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さいたま市

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さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南東部に位置する市で、同県の県庁所在地である。政令指定都市。

概要

2001年5月の浦和、大宮、与野の3市の合併により成立した。政令指定都市及び業務核都市に指定されている。2005年4月には岩槻市を編入し、岩槻区が誕生した。

日本で10番目に多くの人口を抱える都市であり(東京特別区を1都市として数えた場合)、新幹線をはじめ周辺各地の広域鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。

地区

さいたま市は浦和市、大宮市といった人口規模のほぼ同じ市をはじめとする複数の市が対等の地位で合併したという側面が強い。さらに成立してまだ日が浅いことから、市の歴史は旧4市それぞれについて個別に記述されることが多い。

* 近世の浦和は中山道の宿場町(浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生・拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門(緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。
* 旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来裁判所、県警察など行政機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。また「鎌倉文士に浦和画家」という言葉からも分かるように、旧浦和市は瑛九や高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあっり、同時にサッカーの盛んな地としても知られる。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館が設置されているた現在でも旧浦和市地域の市民の教育レベルが高いと言われ、「文教都市」ともいわれている。
* 旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に貨物操車場が設置されるなど「鉄道の街」と呼ばれるようになった。戦後、多くの大企業が埼玉県内の営業拠点として大宮を選んだために商業、業務機能が集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地であるため大宮には埼玉県内全域はもとより栃木県、群馬県、東京都からも多くの買い物客が訪れる。また東北・上越新幹線が開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・仙台・新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地はさいたま新都心となった。
* 旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店が多く建てられたため、「自動車の街」と呼ばれていた。
* 旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形の街」として全国的に知られる。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、ほぼ同じルートだと言われる武州鉄道のときに果たせなかった、東京都心への直通列車の完成が待たれている。
o なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。

名称問題

浦和市、大宮市、与野市の三市が合併する時に、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。

市名公募の結果では、『さいたま市』という名称は2位であり、1位は漢字の『埼玉市』であった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位、『浦和市』が6位、『与野市』は100位以内に入らなかった。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。しかしその後の議論では『さいたま市』を推す浦和市・与野市に対し、大宮市がこの5案になかった『大宮市』(公募3位)を主張した。最終的に大宮市は新市の事務所(市役所)の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた。

『埼玉』の地名は、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。この事から、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属する本地域にできた市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また、行田市から、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるからという理由で新しい名称に『埼玉』『さいたま』を使わないで欲しいという要望も出たが、これはすでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後であり、考慮されなかった(なお、さいたま市発足後に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属する)。

単に市名をひらがなにする事に対しては、同時期に合併が行われた『東かがわ市』『さぬき市』(いずれも香川県)などと共に批判も多い。だが、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。

このほか、区名についても批判がある。

さいたま市に関わる作品

赤き血のイレブン
サッカー漫画。浦和南高校が舞台。
エースをねらえ!
テニス漫画。原作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデルとされる。(作中では「神奈川県立西高校」。横浜市が舞台となっている)
おおきく振りかぶって
野球漫画。原作者のひぐちアサの出身校である浦和西高校が舞台のモデルとされる。(作中では「西浦高校」)
行け!稲中卓球部
ギャグ漫画。原作者の古谷実の出身地である旧浦和市及び校舎のみだが出身中学校がモデル。(作中では「稲豊市」)
キャプテン翼
サッカー漫画。旧浦和市がモデルであるが、大宮公園サッカー場・浦和駒場スタジアムが実名で登場している。(作中では「明和市」)
Jドリーム
サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
灼眼のシャナ
ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺が舞台のモデルとなっている。(作中では「御市」)
タナカヒロシのすべて
主人公がさいたま市に住んでいる。
レンアイ至上主義
大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、さいたま市大宮武道館が登場する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西区 (さいたま市)

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西区(にしく)は、さいたま市を構成する10区の1つである。区名の由来は、同市西部(旧大宮市西部)をその区域とすることからきている。

歴史

* 1889年 町村制施行、指扇村・馬宮村・植水村・日進村(宮前町)・三橋村(三橋5・6丁目)
* 1940年 日進村・三橋村が大宮町・大砂土村・宮原村と合併し、大宮市発足
* 1955年 指扇村・馬宮村・植水村が大宮市と合併
* 2001年 大宮市が浦和市・与野市と合併し、さいたま市発足
* 2003年 政令指定都市移行に伴い、西区誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北区 (さいたま市)

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北区(きたく)は、さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

区名はさいたま市北部(旧大宮市北部)に位置する事に由来する。区域は大宮台地上にあり、西限には鴨川が流れ、他に芝川や見沼代用水などが流れる。江戸時代には中山道が大宮宿から上尾宿に至る途上に位置し、現代でも各鉄道が大宮駅より伸びている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大宮区

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大宮区(おおみやく、英語:Ōmiya-ku、Ōmiya ward)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

旧大宮市の中心部にあたり、古くは中山道の宿場、大宮宿が置かれた宿場町、また氷川神社の門前町、近年では埼玉県下有数の商業都市として栄えた地域である。

大宮駅付近にはJR東日本の大宮総合車両センターやJR貨物の車両工場があり「鉄道の街」としても知られており、東京・神田の旧交通博物館が大成町に移転して新たに鉄道博物館として開館した。

地理・概況

ほとんどの区域が大宮台地上にあり、平坦で山岳・丘陵はない。 大宮駅を中心として店舗・事業所・住宅が立ち並び農地はほとんど見られないが天沼町の一部に見沼田んぼがあったり、三橋の鴨川沿いに田畑が見られるなど区の外れでは若干見られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

見沼区

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見沼区(みぬまく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。同市の北東部に位置する。旧大宮市東部にあたる。

沿革

区名の由来は、この見沼区と隣接する緑区および北区にかけて存在した見沼(1728年干拓され消滅)である。現在では跡地は見沼田圃と呼ばれ、豊かな緑地が残る地として保護の対象になっている。

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中央区 (さいたま市)

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中央区(ちゅうおうく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。

沿革

旧与野市全域と旧大宮市および旧浦和市の一部(さいたま新都心のうち東北本線線路より西側の地域)にあたる。位置的に市の中央部であることから名づけられたもので、街の中心部というわけではない。

区役所は、旧与野市役所の場所に置かれている。

歴史

* 1889年4月1日 - 北足立郡与野町、小村田村、下落合村、上落合村、中里村、大戸村、鈴谷村、上峰村、八王子村、円阿弥村が合併して与野町となる。
* 1958年7月15日 - 市制施行により与野市となる。
* 2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市となる。
* 2003年4月1日 - 政令指定都市移行に伴い、旧与野市とさいたま新都心のうち東北本線線路より西側の地域を区域とする中央区が設置される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桜区

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桜区(さくらく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。

歴史

* 区名は、荒川河川敷の秋ヶ瀬地区(田島ヶ原)に日本でも最大級のサクラソウ自生地がある事に由来するものであり、歴史上の地名に基づくものではない。また、桜とサクラソウはまったく別の植物である。
* 低地の広がる現区域では、自然堤防などの微高地が集落、後背湿地が水田として利用されてきた。このため弥生時代以降、様々な時代の集落や律令体制下の条里制の遺構が各地に見られる。また、5世紀後半から7世紀にかけて、白鍬地区(大久保古墳群を参照)や西堀地区など各所に古墳が造られた。
* 律令体制下において足立郡は七つの郷からなっていたといわれている。このうち「大里郷」「殖田郷」などが現桜区周辺にあったと比定する説もあるが、定かではない。また南北朝時代以降、大窪郷という集落があったとされ、現在の「大久保地区」の地名の興りとなったとされる。
* 鎌倉時代、大久保地区を鎌倉街道が通じており、2005年現在も県道215号線等として残っている。またこの街道が入間川(現:荒川)を渡る地点が羽根倉であり、こちらも「羽根倉橋」(国道463号の荒川架橋)等に名を残している。
* 1350年(観応元年)、観応の擾乱に応じ羽根倉の戦いが起こり、足利尊氏方の高麗経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破る。
* 1920年(大正9年)、田島ヶ原のサクラソウ自生地が天然記念物に指定される。
* 第二次世界大戦後、東京の郊外化に伴い人口が急増を始め、この地区の浦和市への合併の一因となる。
* 1964年(昭和39年)7月から1969年(昭和44年)12月にかけて、埼玉大学が浦和市内常盤地区(現:浦和区)より大久保地区へ移転する。
* 1973年(昭和48年)4月1日、国鉄武蔵野線が開通。西浦和駅が開設される。
* 1985年(昭和60年)9月30日、国鉄埼京線が開通。中浦和駅が開設される。

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浦和区

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浦和区(うらわく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

浦和区はさいたま市の中央よりやや南に位置し、旧浦和市の中心部にあたる。江戸時代には江戸日本橋から草津で東海道に合流する中山道の浦和宿で、宿場町として栄える。近代に入ると埼玉県の県庁所在地となり、1923年の関東大震災が起ると、復興の過程で首都圏への利便性が注目され都市として発展する。2001年(平成13年)にさいたま市が誕生、03年に政令指定都市に移行し、市を構成する9区が誕生し、現在ではさいたま市の行政機関が集まる行政の中心となっている。

歴史

* 1889年 町村制施行、浦和町発足。
* 1934年 旧浦和市が市政施行。
* 2001年 浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市が誕生。
* 2003年 政令指定都市移行に伴い、浦和区誕生。

名物

鰻の蒲焼が古くから名物で老舗が多い。旧浦和市はウナギ消費量が日本一といわれていた。そして鰻の蒲焼の発祥の地。

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南区 (さいたま市)

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南区(みなみく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

区名の由来は、同市南部をその区域とすることから。旧浦和市の南部にあたり、これは1932年以前の自治体では六辻村(1938年町制施行、六辻町)の大部分(神明の北部を除く)、谷田村の北部(太田窪の北部・原山)を除く地域、土合村の南東部(関・鹿手袋)、および美谷本村(1943年笹目村と合併、美笹村)の北部(内谷・曲本・松本・堤外の一部)にほぼ相当する。

* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して北足立郡辻・白幡・根岸・別所・文蔵・沼影の6村が合併し六辻村が、同郡大谷場・太田窪・大谷口・広ヶ谷戸・円正寺と原山新田の5箇村1新田が合併し谷田村が、同郡南元宿・西堀・関・鹿手袋・田嶋(田島)・新開・道場・町谷・栄和・中嶋(中島)・山窪(山久保)の11箇村が合併し土合村が、内谷・曲本・美女木・松本新田の3箇村1新田が合併し美谷本村がそれぞれ成立。
* 1932年(昭和7年)4月1日 - 谷田村が同郡木崎村(大字北袋を除く)と共に浦和町に編入され、それぞれ同町の谷田地区、木崎地区となる。
* 1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制を施行し、浦和市となる。この頃より浦和市と六辻村の合併交渉が始まる。
* 1938年(昭和13年)7月1日 - 六辻村は浦和市と合併することなく単独で町制施行、六辻町となる。
* 1942年(昭和17年)4月1日 - 六辻町が浦和市に編入され、同市の六辻地区となる。戦局の悪化に伴う経済統制上の事情が合併の機運を一挙に高めたとされる。
* 1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村・笹目村が合併し美笹村成立。当時国内各地で「戦時合併」と呼ばれる市町村合併が頻繁に行われていた。
* 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村が同郡大久保村と共に浦和市に編入され、それぞれ同市の土合地区、大久保地区となる。
* 1957年(昭和32年)7月1日 - 美笹村が戸田町に編入される。
* 1959年(昭和34年)4月1日 - 旧美笹村のうち旧美谷本村北部にあたる内谷・曲本・松本と堤外の一部が住民の強い運動の後に浦和市に編入され、同市の西浦和地区となる。これにより現在の南区の範囲全域が浦和市に含まれることとなった。
* 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市と与野市・大宮市との合併によりさいたま市が成立。
* 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行。旧浦和市のうち六辻地区のうち神明の北部を除く地域、谷田地区のうち太田窪の北部・原山を除く地域、土合地区のうち関・鹿手袋、および西浦和地区の地域をもって南区が誕生。

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緑区 (さいたま市)

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緑区(みどりく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちのひとつである。

地理

緑区はさいたま市の南東部の端に位置し、かつての美園村の一部、旧浦和市東部にあたる。中央部に広がる見沼田圃を中心に緑地が広がり、芝川や綾瀬川、見沼代用水などが流れ、綾瀬川は区の東限に当たる。見沼田圃は江戸時代に新田開発及び水害対策を目的として見沼溜井を干拓し、形成される。南部には武蔵野線が通り、東部には南北に東北自動車道(国道122号)が通り、かつての武州鉄道が走っていた。衆議院小選挙区のブロックは埼玉第一区。

歴史

* 1889年 谷田村・尾間木村・三室村・野田村・大門村誕生。その後順次旧浦和市に合併。
* 2001年 旧浦和市、与野市、大宮市が合併してさいたま市が誕生。
* 2003年 政令指定都市になり、さいたま市を構成する9区が誕生する。緑区誕生。

現在の大門地区は日光御成街道の宿場大門宿として知られる。

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岩槻区

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岩槻区(いわつきく) は、さいたま市を構成する10区のうちの1つであり、10区のうちで最も新しい区である。2005年4月1日、旧岩槻市がさいたま市に編入され、その市域が岩槻区になった。

歴史

* 1457年、太田道灌によって岩付城(岩槻城)が築城される。戦国時代には道灌の曾孫・太田資正は名将として名を轟かせた。
* 江戸時代、大岡家岩槻藩2万2千石の城下町として、また日光御成街道の宿場町として栄えた。なお、岩槻城長屋門などが遺構として移築現存している。
* 1871年(明治4年)旧暦7月14日 - 廃藩置県に伴い、埼玉県が成立。県庁は岩槻町におかれることとなったため、県名は岩槻町の所属郡である埼玉郡から名づけられた。しかし県庁は、暫定的という形で浦和町の旧浦和県庁に置かれた。
* 1876年(明治9年)12月1日 - 実際の県庁が岩槻町におかれることのないまま、実質的に浦和町が県庁所在地となる。
* 1879年(明治12年) - 前年に成立した南埼玉郡の郡庁が岩槻町におかれる。
* 1890年(明治23年)9月25日 - 勅令により、県庁が岩槻町に移転しないまま、正式に浦和町が県庁所在地となる。
* 1954年(昭和29年)5月3日 - 南埼玉郡岩槻町、新和村、和土村、川通村、柏崎村、河合村、慈恩寺村の1町6村が合併し、新たに岩槻町となる。
* 1954年(昭和29年)7月1日 - 岩槻町が市制施行し岩槻市となる。
* 2002年(平成14年) - 公職選挙法の改正で、岩槻市の所属する衆議院小選挙区が埼玉13区から埼玉1区となる。後に、さいたま市へ編入合併へ至る要因の一つとなる。
* 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、合併に関する住民投票を行う、その結果は、「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市,宮代町,杉戸町,庄和町との合併(8.5%)」となり、2月5日に岩槻市はさいたま市に対し合併協議を申入れる。
* 2004年(平成16年)7月1日 - 市制施行50周年を迎える。
* 2004年(平成16年)8月24日 - さいたま市との合併協定の調印式が行われる。
* 2005年(平成17年)4月1日 - さいたま市に編入され、さいたま市岩槻区となる。

名産品

現在では、東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積。「人形の街」として全国的に知られる。岩槻の名物としては特に雛人形、兜などの人形が有名である。これは日光東照宮造営に関わった職人がその後岩槻にとどまり、江戸初期に始めたものと言われている。現在も岩槻駅周辺や人形町通り、市宿通りなどに人形店が軒を連ねる。県内の人形製造が盛んな地域としては他に鴻巣市・越谷市・所沢市がある。

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川越市

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川越市(かわごえし)は、関東地方の南部、埼玉県の南西部に位置する人口約34万人の市。旧入間郡。中核市と業務核都市に指定されている。

概要

江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れた為、歴史的な街並や寺院などが多く残っており、市内の観光名所には年間約550万人もの観光客が訪れている。

埼玉県では第一の城下町ともあって、廃藩置県の時期には、入間県の県庁所在地であった。又、埼玉りそな銀行の前身の一つである八十五銀行の発祥地でもある。

東武東上線・JR川越駅及び、西武新宿線本川越駅を合わせた乗降客数は26万人を超える。川越駅周辺は、埼玉県内では大宮駅周辺に次ぐ第二の繁華街として賑わっている。埼玉県西部を代表する都市である。

新宿・池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることはかなり多い。新宿からは西武新宿線の本川越行きと埼京線の川越行きがあり、また池袋では同様に埼京線の川越行き・東武東上線の川越市行き・西武池袋線でも所沢で乗り換えて本川越行きがあり更には駅付近に川越街道も通じる。

* 川:荒川、入間川、新河岸川、小畔川、不老川
* 沼:伊佐沼

都市名の由来

市街地を川が囲む形となっており、川を越えないとたどり着けないことから「河越(川越)」と称されたと言われている。しかしながら古文書等にも伝説として記載されており、はっきりした由来は不明である。

歴史

古代から平安時代まで

* 武蔵野台地の北東端に位置する川越は、西北部に入間川が流れており、住環境に適していた。
* 奈良時代には、大陸の文化が伝わり、質の高い土器の生産や鉄器が使用され、農業の生産性が向上。やがて川越にも階層が生まれ、古墳が築かれるようになった。
* 平安時代になると、荘園が形作られ河越、仙波、古尾谷などの荘園を武蔵武士が支配する時代へと移っていった。

戦国時代まで

* 中世には河越と表記され、鎌倉幕府の有力御家人である河越氏の本拠地であった。長禄元年(1457年)には上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子によって川越城が築城される。
* 戦国時代には、後北条氏の武蔵国支配の拠点として栄える。

江戸時代

* 江戸時代には、江戸の北の守りとして重視された。川越藩の歴代藩主には、松平信綱や柳沢吉保などの江戸幕府の重鎮や、親藩が就任した。
* 城下町たる川越は、江戸とは川越街道や新河岸川の舟運(貨物輸送)で結ばれた衛星都市として発展し、「小江戸」と呼ばれた。天海僧正や春日局などにも所縁がある。

明治から第二次大戦まで

明治に入ると、城下町の伝統と地理的な条件により、埼玉県最大の商業都市となり、穀物の中継地や織物、箪笥の生産地として発展した。

* 1871年(明治4年)8月29日 - 廃藩置県により、入間県の県庁所在地となった。
* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、川越城下17町・松郷・東明寺村・小久保村・脇田村・小仙波村・野田村が合併し、川越町が発足する。

面積7.46km²

* 1893年(明治26年)3月の大火で市街地が全焼。その経験を元に耐火建築である「蔵造り」の建物が多く建てられ、現在にまで残る趣のある街並みを形成した。
* 明治・大正時代を通じて商業都市として繁栄。県内唯一の国立銀行八十五銀行(後の埼玉銀行、現在の埼玉りそな銀行)は川越に設立された。
* 1922年(大正11年)12月1日 - 入間郡仙波村を編入し、市制施行(埼玉県下では初めて)、川越市となる。

人口30,359人、世帯数5,414世帯、面積12.36km²

* 1939年(昭和14年)12月1日 - 入間郡田面沢村を編入。

人口37,578人、面積16.68km²

* 1945年(昭和20年)川越空襲。6月、連雀町に爆弾2発が投下され、1人死亡。7月、川越駅が艦載機の機銃掃射を受け数名が死傷。

第二次大戦後

* 1955年(昭和30年)4月1日 - 入間郡芳野村・古谷村・南古谷村・高階村・福原村・大東村・霞ヶ関村・名細村・山田村を編入。

人口104,854人、世帯数19,799世帯、面積110.28km²

* 1957年(昭和32年) - 川越市民の歌「われらの川越」制定。
* 高度成長期には東京のベッドタウンとして発展。
* 1994年(平成6年)5月1日 - 狭山市・日高市と境界変更。現在の市域となる。
* 2003年(平成15年)4月1日 - 埼玉県内で初の中核市に指定される。

農業

江戸時代には、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(十三里半とも)」と謳われた程のサツマイモの名産地であったが、次第に効率の悪いサツマイモから葉物野菜などへの作物転換が行われるようになっていった。しかし、近年では幼稚園や小学校の「藷掘り遠足」が流行ったため、サツマイモを植える農家は今尚残っている。

現在では、南部台地上に位置する福原・大東地区を中心に葉物野菜が、北や西の川沿い低湿地に位置する芳野・山田・名細・田面沢を中心に稲作が行われている。近郊農業地域であり、野菜と米の出荷量も非常に多く、農業産出額は県内第三位(2002年時点)。

川越を舞台にした作品

* ウォーターボーイズ(テレビドラマ、映画)

県立川越高校の水泳部が行う男子シンクロチームが、モデルになっている。
ウォーターボーイズのプロデューサーは川越出身。

* 監察医・室生亜季子(火曜サスペンス劇場)

川越市を舞台に繰り広げられるサスペンスドラマ。
出演:浜木綿子、大場順、左とん平、清水ミチコほか。

*  鉄塔 武蔵野線 (小説・映画)

* 漫画
o 哲弘「不良愛煙家集団ヤニーズ」(作中表記は山越)
o みやたけし「ミルク捜査日記」
* 音楽

スネオヘアー「Over The River」
シングル「Over The River」及び1stアルバム「スネスタイル」に収録。
川越で学生時代を過ごした思い出と、現在の自分を照らし合わせて唄った曲である。

* 小説

大地の園(打木村治 作)

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熊谷市

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熊谷市(くまがやし)は埼玉県北部にある人口約20万5千人の市。

概要

埼玉県北部地区を代表する都市であり、業務核都市に指定されている。江戸時代には中山道の宿場・熊谷宿が置かれ、宿場町として栄えた。現在でも市内には国道17号をはじめとする4本の国道(および各線の計6つのバイパス)、9本の主要地方道、上越新幹線をはじめとする3本(JR上越新幹線・JR高崎線・秩父鉄道秩父本線)の鉄道路線が通過しており、交通の要衝としての役割を果たしている。また人口は県内第9位であるが、農業産出額県内第2位、商品販売額県内第3位、製造品出荷額県内第4位であり、埼玉県北部における経済上の一大拠点をなしている。

2005年10月1日に熊谷市と大里郡妻沼町、同郡大里町が合併(新設合併)し、新たに「熊谷市」が設置された。また、2007年2月13日には大里郡江南町を編入し、埼玉県北部では初の20万人都市となった。これによって特例市の指定要件を満たすことになり、市としては2009年4月1日に特例市の指定を目指す予定である。

2007年8月16日14時42分(JST)には日本国内の最高気温となる40.9℃を観測している(岐阜県多治見市においても同日に同気温を記録)。気候については後述。

歴史

古代の武蔵国大里郡郡家郷(「ぐうけきょう」、久下・佐谷田付近) 、楊井郷(「やぎいきょう」、 御正・吉岡・大麻生付近)の地である。

平安時代、親王任国制度により桓武平氏高望王の子である村岡五郎(平良文)がこの地(武蔵国村岡)に下向、地元豪族と通じて土着し坂東平氏に代表される関東の平氏(三浦氏、千葉氏、秩父氏、鎌倉氏、大掾氏、中村氏、梶原氏、長尾氏、眞田氏、土肥氏、土屋氏、梶原氏、長江氏、大庭氏、村岡氏、俣野氏、畠山氏、河越氏、江戸氏、豊島氏、葛西氏、稲毛氏、渋谷氏など)の祖となったという説がある(ただし諸説あり)。

中世には熊谷氏を始め、久下氏や奈良氏など多くの武士団が興った。とくに源平合戦時の熊谷次郎直実が有名であり、熊谷氏の名称も地名の熊谷が由来となっている。後に地名の読みは「くまがい」ではなく、「くまがや」と改称した。

江戸時代のこの辺りの地域は忍藩領や幕府領、旗本領が複雑に入り組んでいた。また、中山道の宿場、熊谷宿が置かれた。

明治に入り、廃藩置県が行われる中で入間県と群馬県の合併により成立した熊谷県の県庁所在地となり、地域の中心都市として発展した。明治以降の熊谷周辺の主要地主、指定の任職家は東部(佐谷田、成田)の野原家、馬場家、西部(三尻・籠原)の小林家、津久井家、南部(吉岡)の黒田家、北部(奈良、中条)の石坂家、山下家、現南河原地区の束田家等が挙げられる。以後、これらの名家からは国会議員や市長、地域の要職者、文化人、教育者が輩出されている。例えば石坂養平や黒田海之助も含まれる。

名所

* 荒川の熊谷桜堤(日本さくら名所100選のひとつ)
* 星渓園
* 熊谷寺(ゆうこくじ)
* あじさい寺(能満山能護寺)
* 妻沼聖天山 歓喜院
* 重要文化財平山家住宅
* 埼玉県指定史跡の古墳群

名物・特産

* 五家宝(菓子。埼玉三大銘菓の一つと評される)
* ミニくま(ミニ野菜、JAくまがやによって商標登録済み)
* 雪くま(地元の水を凍らせた氷を使って地元で作ったかき氷。特定の条件をクリアしたオリジナルかき氷を作り上げると、市から認定される。2007年現在16店舗)
* いなり寿司(妻沼地区。聖天寿司)
* フライ(隣の行田市が中心で熊谷市内にも取扱店舗がある→行田のフライ)
* 地酒(直実など)
* 炭酸まんじゅう(大里地区)
* 熊谷染(近年では、衰退の傾向にあり、今後が心配される)
* 小麦(米との二毛作で作っていることが多い。五家宝の材料でもある。近年、市では小麦を使った「熊谷うどん」を広めようとしている)
* ネギ(隣の深谷市における深谷ねぎが有名であるが、当市内の妻沼地区を中心にたくさんの量が作られており「めぬまねぎ」などと称している)
* ニンジン(県内第1位)

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川口市

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川口市(かわぐちし)は、埼玉県南東部の荒川北岸にある人口約49万人の市。さいたま市に次いで県内で2番目の人口を擁する。特例市。

概要

荒川を隔てて東京都と接することもあり、東京に通勤、通学するいわゆる埼玉都民が多い。

江戸時代には日光御成街道の宿場町として栄え、鋳物の製造でその名を知られるようになり、当時・若手女優の吉永小百合をヒットさせた映画『キューポラのある街』(1962年公開)の舞台となった。幕末の動乱期には勝海舟の指示により川口の鋳物で大砲が製造されている。しかし近年は鋳物工場も急激に減少し、今ではほとんどその姿は見られない。そして入れ替わるように1990年代からマンションが相次いで建てられ、街の風景も一変してきている。

鳩ヶ谷市、蕨市との合併構想(武南市)があったが、事前に行った市名公募のアンケート結果で、新市の名称が「川口市」が1位であったにも関わらず合併協議会で「武南市」が可決されたことに対し、民意が反映されていない、とした川口市が離脱を表明、これにより解散された。鳩ヶ谷市が合併協議会解散後に行った「合併に関する全世帯意向調査」で、「川口市との合併」が過半数に達し、編入合併についても3割以上の賛成があり、川口市に改めて合併協議を申し入れたが、川口市は時期尚早であるとした。

1995年に当時の浦和市(現・さいたま市)にその座を譲るまで、県内最多の人口を擁していた。 また2006年10月26日には、住民基本台帳と外国人登録に基づく登録人口が50万人に達している。

年表

* 1873年6月1日 川口で1番古い川口小学校(現本町小学校)が開校
* 1905年 製品の品質向上を期し、川口鋳物業組合が結成
* 1910年9月10日 川口駅開業(開業時は川口町駅)
* 1923年8月 荒川放水路が10年余の事業期間を経て完成
* 1932年9月1日 東北本線の電車線(現在の京浜東北線)、赤羽〜大宮間開通
* 1938年 武州鉄道が経営難を理由に廃止される。
* 1954年9月1日 西川口駅開業
* 1973年4月1日 武蔵野線開通。東川口駅開業
* 2001年3月28日 埼玉高速鉄道開通。川口元郷駅、新井宿駅、戸塚安行駅、東川口駅開業

沿革

* 1933年4月1日 北足立郡川口町・青木村・横曽根村・南平柳村が合併し、川口市となる。
* 1940年4月1日 鳩ヶ谷町・新郷村・神根村・芝村が川口市に編入される。
* 1950年11月1日 旧鳩ヶ谷町の区域が川口市から分離し、新たに鳩ヶ谷町が設置される。そのため旧新郷村地域が飛び地になる。
* 1956年4月1日 安行村が川口市に編入される(旧新郷村地域の飛び地解消)。戸塚村、大門村、野田村が合併して美園村が設置される。
* 1962年5月1日 美園村のうち、旧戸塚村全部と旧大門村の一部の区域が川口市に編入される。
* 2001年4月1日 特例市に移行する。
* 2001年 彩の国中核都市の指定を受ける。
* 2003年12月24日 合併特例法に基づき、「川口市・蕨市・鳩ヶ谷市法定合併協議会」が設立
* 2004年7月 新市名「武南市」の決定を民意を無視しているとして、川口市が合併協議会を離脱

地域

中心市街である川口駅・川口元郷駅のある市南部は東京都との結びつきが強い。東京都と相互に通勤・通学の人の行き来がある。 駅周辺は超高層マンションが多く、1998年に完成した当時日本一の高層マンションエルザタワー55(55F)を有し、川口駅〜川口元郷駅を中心に高層マンションが林立している。また、川口駅前はそごうをはじめとして各種ビル、商店街である樹モールでの買い物等にも非常に便利な上、都内へはJRや地下鉄、路線バスまで利用できるため、ある会社がこの地区でマンションを販売した際には「東京24区」という愛称までつけたほどである。

芝地区は蕨駅の最寄りの機能を生かし、蕨駅と直結したような街並みを携える。坂などの地形はなく、平坦であるためほとんどは住宅地で形成されている。多くの店は産業道路沿いに存在するが、地区内の産業道路以外の主要道路でも住宅地と商店街を混合して形成しているため、蕨駅から離れた位置でも中心市街地並みの街並みを携える。それを象徴するかのように県下最大級のショッピングモールのイオンモール川口キャラ(旧ダイヤモンドシティ・キャラ)はこの地域にある(所在地住所は「前川」)。

神根地区は市内の中では最も緑が多く、坂が多い。都市計画上の市街化調整区域はこの地区に集中する。そのため宅地化できず、現在でも多くの畑や植木苗の畑が見られ農業が盛んである。西側の平地の部分は地元向けの商店が立地する。 地区内には川口市立グリーンセンターと川口市立医療センターと新井宿駅、川口ジャンクションが立地する。この地区は面積が広いため、場所によっては東浦和駅・鳩ヶ谷駅の他市の駅を利用する場合が多い。川口市内ではあるが、限られた地域の特性としてはこれら両者(さいたま市・鳩ヶ谷市)の地域に依存している。

安行地区は植木でその名を知らしめている。植木が盛んであり、川口緑化センターなどの植物に関係する施設が多い。また、草加市に接しているため関わりが深く松原団地駅と新田駅を最寄り駅とする地域がある。さらに戸塚安行駅が開業したことにより安行地区に鉄道が通ることとなった。

東川口駅のある戸塚地区は川口市最北端に位置し、南端部に位置する川口駅・川口元郷駅より最も遠い位置にある。昭和50年代に区画整理され、市街地を形成するようになった。市の端部という地理的条件よりさいたま市緑区(旧美園村)・越谷市との関わりが深い。東川口駅周辺はおおむね坂が多く、坂がないけやき通り沿いに市街地を持つ。けやき通りから離れると住宅街が広がる。 武蔵野線・埼玉高速鉄道線の乗換駅であるため、川口市内では中心市街地に次ぐ交通の便のよさを持つ。

新郷地区は中心部から移住してきた工場の関係で工場などの施設が多い。隣接する草加市との関わりが深い。中心街へ行くには鳩ヶ谷市を越える形になる。 この地区はほかの地区と比べ鉄道が通らないため、バス路線が非常に発達しており、交通は川口駅か草加駅などを利用する。関東広域AMラジオ局の文化放送の送信所がある。

作品

* キューポラのある街
* 破壊魔定光

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行田市

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行田市(ぎょうだし)は、埼玉県北部にある人口約9万人の市である。

近世以前

* 行田市大字埼玉(さきたま)は、古くは万葉集に「さきたまの津」という記述があり、風土記にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあるように、「埼玉県」という地名の発祥地であるとされる。
* 古墳時代には稲荷山古墳などが造成され、これらからは金文字の入った金錯銘鉄剣など貴重な文化財が出土している。
* 室町時代には忍城(おしじょう)が築かれ、成田氏を中心とする武士団の本拠地として周辺に勢力を拡大していた。
* 戦国時代には後北条氏と結んだため、豊臣秀吉の小田原攻めの際には石田三成に攻撃を受けることとなる。
* 江戸時代には阿部氏、後に松平氏の城下町。石高は十万石。
* 江戸時代中期より、下級武士の内職として足袋の生産が始まり、明治時代を迎えて機械化され一大産地となる。戦後は洋装化が進んだため衰退したが、今でも生産は行われているほか、足袋から転じた繊維産業が地場産業として一定の地位を占めている。「きねや足袋」が老舗の名店として有名。

近代以後

* 1889年4月1日 - 北埼玉郡成田町・行田町・佐間村が合併し忍町(おしまち)となる。
* 1902年6月 - 行田馬車鉄道が創業。
* 1910年9月 - 行田電灯が設立。
* 1937年4月1日 - 北埼玉郡長野村・星河村・持田村が忍町に編入される。
* 1949年5月3日 - 忍市として市制施行、その直後に改称し行田市となる。
* 1954年3月31日 - 北埼玉郡荒木村・須加村・北河原村が行田市に編入される。
* 1954年7月1日 - 北埼玉郡埼玉村が行田市に編入される。
* 1955年7月20日 - 北埼玉郡星宮村が行田市に編入される。
* 1955年9月30日 - 北埼玉郡太井村のうち旧棚田村・門井村の区域が行田市に編入される。
* 1955年10月1日 - 池上・下川上が行田市から分離し、熊谷市に編入される。
* 1956年4月1日 - 北足立郡吹上町から堤根・樋上および下忍の一部が分離し、行田市に編入される。
* 1957年3月31日 - 北埼玉郡太田村が行田市に編入される。
* 2006年1月1日 - 北埼玉郡南河原村が行田市に編入される。

観光地

* 忍城御三階櫓

中心部の行田市郷土博物館内に併設されている。1873年(明治6年)に解体されたが、1988年(昭和63年)2月17日に再建された。春には桜がきれい。

* 古代蓮の里

近隣のごみ焼却場建設時に種が発見された古代蓮や、その他の蓮を鑑賞できる(開花時期のみ)。展望台のある古代蓮会館を併設している。

* さきたま古墳群(埼玉県立さきたま古墳公園)

1968年(昭和43年)に「金錯銘鉄剣」(国宝)が出土した稲荷山古墳や、日本最大級の円墳である丸墓山古墳が有名である。古代、この辺りの有力者の根拠地が置かれていたと推定されている。

* 水城公園

1964年(昭和39年)4月に開園した、県内でも最も古い都市計画公園。行田市民の憩いの場所。アヒル、カモ、カイツブリ、そしてニワトリもいる。

名物

* ゼリーフライ
* 行田のフライ
* 十万石饅頭

テレビ埼玉で放映される、強烈なインパクトのあるCMにより、埼玉県民の間での知名度は高い。

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秩父市

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秩父市 (ちちぶし) は、埼玉県北西部にある人口約7万人の市。面積は約578km²で、埼玉県内で最も広い市町村である。

地理

秩父山地に囲まれ、秩父盆地の中央に位置する唯一つの市である。市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や、武甲・西秩父といった埼玉県立の自然公園に指定されている。荒川が、南西から北東に流れ河岸段丘を形成する。市の南東にそびえる武甲山では石灰石を産出し、露天掘りが行われている。

歴史

* 708年 - 現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡付近から、和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出し、朝廷に献上された事を記念して、「和銅」に改元するとともに、和同開珎が作られたとされる。

* 秩父盆地の中央にあることから古くから物資の集散地として、また秩父神社の門前町として栄えた。そのためかつては大宮郷(おおみやごう)と呼ばれ、自治体名も1915年までは大宮町(おおみやまち)であった。

* 1884年(明治17年)- 秩父事件。同事件は、負債に悩む秩父の農民たちが結成した「困民党」と呼ばれる組織を中心とした武装蜂起であり、最盛期には小鹿野・吉田、さらには郡都大宮郷(現在の秩父市)等を武力占拠した。これに対し政府は、警察・憲兵隊、最終的には東京鎮台まで動員し、徹底的な武力鎮圧を図った。事件後の裁判の結果、死刑7名を含む4000名余が処罰された日本史上最大規模の民衆蜂起とされる(詳細は同項目参照)。

* 1889(明治22)年4月1日 - 町村制施行に伴い、秩父郡大宮郷・別所村が合併し、大宮町となる。
* 1916(大正5)年1月1日 - 大宮町が町名を変更し、秩父町となる。これは、秩父郡の中心にあることのほか、1914年に開業した秩父鉄道の駅が郡名を採って「秩父駅」となったことや、同県内の北足立郡大宮町(のちの大宮市、現在のさいたま市大宮区周辺)との混同を避けるためといったことが理由として考えられている。
* 1950(昭和25)年4月1日 - 市制施行により、秩父市となる。
* 1954(昭和29)年5月3日 - 秩父郡尾田蒔村・原谷村を編入する。
* 1954(昭和29)年11月3日 - 秩父郡久那村を編入する。
* 1957(昭和32)年5月3日 - 秩父郡高篠村・大田村を編入する。
* 1958(昭和33)年5月31日 - 秩父郡影森町を編入する。
* 2005(平成17)年4月1日 - 秩父郡吉田町・荒川村・大滝村と合併し、秩父市となる。

名所・史跡

* 秩父神社
* 三峯神社
* 秩父三十四箇所※西国三十三箇所、坂東三十三箇所と併せて日本百観音と呼ばれる)
* ちちぶ銘仙館※国の登録有形文化財
* 秩父ふるさと館※国の登録有形文化財
* 和同遺跡※和同開珎の発掘された遺跡

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所沢市

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所沢市(ところざわし)は埼玉県南部にある人口約33万8千人の市である。 さいたま市、川口市に次ぎ、埼玉県内で3番目に多い人口を擁する。特例市及び彩の国中核都市に指定されている。

概要

都心のベッドタウンとして、新所沢、小手指地区には集合住宅が多く、所沢駅前はプロペ通りを中心にした繁華街となっている。東所沢地区はJR武蔵野線が開業した当時から人口が急増している。その反面、北部の富岡地区は江戸時代に行われた開拓により整備された農地(三富新田)が広がり、南部には宮崎駿監督作品の映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵(トトロの森)が広がっており豊かな自然にも恵まれている。

日本で初めて飛行場が建設された地としても有名で、かつて飛行場であった所には所沢航空記念公園が作られ、所沢航空発祥記念館もある。東京航空交通管制部もここ所沢にある。

プロ野球球団西武ライオンズのフランチャイズのグッドウィルドームの所在地としても全国的に名が知られている。西武鉄道グループ(通称:西武グループ)の本拠地としても有名で、駅前には西武百貨店(ただし旧セゾングループ)など西武の名を冠するビルが連なっている。

市名の由来

「所沢」という地名は野老(トコロ。ヤマノイモ科の植物)が群生する湿地の意といわれるが不詳。古くは「野老沢」(とろろさわ)と称した。市内中心部から東部を流れる東川(あずまがわ)を指しているとする説が有力である。

歴史

古代まで

所沢の近辺には、約2万年前から人類が定住しており、砂川遺跡を筆頭に市内には旧石器時代以降の遺跡や貝塚が点在している。

東日本各地に多く見られることだが、当地にも日本武尊の東征伝説がある。戦勝を祈願したといわれる神社(所澤神明社や北野天神社の由来)や、あるいは篭手をかざした(地名・小手指の由来)と言った伝承がある。

7世紀に律令制度のもと、武蔵国国府が現在の府中市に設置されると、武蔵国国府と上野国国府を結ぶ官道が築かれた。これが東山道武蔵路であり、市内の南陵中学校で遺構が確認されている。また、かつての郡境にあたる現在の松が丘付近には悲田処(行路病人などの救護施設)が設置されたという伝承がある。

武蔵国一帯は朝鮮半島からの渡来人が数多く定住しており、当地にも渡来人のコミュニティが存在していた、との説もある。

中世

平安時代末期になると世情が乱れ、野武士軍団である武蔵七党の一派、村山党が定着した。 現在も市内に多く存在する山口、村山、金子といった姓は、この流れである。

1192年に鎌倉幕府が成立すると、府中方面に通じていた街道は鎌倉街道上道となり、軍事的にも経済的にも重要な幹線道路として整備された。 特に所沢は、上道と間道である堀兼道・羽根倉道の合流地点として、栄えたという。

1333年、京都で後醍醐天皇が蜂起すると、上野国(群馬県)の新田義貞は呼応して鎌倉へ向かって進軍し、小手差原(現在の北野付近)で北条氏の兵と衝突、決着はつかず両軍とも一時兵を引いた。世にいう小手指原の戦いである。 市内に残る白旗塚・将軍塚(松が丘)・誓詞橋(砂川堀)・勢揃橋(柳瀬川)といった地名は、この戦いに由来する。 その後、1352年にも義貞の遺児である義興・義宗の兄弟が足利軍と小手指原付近で衝突している。(武蔵野合戦)

戦国時代は関東管領扇谷上杉氏の支配下にあり、上杉氏家臣で守護代の大石氏が統治していた。のちに後北条氏が台頭してくると北条氏照の支配下となった。柳瀬川沿いに山口城址・滝の城址などの中世城館跡が数か所残っている。

近世

江戸時代、所沢は江戸から近いこともあり、旗本領や天領(一部は川越藩領)として幕府の直接支配のもとに置かれた。 河原宿(現在の宮本町付近)から江戸四谷への道(江戸街道・おおむね現在の西武新宿線沿い・現所沢街道に近い)が整備され、東(江戸街道)・西(秩父道)・南(府中・八王子方面)・北(川越方面)へ延びる主要道路の中継地、あるいは物資の集積地として繁栄した。 また、市北部の富岡地区では、川越藩の柳沢吉保による三富新田開拓が行われた(このうち上富地区は、現在は三芳町の域内)。

なお、地層が関東ローム層と礫層に覆われた武蔵野台地では地下水脈が深いため、所沢は井戸水の確保に苦労した。 その惨状たるや「所沢の火事は土で消せ」と言われたくらいであり、実際に1818年(文化15年)2月の神明社、薬王寺及び民家142戸が焼失する大火など、江戸期には数回の大火が発生している。

近代

明治維新後、現在の所沢市域の旧幕府直轄領だった大部分は1869年(明治2年)3月21日(旧暦2月9日)に品川県に、1871年8月29日(旧暦7月14日)に川越藩領だった一部は川越県となったが、同年12月25日(旧暦11月14日)に全域入間県、1873年6月15日に熊谷県と移管された後、最終的に1876年8月21日、埼玉県に組み入れられた。1881年(明治14年)上新井村の本宿と久米村の金山を編入し、所沢村から所沢町になった。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、入間郡所沢町が誕生。

明治時代にも1875年(明治8年)、1880年(明治13年)、1885年(明治18年)などに大火があり、蔵造りの街並みが造られた。

1911年(明治44年)、現在の並木地区を中心とした一帯に陸軍が日本初の飛行場(のち陸軍航空整備学校)を設置し、基地の町という新たな顔をもつことになった。現在、所沢が「航空発祥の地」を標榜しているのは、これに由来する。(ちなみに日本人の初飛行は東京代々木練兵場で、1910年(明治43年)12月29日。臨時軍用気球研究会所沢試験場が翌1911年4月1日にオープン。4月5日に陸軍大尉徳川好敏による初飛行が行われた)なお、これに合わせて武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)や旧西武鉄道(現在の西武新宿線)も競って基地への最寄駅を設置した。(現在は両駅とも廃止)

一方、交易中継地としての機能も健在で、「所沢飛白」「湖月縮」といった名産品により、「織物の町・所沢」として最盛期を迎えた。

1927年(昭和2年)、東京市民の水がめとして、山口貯水池(狭山湖)の建設が開始され、1934年に完成した。このため山口村の旧勝楽寺村と上山口村にわたる一帯が水没し、村の住民は隣の小手指村などに移住した。 狭山湖畔からの景観や付近の桜景色は、同湖完成直後から観光名所となり、後に周辺一帯が一大レジャーエリアとして開発される端緒となった。

現代

1943年(昭和18年)、所沢町と小手指・富岡・吾妻・松井・山口の5村が合併、1950年(昭和25年)に市制を施行し所沢市となった(埼玉県で8番目)。

敗戦とともに、陸軍所沢飛行場および周辺施設はアメリカ軍に接収され、1971年(昭和46年)に6割、1978年(昭和53年)にさらに1割は返還されたものの、現在も通信基地として残っている。 1955年(昭和30年)には柳瀬と三ヶ島の両村を吸収し、現在の市域となった。

市制施行時、人口は約4万2千人であったが、昭和20年代〜30年代前半に沖縄からの移民団が新所沢東部や小手指付近に入植・開拓を行うなど人口は増加しつづけ、1959年(昭和34年)には住宅公団による新所沢団地の入居が開始された。 その後も小手指や新所沢地区を中心に大規模な住宅開発が行われ、2000年には人口33万人を突破している。

1978年(昭和53年)福岡を本拠地とし、経営不振に陥っていたプロ野球パシフィックリーグ『クラウンライターライオンズ』を、国土計画の堤義明が、西武鉄道沿線である所沢市への移転を条件に、全ての債務を肩代わりするなどして買収。狭山丘陵に自前の球場(西武ライオンズ球場(現:グッドウィルドーム)を建設。チーム名を西武ライオンズとした。

1982年(昭和57年)西武ライオンズが創設4年目にしてリーグ初優勝、日本一に輝く。以来2006年(平成18年)までにリーグ優勝15回、日本一8回達成し、80年代のパリーグ黄金時代を築く。

1997年(平成9年)に廃部となったバスケットボールチーム・アンフィニ東京ブロンコスの後継チームを発足。名称を所沢ブロンコスとし活動開始。2005年(平成17年)には埼玉ブロンコスに名称を変更し新潟アルビレックスBBとともにbjリーグを発足した。所沢市民体育館を本拠地としている。

1997年(平成9年)にはテレビ朝日のテレビ報道に端を発するダイオキシン騒動が発生、社会問題となった。

2002年(平成14年)特例市へ移行した。

農業

* 狭山茶が有名だが、ほうれん草や里芋、にんじん等の栽培も盛ん。また、さつまいも掘りやぶどう狩り等の観光農園も点在している。

所沢市が舞台の映像作品等

* となりのトトロ(アニメ映画)
* 鉄塔 武蔵野線(映画・小説)
* がんばれ!!タブチくん!!(漫画・映画)
* Shall we ダンス?(映画)
* 瀬戸の花嫁(漫画・アニメ)
* 風飛び一斗(漫画)
* 世界の中心、針山さん(小説)

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飯能市

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飯能市(はんのうし)は、埼玉県の南西にある人口約8万5千人の市。

市内の多くが山野で、南東端に市街地が集中している。東京のベッドタウンであるほか、周辺地域の鉄道や道路の要所でもある。

歴史

* 1889年 - 町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村・小岩井村が合併、飯能町となる。
* 1896年3月29日 - 高麗郡が廃止され入間郡に編入、入間郡飯能町となる。
* 1943年4月1日 - 入間郡飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村が合併し、飯能町となる。

* 1954年1月1日 - 市制施行により飯能市となる。
* 1954年4月1日 - 旧元加治村・新光の一部が分離し、東金子村に編入される。
* 1956年9月30日 - 入間郡吾野村・東吾野村・原市場村を編入する。
* 2004年 - 環境省エコツーリズムモデル事業地区に選定される。
* 2005年1月1日 - 入間郡名栗村を編入する。
* 2005年4月1日 - 「森林文化都市」を宣言する。

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加須市

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加須市(かぞし)は、埼玉県の北東部に位置する人口約7万人の市。難読地名の一つであり、「カス」または「カズ」と読み間違えられる事がある。

こいのぼりの生産数が日本一であり、うどんの街としても知られている。武州囃子の流れを汲む『武州加須囃子』がある。

歴史

* 1889年4月1日 町村制施行により、北埼玉郡加須町・久下村が合併し、加須町となる。
* 1902年9月6日 東武鉄道伊勢崎線加須駅が開業
* 1927年4月1日 東武鉄道伊勢崎線花崎駅が開業
* 1954年5月3日 北埼玉郡加須町・不動岡町・三俣村・礼羽村・大桑村・水深村・樋遣川村・志多見村が合併し市制施行、加須市となる。
* 1957年1月1日 北埼玉郡大越村を編入する。

名産・特産品

* 手描きこいのぼり
* 手打ちうどん
* 浮野みそ
* 五家宝
* いがまんじゅう
* 塩あんびん
* 柔剣道具
* 公式野球ボール

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本庄市

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本庄市(ほんじょうし)は、埼玉県の北西部に位置する市。中山道の宿場・本庄宿が置かれた。本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄え、明治時代には本庄への遷都が計画されていた事がある。

地理

埼玉県の北西部に位置し、北に利根川が位置し、市内中央部にJR高崎線が、南部に関越自動車道と上越新幹線が東西に横断している。市街地は本庄駅付近に集中する。

利根川の坂東大橋が架け替えられ2004年3月6日に開通、また同年3月13日には、上越新幹線の本庄早稲田駅が開業した。

歴史

鎌倉時代にこの地域を群雄割拠した武蔵七党の一つ、児玉党を構成する本庄氏がこの地に土着したことが地名の由来である。

* 市町村名の由来 - 「本庄城」から。本庄宮内少輔実忠が1556年に築城した。現・城山稲荷神社。新潟県村上市の本庄城(村上城)との混同に注意。

* 1954年7月1日 - 児玉郡本庄町・藤田村・仁手村・旭村・北泉村が合併(新設合併)し、本庄市となる。
* 1957年7月18日 - 児玉郡共和村の一部を編入する。
* 2006年1月10日 - 児玉郡児玉町と合併(新設合併)し、新たに本庄市となる。

映画、ドラマ等のロケ

本庄市は、周辺の市町村と比べると映画・ドラマ・プロモーションビデオの撮影が多く、『スパイ・ゾルゲ』、『ゴジラ FINAL WARS』、『日本沈没』、『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(ドラマ)』、『医龍2』など有名作品の撮影が行われている。銀座通りや岡病院、若泉公園、テイヒュー工場跡がロケ地として使われることが多い。2007年夏公開の『ワルボロ』の撮影や秋公開の『恋空』の一部シーンの撮影も行われた。

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東松山市

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東松山市(ひがしまつやまし)は、埼玉県のほぼ中央に位置する人口約9万人の市。

概要

県域としては県南西部地域に属する。多くの街道が集まる交通の要衝として、古くは鎌倉時代から松山城の城下町として知られた比企地域の中心都市である。国際ウォーキング大会でアジア最大規模の「日本スリーデーマーチ」が開催される都市として有名。焼き鳥の街であり、2000年に室蘭市が焼き鳥店の数をNTTの電話帳で調べたところ、1位東松山市、2位室蘭市、3位今治市であった。人口は約9万人。

気候は太平洋式気候の影響により冬には秩父おろしが吹く。

歴史

市制施行以前

現在の東松山市の中心部にあたる地域は市制施行前まで松山町と呼ばれ、元を辿れば1333年に築城されたとされる松山城の城下町として発展した街である。城下町時代は、松山城大手門に至る、鴻巣道沿いの現在の松本町から本町あたりが最も賑やかだったそうである。このあたり松山新宿と呼ばれていた一方、街道筋にあたる本町から材木町のあたりは松山本郷と呼ばれていた。また、現在の本町1丁目交差点は札の辻と呼ばれ高札場が設けられていた。

徳川家康が関東入国すると、松山城に松平家広が入城し松山藩を立藩。近代的な城郭都市に発展する可能性も潜めていたが、家広の跡を継いだ松平忠頼が浜松城に移封となると松山城は廃城となった。廃城後、この地域は最終的に川越藩の藩領となり、城に近い松山新宿は次第に廃れていったとされる。

江戸時代には、徳川幕府によって五街道と脇往還の整備が進められ、東松山市域でも、江戸から高坂を経て上州に至る川越・児玉往還(川越道)と、八王子から高坂・松山を経て日光に至る日光脇往還(日光道)が整備され、松山宿と高坂宿は宿場町として賑わった。

幕末になると、川越藩主である松平直克が、前橋藩に移封となり、比企郡・高麗郡・埼玉郡周辺のおよそ6万石の統治を行うために、1867年に松山陣屋が設置され、武家の移住で人口が2倍近くに増えたとされている。しかし、幕末という事もあってわずか5年足らずで廃藩置県を迎える事になった。

明治時代になると、入間県、熊谷県を経て埼玉県域となり、市域では主に「士族授産」事業として旧松山陣屋士族が中心となって東松山製糸工場など工場や銀行が起こされていった。また1923年には東上線が開通。市域には、高坂駅・武州松山駅(現:東松山駅)の2つの駅が設置されるなど交通網も整えられていった。

第二次世界大戦中には、唐子地区に陸軍松山飛行場が建設、また吉見町の吉見百穴近辺では中島飛行機(現富士重工業)の地下工場が建設され、工事関係者が多く集まるなど軍事色が濃い町ともなった。

市制施行以降

* 1954年7月1日に比企郡松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村が合併し、東松山市となる。

市名の由来は、地域の中心である松山町から採られたものであるが、松山市の呼称は既に愛媛県松山市が先行して市制施行して使用されていた。しかしこれ以前に、福岡県遠賀郡若松町(現・福岡県北九州市若松区)が同名の福島県若松市(現・福島県会津若松市)がありながら、同一の市名である若松市を申請し認められた例があった。また、1954年3月31日に広島県府中市、同年4月1日に東京都府中市が相次いで成立し同一名の市が誕生していた。
こうした先行事例をふまえ同名の松山市を市名として申請したが自治省はこれを認めず、愛媛県松山市に対して東の松山市という意味で東松山市とした。この後、自治省により同一の市名は認可しない旨の通知がなされ、東久留米市、東大和市(ともに東京都)など同様の命名法による市名が出来る端緒となった。このような経過もあってか、現在でも市民や周辺部の住民を中心に東松山市を指すときに「松山」と呼ぶことが多い。
しかし、2006年1月1日、北海道伊達市と同名の福島県伊達市が成立し、現在、この同一市名に関する通知は有名無実化している。

* 高度成長期になると東京のベッドタウンとして人口が増加。高坂ニュータウンや東松山マイタウンに代表されるような住宅団地が次々と造成された。
* 1975年8月8日に関越自動車道 川越IC〜東松山IC間が開通し、交通・物流の拠点地点化が進む。

名所

* こども動物自然公園
* ビアトリクス・ポター資料館
* 埼玉県平和資料館
* 物見山
* 岩鼻運動公園
* 原爆の図丸木美術館
* 高坂駅西口彫刻通り
* 箭弓稲荷神社(ぼたんの名所)
* 東松山ぼたん園
* 岩殿観音(板東十番札所)
* 鳴かずの池
* 等覚院木造阿弥陀如来坐像
* 光福寺宝篋印塔
* 松山陣屋跡
* 大谷瓦窯跡
* 青鳥城
* 高坂館跡
* 市民の森
* 上岡観音
* 東松山遊園地跡
* 神秘珍々ニコニコ園跡

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春日部市

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春日部市(かすかべし)は、関東地方の南部、埼玉県東部にある人口約24万人の市。旧南埼玉郡・北葛飾郡(旧春日部町は南埼玉郡)。隣接する越谷市とともに彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。

第二次大戦期までは粕壁と表記された(この頃隣接の現・越谷市も「越ヶ谷」と表記していた)が、当地を起源とする武家・春日部氏にちなんで現在の表記に改められる。

江戸時代には、江戸と日光を結ぶ日光街道粕壁宿の宿場町であった。

概要

埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝である。

牛島の藤の所在地であり、日本有数の「藤の街」として有名である。藤で知られる都市には、春日部の他には藤枝が代表的である。また、特産品に桐箪笥、桐箱、麦藁帽子、押絵羽子板がある。尚、国道16号直下には首都圏外郭放水路と呼ばれる大規模な放水路が建設されており、一般にも公開されている。

市内在住の漫画家・臼井儀人原作の漫画で、1992年(平成4年)よりテレビ朝日系で放映されているアニメ「クレヨンしんちゃん」の舞台として有名である。2004年(平成16年)4月6日には、作品の主人公であるしんちゃんこと野原しんのすけと野原家に特別住民票が交付された。尚、アニメ内では「かすかべ(春日部)」ではなく、「かすがべ(春我部)」と表記されることがあったが、現在は「かすかべ(春日部)」で統一されている。

高度成長以来東京のベッドタウンとして人口増加の一途を辿ってきたが、ここにきて転出超過数が自然増加数でまかないきれなくなり、人口減少期に突入した。隣接する千葉県野田市などとともに、「都心回帰の好例」として不動産系シンクタンクが取り上げることがある。

春日部を舞台(モデル・春日部の表記)とした作品

漫画、テレビアニメ

* クレヨンしんちゃん(臼井儀人) - 表記は当初「春我部」であったが現在は「春日部」に統一。
* らき☆すた(美水かがみ) - アニメ版にのみ登場。表記は「糟日部」。実際、「糟」の漢字表記は過去使われていた。粕壁を参照。
* おおきく振りかぶって(ひぐちアサ) - 作中「春日部市立高校」という架空の学校が登場。

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狭山市