 - 東武鉄道伊勢崎線鷲ノ宮駅(現・鷲宮駅)が開業。
* 1933年4月17日 - 町制施行により、南埼玉郡鷲宮町(わしのみやまち)となる。
* 1955年1月1日 - 南埼玉郡鷲宮町・北葛飾郡桜田村(中川崎・下川崎を除く)が合併し、北葛飾郡鷲宮町(わしみやまち)となる。
* 1955年1月1日 - 東武鉄道伊勢崎線鷲ノ宮駅が鷲宮駅(読みはわしのみやのまま)に改称。
* 1982年6月23日 - 日本国有鉄道(現・JR)東鷲宮駅が旅客営業を開始。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 鷲宮神社
* コスモスふれあいロード
o 町おこしの一環として整備された。秋には名称の由来であるコスモスの花が道路の両脇に咲き乱れるほか、6月にはポピーも咲くのが見られる。全線を通して「葛西用水路」とに沿っており、途中町役場や町立図書館の近隣も通過する。毎年8月にはコスモスの一斉種まきが行われるほか、見ごろにあわせてJR東日本の主催する「駅からハイキング」も開催される。
* 鷲宮催馬楽神楽(重要無形民俗文化財)
* 百観音温泉

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杉戸町

杉戸町(すぎとまち)は、埼玉県の東部にある人口約4万7千人の町。かつての日光街道の宿場町で知られる。

歴史

* 明治9年(1876年) - 上木津内村と下木津内村が合併して木津内村となる。
* 明治10年(1877年) - 安戸村・上戸村・大島新田が合併して戸島村となる。安戸村字二本木・二本木裏・二本木前・庄兵衛・浮張・内土腐・大島新田字北天神・弁天・中水尾・南天神・六八・稲荷は現在大字本島となり、それ以外の区域は幸手市大字戸島となっている。
* 明治22年(1889年)4月1日
o 北葛飾郡杉戸宿・清地村・倉松村が合併し、北葛飾郡杉戸町となる。
o 北葛飾郡遠野村・広戸沼村・佐左ヱ門村・並塚村・才羽村・北蓮沼村・大塚村が合併し北葛飾郡田宮村となる。
o 北葛飾郡堤根村・本郷村が合併し北葛飾郡堤郷村となる。
o 北葛飾郡下高野村・下野村・大島村・茨島村が合併し北葛飾郡高野村となる。
o 北葛飾郡戸島村・吉野村・平須賀村・長間村・中野村・平野村・神扇村・天神島村が合併して北葛飾郡八代村となる。(戸島の一部・吉野・平須賀・長間・中野・平野・神扇・天神島は現在幸手市)
o 中葛飾郡木崎村・芦橋村・倉常村・屏風村・深輪村・椿村・細野村が合併して中葛飾郡桜井村となる。(木崎・芦橋・倉常は現在春日部市、細野は現在幸手市)
o 中葛飾郡目沼村・木津内村・宮前村・鷲巣村・木野川村・中島村・花島村・槙野地村が合併して中葛飾郡豊岡村となる。(中島・花島・槙野地は現在幸手市)
* 明治29年(1896年)3月29日 - 中葛飾郡が北葛飾郡に編入
* 明治33年(1900年)10月14日-杉戸銀行が設立。  
* 大正6年(1917年) - 北葛飾郡桜井村大字細野を北葛飾郡吉田村に編入する。
* 昭和30年(1955年)
o 2月11日 - 北葛飾郡杉戸町・田宮村・堤郷村・高野村が合併し、杉戸町となる。
o 4月1日
+ 北葛飾郡桜井村と豊岡村の一部(目沼・木津内・宮前・鷲巣・木野川)が合併して北葛飾郡泉村となる。
+ 北葛飾郡八代村・豊岡村の残り(中島・花島・槙野地・西関宿)が北葛飾郡幸手町と合併する。
* 昭和31年(1956年)
o 1月1日 - 北葛飾郡幸手町大字戸島字弁天、北天神、中水尾、南天神、六八、稲荷、浮張、内土腐、二本木、庄兵衛、二本木前及二本木裏の区域を編入し、大字本島を設置する。
o 9月1日 - 北葛飾郡幸手町大字戸島字戍高入の区域を大字本島に編入する。
* 昭和32年(1957年)7月17日 - 北葛飾郡泉村を編入する。
* 昭和35年(1960年)11月3日 - 大字木崎、芦橋、倉常が杉戸町から分離し、北葛飾郡庄和村(現・春日部市)に編入される。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 恭倹舎・有隣塚(江戸時代の心学者大島有隣の遺跡)
* 御成街道一里塚
* 杉戸宿本陣跡
* 目沼浅間塚古墳
* 永福寺(「どじょう施餓鬼」関東三大施餓鬼のひとつ)
* 三上於菟吉の墓(雪之丞変化の作者)
* 道の駅アグリパークゆめすぎと
* すきすきすぎーと36(国道4号の北緯36度線上に存在する駐車スペース付広場)

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松伏町

松伏町(まつぶしまち)は、埼玉県の東南部にある人口約3万1千人の町。

地理

縦長。田島、金杉付近は吉川市境と入り組んでいる。北東部の築比地は江戸川によって分断された下総台地の一部の金杉台地であるが、それ以外はほぼ平坦な地形。僅かに古利根川沿いの河畔砂丘による微高地が周辺より高く、町役場など古くからの市街地の中心部はこの上に広がる。現在の市街地の中心は越谷市寄りの松葉、ゆめみ野付近に移りつつ有る。町域は約16平方キロメートルと狭い。

歴史

* 1955年4月20日 - 松伏領村と金杉村が合併、松伏領村が新設される。
* 1956年4月1日 - 松伏村に改称。
* 1967年 - 人口が1万人を突破。
* 1969年4月1日 - 町制施行、松伏町となる。
* 1985年 - 人口が2万人を突破。
* 2001年12月4日 - 人口が3万人を突破。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

* 田園ホール・エローラ
* 松伏記念公園
* 松伏総合公園
o 風車
* B&G海洋センター
* 青少年広場(建設中であったが中止となる。跡地は住宅地となった。)
* まつぶし緑の丘公園(2007/4/1より一部開園)

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