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さいたま市

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さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南東部に位置する市で、同県の県庁所在地である。政令指定都市。

概要

2001年5月の浦和、大宮、与野の3市の合併により成立した。政令指定都市及び業務核都市に指定されている。2005年4月には岩槻市を編入し、岩槻区が誕生した。

日本で10番目に多くの人口を抱える都市であり(東京特別区を1都市として数えた場合)、新幹線をはじめ周辺各地の広域鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。

地区

さいたま市は浦和市、大宮市といった人口規模のほぼ同じ市をはじめとする複数の市が対等の地位で合併したという側面が強い。さらに成立してまだ日が浅いことから、市の歴史は旧4市それぞれについて個別に記述されることが多い。

* 近世の浦和は中山道の宿場町(浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生・拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門(緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。
* 旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来裁判所、県警察など行政機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。また「鎌倉文士に浦和画家」という言葉からも分かるように、旧浦和市は瑛九や高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあっり、同時にサッカーの盛んな地としても知られる。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館が設置されているた現在でも旧浦和市地域の市民の教育レベルが高いと言われ、「文教都市」ともいわれている。
* 旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に貨物操車場が設置されるなど「鉄道の街」と呼ばれるようになった。戦後、多くの大企業が埼玉県内の営業拠点として大宮を選んだために商業、業務機能が集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地であるため大宮には埼玉県内全域はもとより栃木県、群馬県、東京都からも多くの買い物客が訪れる。また東北・上越新幹線が開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・仙台・新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地はさいたま新都心となった。
* 旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店が多く建てられたため、「自動車の街」と呼ばれていた。
* 旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形の街」として全国的に知られる。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、ほぼ同じルートだと言われる武州鉄道のときに果たせなかった、東京都心への直通列車の完成が待たれている。
o なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。

名称問題

浦和市、大宮市、与野市の三市が合併する時に、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。

市名公募の結果では、『さいたま市』という名称は2位であり、1位は漢字の『埼玉市』であった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位、『浦和市』が6位、『与野市』は100位以内に入らなかった。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。しかしその後の議論では『さいたま市』を推す浦和市・与野市に対し、大宮市がこの5案になかった『大宮市』(公募3位)を主張した。最終的に大宮市は新市の事務所(市役所)の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた。

『埼玉』の地名は、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。この事から、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属する本地域にできた市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また、行田市から、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるからという理由で新しい名称に『埼玉』『さいたま』を使わないで欲しいという要望も出たが、これはすでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後であり、考慮されなかった(なお、さいたま市発足後に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属する)。

単に市名をひらがなにする事に対しては、同時期に合併が行われた『東かがわ市』『さぬき市』(いずれも香川県)などと共に批判も多い。だが、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。

このほか、区名についても批判がある。

さいたま市に関わる作品

赤き血のイレブン
サッカー漫画。浦和南高校が舞台。
エースをねらえ!
テニス漫画。原作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデルとされる。(作中では「神奈川県立西高校」。横浜市が舞台となっている)
おおきく振りかぶって
野球漫画。原作者のひぐちアサの出身校である浦和西高校が舞台のモデルとされる。(作中では「西浦高校」)
行け!稲中卓球部
ギャグ漫画。原作者の古谷実の出身地である旧浦和市及び校舎のみだが出身中学校がモデル。(作中では「稲豊市」)
キャプテン翼
サッカー漫画。旧浦和市がモデルであるが、大宮公園サッカー場・浦和駒場スタジアムが実名で登場している。(作中では「明和市」)
Jドリーム
サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
灼眼のシャナ
ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺が舞台のモデルとなっている。(作中では「御市」)
タナカヒロシのすべて
主人公がさいたま市に住んでいる。
レンアイ至上主義
大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、さいたま市大宮武道館が登場する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西区 (さいたま市)

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西区(にしく)は、さいたま市を構成する10区の1つである。区名の由来は、同市西部(旧大宮市西部)をその区域とすることからきている。

歴史

* 1889年 町村制施行、指扇村・馬宮村・植水村・日進村(宮前町)・三橋村(三橋5・6丁目)
* 1940年 日進村・三橋村が大宮町・大砂土村・宮原村と合併し、大宮市発足
* 1955年 指扇村・馬宮村・植水村が大宮市と合併
* 2001年 大宮市が浦和市・与野市と合併し、さいたま市発足
* 2003年 政令指定都市移行に伴い、西区誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北区 (さいたま市)

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北区(きたく)は、さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

区名はさいたま市北部(旧大宮市北部)に位置する事に由来する。区域は大宮台地上にあり、西限には鴨川が流れ、他に芝川や見沼代用水などが流れる。江戸時代には中山道が大宮宿から上尾宿に至る途上に位置し、現代でも各鉄道が大宮駅より伸びている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大宮区

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大宮区(おおみやく、英語:Ōmiya-ku、Ōmiya ward)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

旧大宮市の中心部にあたり、古くは中山道の宿場、大宮宿が置かれた宿場町、また氷川神社の門前町、近年では埼玉県下有数の商業都市として栄えた地域である。

大宮駅付近にはJR東日本の大宮総合車両センターやJR貨物の車両工場があり「鉄道の街」としても知られており、東京・神田の旧交通博物館が大成町に移転して新たに鉄道博物館として開館した。

地理・概況

ほとんどの区域が大宮台地上にあり、平坦で山岳・丘陵はない。 大宮駅を中心として店舗・事業所・住宅が立ち並び農地はほとんど見られないが天沼町の一部に見沼田んぼがあったり、三橋の鴨川沿いに田畑が見られるなど区の外れでは若干見られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

見沼区

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見沼区(みぬまく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。同市の北東部に位置する。旧大宮市東部にあたる。

沿革

区名の由来は、この見沼区と隣接する緑区および北区にかけて存在した見沼(1728年干拓され消滅)である。現在では跡地は見沼田圃と呼ばれ、豊かな緑地が残る地として保護の対象になっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中央区 (さいたま市)

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中央区(ちゅうおうく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。

沿革

旧与野市全域と旧大宮市および旧浦和市の一部(さいたま新都心のうち東北本線線路より西側の地域)にあたる。位置的に市の中央部であることから名づけられたもので、街の中心部というわけではない。

区役所は、旧与野市役所の場所に置かれている。

歴史

* 1889年4月1日 - 北足立郡与野町、小村田村、下落合村、上落合村、中里村、大戸村、鈴谷村、上峰村、八王子村、円阿弥村が合併して与野町となる。
* 1958年7月15日 - 市制施行により与野市となる。
* 2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市となる。
* 2003年4月1日 - 政令指定都市移行に伴い、旧与野市とさいたま新都心のうち東北本線線路より西側の地域を区域とする中央区が設置される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桜区

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桜区(さくらく)は、さいたま市を構成する10区のうちの1つである。

歴史

* 区名は、荒川河川敷の秋ヶ瀬地区(田島ヶ原)に日本でも最大級のサクラソウ自生地がある事に由来するものであり、歴史上の地名に基づくものではない。また、桜とサクラソウはまったく別の植物である。
* 低地の広がる現区域では、自然堤防などの微高地が集落、後背湿地が水田として利用されてきた。このため弥生時代以降、様々な時代の集落や律令体制下の条里制の遺構が各地に見られる。また、5世紀後半から7世紀にかけて、白鍬地区(大久保古墳群を参照)や西堀地区など各所に古墳が造られた。
* 律令体制下において足立郡は七つの郷からなっていたといわれている。このうち「大里郷」「殖田郷」などが現桜区周辺にあったと比定する説もあるが、定かではない。また南北朝時代以降、大窪郷という集落があったとされ、現在の「大久保地区」の地名の興りとなったとされる。
* 鎌倉時代、大久保地区を鎌倉街道が通じており、2005年現在も県道215号線等として残っている。またこの街道が入間川(現:荒川)を渡る地点が羽根倉であり、こちらも「羽根倉橋」(国道463号の荒川架橋)等に名を残している。
* 1350年(観応元年)、観応の擾乱に応じ羽根倉の戦いが起こり、足利尊氏方の高麗経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破る。
* 1920年(大正9年)、田島ヶ原のサクラソウ自生地が天然記念物に指定される。
* 第二次世界大戦後、東京の郊外化に伴い人口が急増を始め、この地区の浦和市への合併の一因となる。
* 1964年(昭和39年)7月から1969年(昭和44年)12月にかけて、埼玉大学が浦和市内常盤地区(現:浦和区)より大久保地区へ移転する。
* 1973年(昭和48年)4月1日、国鉄武蔵野線が開通。西浦和駅が開設される。
* 1985年(昭和60年)9月30日、国鉄埼京線が開通。中浦和駅が開設される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浦和区

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浦和区(うらわく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

浦和区はさいたま市の中央よりやや南に位置し、旧浦和市の中心部にあたる。江戸時代には江戸日本橋から草津で東海道に合流する中山道の浦和宿で、宿場町として栄える。近代に入ると埼玉県の県庁所在地となり、1923年の関東大震災が起ると、復興の過程で首都圏への利便性が注目され都市として発展する。2001年(平成13年)にさいたま市が誕生、03年に政令指定都市に移行し、市を構成する9区が誕生し、現在ではさいたま市の行政機関が集まる行政の中心となっている。

歴史

* 1889年 町村制施行、浦和町発足。
* 1934年 旧浦和市が市政施行。
* 2001年 浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市が誕生。
* 2003年 政令指定都市移行に伴い、浦和区誕生。

名物

鰻の蒲焼が古くから名物で老舗が多い。旧浦和市はウナギ消費量が日本一といわれていた。そして鰻の蒲焼の発祥の地。

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南区 (さいたま市)

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南区(みなみく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。

沿革

区名の由来は、同市南部をその区域とすることから。旧浦和市の南部にあたり、これは1932年以前の自治体では六辻村(1938年町制施行、六辻町)の大部分(神明の北部を除く)、谷田村の北部(太田窪の北部・原山)を除く地域、土合村の南東部(関・鹿手袋)、および美谷本村(1943年笹目村と合併、美笹村)の北部(内谷・曲本・松本・堤外の一部)にほぼ相当する。

* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して北足立郡辻・白幡・根岸・別所・文蔵・沼影の6村が合併し六辻村が、同郡大谷場・太田窪・大谷口・広ヶ谷戸・円正寺と原山新田の5箇村1新田が合併し谷田村が、同郡南元宿・西堀・関・鹿手袋・田嶋(田島)・新開・道場・町谷・栄和・中嶋(中島)・山窪(山久保)の11箇村が合併し土合村が、内谷・曲本・美女木・松本新田の3箇村1新田が合併し美谷本村がそれぞれ成立。
* 1932年(昭和7年)4月1日 - 谷田村が同郡木崎村(大字北袋を除く)と共に浦和町に編入され、それぞれ同町の谷田地区、木崎地区となる。
* 1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制を施行し、浦和市となる。この頃より浦和市と六辻村の合併交渉が始まる。
* 1938年(昭和13年)7月1日 - 六辻村は浦和市と合併することなく単独で町制施行、六辻町となる。
* 1942年(昭和17年)4月1日 - 六辻町が浦和市に編入され、同市の六辻地区となる。戦局の悪化に伴う経済統制上の事情が合併の機運を一挙に高めたとされる。
* 1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村・笹目村が合併し美笹村成立。当時国内各地で「戦時合併」と呼ばれる市町村合併が頻繁に行われていた。
* 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村が同郡大久保村と共に浦和市に編入され、それぞれ同市の土合地区、大久保地区となる。
* 1957年(昭和32年)7月1日 - 美笹村が戸田町に編入される。
* 1959年(昭和34年)4月1日 - 旧美笹村のうち旧美谷本村北部にあたる内谷・曲本・松本と堤外の一部が住民の強い運動の後に浦和市に編入され、同市の西浦和地区となる。これにより現在の南区の範囲全域が浦和市に含まれることとなった。
* 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市と与野市・大宮市との合併によりさいたま市が成立。
* 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行。旧浦和市のうち六辻地区のうち神明の北部を除く地域、谷田地区のうち太田窪の北部・原山を除く地域、土合地区のうち関・鹿手袋、および西浦和地区の地域をもって南区が誕生。

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緑区 (さいたま市)

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緑区(みどりく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちのひとつである。

地理

緑区はさいたま市の南東部の端に位置し、かつての美園村の一部、旧浦和市東部にあたる。中央部に広がる見沼田圃を中心に緑地が広がり、芝川や綾瀬川、見沼代用水などが流れ、綾瀬川は区の東限に当たる。見沼田圃は江戸時代に新田開発及び水害対策を目的として見沼溜井を干拓し、形成される。南部には武蔵野線が通り、東部には南北に東北自動車道(国道122号)が通り、かつての武州鉄道が走っていた。衆議院小選挙区のブロックは埼玉第一区。

歴史

* 1889年 谷田村・尾間木村・三室村・野田村・大門村誕生。その後順次旧浦和市に合併。
* 2001年 旧浦和市、与野市、大宮市が合併してさいたま市が誕生。
* 2003年 政令指定都市になり、さいたま市を構成する9区が誕生する。緑区誕生。

現在の大門地区は日光御成街道の宿場大門宿として知られる。

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岩槻区

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岩槻区(いわつきく) は、さいたま市を構成する10区のうちの1つであり、10区のうちで最も新しい区である。2005年4月1日、旧岩槻市がさいたま市に編入され、その市域が岩槻区になった。

歴史

* 1457年、太田道灌によって岩付城(岩槻城)が築城される。戦国時代には道灌の曾孫・太田資正は名将として名を轟かせた。
* 江戸時代、大岡家岩槻藩2万2千石の城下町として、また日光御成街道の宿場町として栄えた。なお、岩槻城長屋門などが遺構として移築現存している。
* 1871年(明治4年)旧暦7月14日 - 廃藩置県に伴い、埼玉県が成立。県庁は岩槻町におかれることとなったため、県名は岩槻町の所属郡である埼玉郡から名づけられた。しかし県庁は、暫定的という形で浦和町の旧浦和県庁に置かれた。
* 1876年(明治9年)12月1日 - 実際の県庁が岩槻町におかれることのないまま、実質的に浦和町が県庁所在地となる。
* 1879年(明治12年) - 前年に成立した南埼玉郡の郡庁が岩槻町におかれる。
* 1890年(明治23年)9月25日 - 勅令により、県庁が岩槻町に移転しないまま、正式に浦和町が県庁所在地となる。
* 1954年(昭和29年)5月3日 - 南埼玉郡岩槻町、新和村、和土村、川通村、柏崎村、河合村、慈恩寺村の1町6村が合併し、新たに岩槻町となる。
* 1954年(昭和29年)7月1日 - 岩槻町が市制施行し岩槻市となる。
* 2002年(平成14年) - 公職選挙法の改正で、岩槻市の所属する衆議院小選挙区が埼玉13区から埼玉1区となる。後に、さいたま市へ編入合併へ至る要因の一つとなる。
* 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、合併に関する住民投票を行う、その結果は、「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市,宮代町,杉戸町,庄和町との合併(8.5%)」となり、2月5日に岩槻市はさいたま市に対し合併協議を申入れる。
* 2004年(平成16年)7月1日 - 市制施行50周年を迎える。
* 2004年(平成16年)8月24日 - さいたま市との合併協定の調印式が行われる。
* 2005年(平成17年)4月1日 - さいたま市に編入され、さいたま市岩槻区となる。

名産品

現在では、東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積。「人形の街」として全国的に知られる。岩槻の名物としては特に雛人形、兜などの人形が有名である。これは日光東照宮造営に関わった職人がその後岩槻にとどまり、江戸初期に始めたものと言われている。現在も岩槻駅周辺や人形町通り、市宿通りなどに人形店が軒を連ねる。県内の人形製造が盛んな地域としては他に鴻巣市・越谷市・所沢市がある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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