千代田区

概要

区の中央に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占めている。

国会・最高裁判所・首相官邸・中央省庁などの三権をはじめとする日本の首都機能、国家権力の中枢がこの区に集中しており、区内の永田町、霞が関といった地名はもはや日本の政治や官僚の代名詞ともなっている。千代田区はいわば日本の政治・行政の中心といえる。

また、丸の内や大手町は都市銀行本店や全国紙の新聞社など、大企業の本社が集結している。

神田エリアは出版社が多く立地しているなど、本と出版の街であり、書店街の神保町がある。

そのほか、千代田区には、外神田地区の秋葉原電気街、高級住宅地の番町、文京地区の駿河台がある。

都心3区の1つ(残りは中央区、港区)であり、区の大部分がオフィス街及び官公庁街であるため純粋な住宅地は限られている。そのため夜間人口と昼間人口の差が極端であり、夜間人口は約4万4000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約19倍の約85万人にまで膨れ上がる。

なお、以前は東京都庁が千代田区丸の内三丁目にあったが、現在は新宿区西新宿二丁目に移転している。


禁煙条例

東京駅など、千代田区の主要な駅の周辺は、千代田区生活環境条例により路上禁煙になっている。違反者は2万円(暫定的に2000円)の過料を徴収される。

指定地区外も公共の場所での歩きタバコをしないように努める義務がある。

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中央区 (東京都)

概要

東京の都心を形成する区(都心3区)のひとつである。区内には、銀座、日本橋、築地といった街がある。面積は10.15km²で、23区の中では台東区に次いで2番目に小さい。2006年現在の人口は9万人で、千代田区に次いで少ないが、大商業地域を複数抱えるため、昼間人口は65万人に膨れ上がる。中央区は商業地域としての特徴が強く、建物はビルやマンションが大半を占め、一戸建住宅やアパートは極めて少ない。道路は碁盤目状で、他区と比べると比較的よく整備されている。


地理

区域の西側は江戸時代には日本橋や京橋など下町として栄えた地域であり、東側は同時代からの埋め立てによって出来た地域である。現在、中央区は行政上、日本橋、京橋(銀座・築地などを含む)及び月島の3地域に区分されている。

中央区は終戦直後まで運河と水運の町であった。区内には京橋川・桜川・築地川・汐留川・三十間堀川・箱崎川・浜町川・竜閑川などが縦横無尽に張り巡らされていた。これらの河川は戦後の残土処理や高速道路建設のため埋め立てられ、現在では往時の姿を殆ど残していないが、町や区界はこの河川に沿っていることが多い。

区の北端との区界は竜閑川跡、西端は外堀跡および日本橋川、南端は汐留川跡である。区の東端には江東区との境に隅田川が流れる。隅田川は下流で二股に分かれ(西側が本流、東側は「派流晴海運河」)、その中州には佃や月島、勝どき、豊海町、晴海がある。区の南東部は東京湾に面している。


歴史

近世での江戸郷内前嶋の位置にあたる。
江戸時代の江戸町に相当。寛政の改革では雇用政策として石川島(現在の大川端)に人足寄場が設置された。
1869年築地鉄砲洲(今日の明石町付近)に外国人居留地設置(〜1899年)。
1878年11月2日施行の郡区町村編制法に基づく東京15区のうち、日本橋区(日本橋、人形町、兜町など)と京橋区(京橋、銀座、埋立地の勝どき、月島、晴海など)が現在の中央区に相当する。1947年3月15日、両区を併せて現在の中央区となる。
1947年5月3日、地方自治法施行により、中央区は特別区となる。


地名の由来

東京都特別区(旧東京市)のほぼ中央に位置することから。


逸話

現在の中央区の町名で旧日本橋区の区域にある街は「日本橋○○町」と称している。これは戦後、旧日本橋区と旧京橋区が合併する際に「日本橋」の町名が消えることを避けるために、旧日本橋区の町名に日本橋を冠したことによる。

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港区 (東京都)

概要

港区は、企業本社を日本で最も多く構える区であり、いわば日本のビジネスの中心である。特に、虎ノ門・新橋・芝をはじめとしたビジネス街では、経済活動が非常に活発である。そのほか港区内には、六本木・青山などの商業エリアや、麻布・白金台などの高級住宅街、汐留・台場などの大規模開発地区がある。

駐日大使館や外資系企業が多く立地し、外国人居住者も人口の約1割を占める。

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新宿区

概要

東京都に23存在する特別区の一つであり、23区の中央やや西側に位置する。1991年より都庁所在地。本来、山の手とは新宿区内を中心とした高台(武蔵野台地)を指す。

かつての35区が22区(のち23区)に移行した1947年に発足した区であり、行政機構としての歴史は比較的浅い。また、3つの区が「寄り合い所帯」となって誕生した経緯から、個性に富んだ地域が区内に点在する。

古くは甲州街道の通り道として栄えた新宿地区は大繁華街が形成されており、新宿駅は鉄道各路線のターミナルのため昼夜の人口増減が特に著しい。かつては都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた北部の落合地区は住宅地となっている。旧牛込区である東部は戦災被害が比較的軽かったため戦後の再開発とは無縁で、古くからの住民によるコミュニティが続く。(四谷地区とともに、江戸時代の武家屋敷に由来する町名も多数残っている。)また、南部は新宿御苑や明治神宮外苑があり、緑が豊富である。

このほか、早稲田大学や東京理科大学など大学・学校も多い。慶應義塾大学病院や東京医大病院、東京女子医大病院などの大学病院、国立国際医療センターなどの大病院も集積している。また、新宿区は都内で最も外国人登録者が多い区である。(外国人のなかでもとりわけ、韓国人と中国人が多数居住している。特に大久保、大久保駅、新大久保駅周辺から職安通りにはコリアタウンをはじめとする、外国人コミュニティが形成されている。)新宿区の発展に伴い、東京都庁や防衛省などの官公庁も移転してきた。

このように、商業地と住宅地、歴史ある地名と再開発地域、多国籍といった、まさに大都市の光景を縮図にした性格を新宿区はもっている。


区名由来

新宿とは、もともとは豊多摩郡内藤新宿町のことである。1920年、東京市四谷区に合併編入された際に新宿一〜三丁目(現在の新宿一〜三丁目全体の区画とほぼ同じ)となり、新宿駅の発展とともに世界有数の繁華街・商業地区へと変貌を遂げた。その名前の由来は、1698年に甲州街道の新たな宿場町として、信州高遠藩内藤若狭守の下屋敷に「内藤新宿(四谷内藤新宿とも)」が開かれたことによる。四谷区・牛込区・淀橋区が合併する際、

* 「内藤新宿」は古い文献にも出てくるため歴史を感じさせる
* 新宿御苑(四谷区)や新宿駅(淀橋区)などの言葉が全国的に有名である
* 区内のほかの地名より「普遍的である」

との理由で新区名に採用された。

この新区名決定は困難をきわめた。そもそもこの合併自体が区側の発議によるものではなかったため反対の声が根強く(淀橋区は中野区や渋谷区と、牛込区・四谷区は文京区や千代田区との合併を模索するような動きさえあった)、これらの声に最大限配慮し対等な合併であることを強調するためそれぞれの区名を新区名に採用しないことが合併の条件として付け加えられた。(『四谷怪談』など四谷という地名は比較的知名度があるとして当初は「四谷区」が新区名に採用される見込みだったが、これにより不採用となった。)歴史的経緯がまったく異なる地区同士の合併であったため地域の総称やシンボルが存在せず、また3区の合併であるため大田区のような合成区名をつけることも難しかった。(この時期に合併して誕生した区は、港区以外はどこも2区合併。また、港区の場合、前身の3区はすべて東京府発足当初から区部だったのに対し、新宿区の場合は四谷区や牛込区といった区部と内藤新宿町や淀橋区といった元郡部にまたがっているため事情を複雑にしていた。)

最終的に新区名は新宿区とすることが決まったが、牛込区はこの名前に当初難色を示した。新宿御苑も新宿駅周辺も牛込区には何ら関係がなく、新宿という「郊外の地区」の名前では牛込地区を連想することができなくなるとの理由からである。(新宿区発足時には他にも新しく9の区名が東京都内に誕生したが、区内の1地区の名称を新区名に採用したのは新宿区だけだった。多くはシンボルなどに基づく瑞祥区名を採用している。)これがのちに、牛込地区を中心に旧町名を残す運動が盛り上がる要因のひとつとなった。


区内の地域

新宿区内を地域分け(区域分け)する方法はいくつか存在するが、合併により誕生した経緯から過去の行政区域を基準としたものが比較的多くみられる。市街地化によりこの基準が細分化されたり、交通網の発達とともに駅周辺が1つの地域として新たに認知されるようになるなど、この基準は月日の経過とともに変動が見られるため、普遍的な地域分けが確立しているわけではない。

代表的なものとして、新宿区の前身である東京市行政区時代の区域を基準にした3地区分類(各地区を四谷地区・牛込地区・淀橋地区などと表現する)がある。ただし、旧淀橋区域は範囲が広いことや、淀橋区が存在したのはわずか15年間であり1地域としての実態に乏しいこと、新宿(旧内藤新宿町域)を四谷に分類するのは今日の実態とかけ離れていることなどから、四谷・淀橋地区を前身1区5町域に細分化した7地区分類を基準に地域分けすることが多い。この基準に住居表示による町名町域変更の影響が加わり、各地区の名称や範囲は変化。戸塚地区は高田馬場・早稲田、旧淀橋町域(角筈・淀橋・柏木)は西新宿・北新宿という名称が定着した。また、相対的に範囲の広い旧牛込区域(牛込地区)において、南部(市谷を冠する町名が集まる地区)は市谷地区、北西部(早稲田大学周辺)は早稲田と呼ばれているが(いずれも牛込区の前身の市谷村域・早稲田村域に由来)、このほか地下鉄東西線沿線地区を早稲田・神楽坂と表現する機会も多くなっている。

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文京区

文京区(ぶんきょうく)は、東京都の特別区のひとつ。

23区の中央北寄りに位置する文教と住宅の街。明治より夏目漱石等の著名な文人・学者・政治家が多く集まった。出版・印刷、先端医療が盛ん。大規模病院が多い。東京ドーム、講道館(柔道)、東京大学がある。

区の南部には商業地域が幾らかみられるものの、全体としては住宅地が多く、また公園、教育機関、医療機関も多いため、東京の中心部に隣接しているにも関わらず落ち着きのある比較的静かな区である。ダイヤモンド社の週刊ダイヤモンド2007年8月11.18日合併号によると、「安心して住める街」一位である。


歴史

現在の文京区に人が住み始めたのはおよそ18,000年前頃の旧石器時代と考えられている。区内28カ所に縄文遺跡が確認され、本郷台地周辺で貝塚と縄文土器が多数発見されている。1884年(明治17年)に向ヶ丘弥生町(現在の弥生一丁目)で発見された土器は、その発見地から弥生式土器と命名され、弥生時代の名の由来となっている。

鎌倉時代までいくつかの集落のある寒村であった。中世に至って上杉氏の支配下に入り太田氏・豊島氏などの豪族の影響を受け、後北条氏の支配地となり、農村として徐々に発展していたようである。

1590年(天正18年)、徳川家康の江戸入城により、城下の開発が進み、大名屋敷や武家屋敷が置かれたほか、伝通院や護国寺などが創建される。江戸中期には区域の多くが市街化し、中山道の街道筋に商店が建ち並ぶなど商業が活発化した。 明治以降、武家地であった広大な土地は大学や軍用に転用される。幕府学問所だった昌平坂学問所(湯島聖堂)跡に師範学校・女子師範学校が設立される。また、水戸徳川家の上屋敷の庭園が小石川後楽園、柳沢吉保の下屋敷が六義園として都市公園になり緑地化が進む。

1878年(明治11年)、郡区町村編制法により小石川区と本郷区誕生。広大な加賀前田家の屋敷跡に帝国大学(現東京大学)設置、大学周辺に出版社が集まり、それに伴って多くの文人達が集まり、坪内逍遥、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉などが居を構えた。その後、急激に都市化する。

1937年(昭和12年)、東京砲兵工廠の跡地に後楽園スタジアム(現在の東京ドーム)が誕生し、戦後のプロ野球復活と共に娯楽地として発展する。 1947年(昭和22年)、市街地編成として小石川区と本郷区が合併し文京区誕生(1947年(昭和22年)3月5日公布、同年3月15日施行)。区の名称は『文京』の名が書きやすく、“文教の府”のイメージと一致しているとして、両区の区議会で採用された。 1999年(平成11年)、35年ぶりに人口増加へ転じている。

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台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区のひとつ。

江戸時代を通じて、東京で最も古い市街地のひとつで、浅草は有名な下町。東京23区の中央からやや北東寄りに位置し、東側は隅田川に接する。区の中心駅である上野駅には、新幹線も停車する。面積は23区の中で一番狭い。

区は全般的に商業地であるため、純粋な住宅地は多くない。戸建も一部地域を除くと少なく、ビルやマンションなど土地の高度利用が進んでいる。


名称由来

* 上野の高台の「台」と、上野の東側にある下谷と浅草の下町を連想する「東」を組合わせ、「台東」という地名となり、それを区名とするようになった。


区の様子

* 上野地区は江戸時代から続く寛永寺の門前町で、現在も東京有数の繁華街である。交通の要衝である上野駅や、日本初の公園で、上野動物園や博物館、美術館など各種文化施設を抱える上野恩賜公園、さらに生鮮食品を中心とした大規模商店街「アメヤ横丁」があるので、多くの人が集まる地域である。続く文京区湯島には湯島天神があり、正月は受験生を中心とした初詣客が多く参拝する。また、パチンコ店やパチンコメーカーが多数存在し、国内有数のメッカとしても有名である。
* 浅草地区は、東京を代表する下町といえる。浅草寺や仲見世通りなど名所が多い地域で、外国人にも人気があり、正月の初詣客も多い。花川戸にはバッグや靴など皮革製品の卸が多い。西浅草は、調理器具などの卸街「合羽通り商店街」があり、土産物としてラーメンや寿司などの展示用料理サンプルを買い求める外国人もいる。浅草から上野に至る間には、寺院が多い関係で(元浅草,東上野,松が谷,西浅草地区)仏壇や仏具などの卸が多い。
* 浅草から南に下った蔵前〜浅草橋地区は吉徳大光、秀月、久月など人形の街として有名。玩具関係の卸も多い。浅草橋からさらに南下した中央区横山町・馬喰町にかけては、都内の衣料品卸が集中する地区である。
* 根岸、谷中周辺も歴史のある町だが、鶯谷駅前にはラブホテルが乱立している。
* 入谷地区は寺社が多く、有名な入谷鬼子母神がある。毎年7月6日から8日にかけて「朝顔市」があり、アサガオを買い求める人でにぎわう。
* 千束地区は、酉の市で有名な鷲神社がある。神社の裏手は日本有数のソープランド街である「新吉原」(1966年までの住居表示実施前の地名)。隣の竜泉には、樋口一葉の代表作「たけくらべ」の舞台となったことにちなんで作られた一葉記念館がある。さらに続く清川、日本堤、橋場、隣区となる荒川区南千住周辺は、簡易宿泊所が多い、いわゆるドヤ街といわれる「山谷」地区(1966年までの住居表示実施前の地名)。
* 台東区秋葉原は、一般に言う「秋葉原」地区のごく狭い一部の地域(一般に言う「秋葉原」地区の多くは千代田区外神田などの住所)。

このように、台東区は歴史ある下町としての名所を数多く持っている。

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墨田区

墨田区(すみだく)は、東京都の特別区のひとつ。

民話「おいてけ堀」は、昔の墨田区が舞台である。水の郷百選に選ばれている。

2006年に区内の押上・業平橋地区に新東京タワーの建築が正式決定した。2011年に、建造物では世界一となる高さ610メートルのタワーが完成予定。観光と防災都市のシンボルにし、世界一の観光都市を目指すという、今後一躍注目される区になる。


歴史

区の北部と南部では、歴史に大きな違い見られる。北部は、平安時代ごろから歴史に登場し、室町時代以降は農村地帯として発展を遂げていた。一方、南部は湿地帯であり、人が住むには極めて向かない土地であった。しかし、江戸中心部が1657年(明暦3年)の振袖火事によって焼け野原になったため、防災対策の一環として武家屋敷が当区南部へと移動することとなった。同時に、竪川・大横川をはじめとする河川の掘削や南北割下水(今で言うところの北斎通り近辺に存在した。)や碁盤目状の道路の整備が行われた。

その後、明治になると、1878年(明治11年)に北部は北葛飾郡に編入され、南部は本所区として成立するようになる。また、工業化の波が押し寄せることとなり、北部も南部も開発が進んでいくようになった。1894年(明治27年)には、現在でも重要な交通手段である総武線が開業した。しかし、このように発展してきたが、1923年(大正12年)の関東大震災により、区域の大半が焼失することとなった。特に、元陸軍被服廠跡地(現在の横網町公園など)では、多くの人が避難をしたものの、猛火に遇い、4〜5万人といわれる多大な焼死者を出した。

やがて、それらによる被害も復興していくようになり、1932年(昭和7年)には、北部に向島区が誕生することとなった。しかし、第二次世界大戦(特に東京大空襲)によりまたもや区内全土は大きく焼失することとなった。

戦後、1947年(昭和22年)に本所区と向島区が合併し現在の墨田区が誕生した。この区名は、隅田川の堤の通称「墨堤」から墨を、隅田川から田を取ったものであった。1963年(昭和38年)までは、町の復興及び発展とともに人口が増加していったものの、その後は頭打ちとなり減少し始めた。また、町工場も郊外や海外への移転などにともない減少していくこととなった。近年では、これら工場跡地にマンションを建てるなどの開発が進められている。なお、人口は横ばいか微増傾向にある。

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江東区

江東区(こうとうく)は、東京都の特別区のひとつ。 旧深川区・城東区、及び埋立地から成る。


概況

東京都の東部、隅田川と荒川に挟まれた位置にあり、東京湾に面し、東京都中央区、港区、品川区、大田区、墨田区、江戸川区に接する。

江戸時代に埋め立てが始められた地域であり、江戸の東端にあたり、深川地区(旧深川区)には富岡八幡宮をはじめ寺社仏閣が数多くある。区内陸部は古くから住宅地および工業地域として、また錦糸町駅南側は遊興地域として発展してきた。また、区周辺部、特に臨海副都心や南砂地区等は大規模マンションや医療・福祉施設の建設が相次いでいる。近年はマンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。同様に、保育園も不足する事態に陥り、待機児童が増加している。

区の西部(東京市深川区に相当する地域)は関東大震災および東京大空襲などを経て区画整理がされている。

「えとうく」と誤読されることがあるが正しくは「こうとうく」である。区のホームページにもふりがなが振ってある。


区名の由来

「江東」の区名は、隅田川の東に位置するという地理的な意味から、辰巳区、東区、永代区などの候補の中から選ばれた。

1947年2月21日城東区会で、2月25日に深川区会で議決された。江東区の「江」は深川、「東」は城東の意味も含んでいる。

しかし、江東の地名はこの時初めて使われたものではない。すでに古くは江戸時代から使用されており、当時の江東という地域は、本所地区または深川地区を指す意味と、広く隅田川の東部を指す意味があった。

地勢

かつて地下水の汲み上げにより地盤沈下したことで、区の大部分がゼロメートル地帯となっている。また、運河と橋が多く、区では“水彩都市”と呼んでいる。道路と水路が連なって作られており、住宅地の側を船が行き交うことも多い。 区内には東京都から副都心に指定されている臨海副都心と錦糸町・亀戸副都心があり、二つの副都心を包括している。このこともあり、区内には観光客や会社員も多くやって来る。 臨海副都心は品川区・港区にも跨っているが、実際には江東区が大部分を占めており、臨海副都心部は近年急速に開発が進められた新興開発地域となっており、街の景観は非常に近代的。 錦糸町・亀戸副都心のほうは、昔からあった大繁華街で、古くから下町として栄えた。1990年代後半から、東京の新スポットとしても急速に開けており、下町情緒と近代的な再開発地域の同居する街並へと変貌した。 臨海副都心部には埋立地が多く、ゴミ埋立て「東京ゴミ戦争」で有名な夢の島や青海、有明などは観光地区としても賑わっている。 また、臨海部にある湾岸地域は港区、江戸川区と海岸線を連ねて繋がっており、台場や東京ディズニーリゾートへの交通の便が良い。

面積は39.48km²だが、この数字には大田区と係争中の中央防波堤地区は含んでいない。

自然環境

区の臨海方面にあるかつてのゴミ埋立地である夢の島一帯は大規模な公園が作られ、市街開発にあたって並木や草木が大量に植えられ、東京23区内とは思えないほどの緑の多い地域となっている。また、大島から木場にかけて再開発で市街整備され大型公園や歩道の増強により、緑地環境が増やされた。一方で、錦糸町・亀戸副都心には大規模な公園が無いので、緑地地域が減少傾向にある。また臨海副都心方面はオフィス街が連なっており、緑地地域は少ない。しかし南砂や大島、深川等の下町や住宅街には緑地地域が整備されマンション内や商店街にいくつかの公園が点在し、イチョウや柳などの樹木も多く植えられている。

祭り

深川八幡祭り…富岡八幡宮の例祭で8月中旬に行われ、三年に一度だけ本祭りが行われる。本祭りは、永代通りを起点とし、大門通り、清澄通り、清洲橋、箱崎、永代橋、永代通りを経て八幡宮を終点とする、江東区、中央区にまたがる約8kmのコースを(午後の出発地点である永代橋前からは囃子・木遣・手古舞・宮司など先頭に)54基もの神輿が9時間にわたって練り歩く。別名「水掛祭り」とも称され、沿道からバケツやホース、あるいは消防の放水を浴びせられる。山王祭・神田祭ともに「江戸三大祭」の一つである。掛け声は昔ながらの伝統の「ワッショイ」に統一され、「コリャサ」、「ドッコイ」、「ホイサ」などの合いの手も入るが、浅草祭などで流行っている「ソイヤ」「セイヤ」などの掛け声は一切禁止されている。※2005年が本祭りであった。次回は2008 年である。
鷽替神事…毎年1月24日・25日に亀戸天神社で行われる。前年の鷽を新しいものに取り替えることで、福を呼び込むものとされている。毎年朝早くから長い行列が出来る。縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与される。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。木彫りの鷽は、高さ5〜22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれる。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒である。
藤祭り…4月下旬〜5月上旬に掛けて亀戸天神社で行われる。敷地内の藤棚が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、亀戸以外からも観光客が訪れる。同時に学業講祭も行われ、学業祈願の祈願者も多く訪れる。
江東区民まつり中央まつり…毎年10月中旬に都立木場公園で行われる。
江東区民まつり夏まつり…毎年8月下旬に都立亀戸中央公園で行われ、打ち上げ花火なども行われる。
江東区民まつり大島地区大会…毎年9月中旬に行われる。
江東区民まつり砂町地区まつり…毎年10月上旬に行われる。
江東花火大会…毎年8月の上旬に行われる。
赤旗まつり…日本共産党が主催する一般向けの催事。
コミックマーケット…毎年、夏と冬の2回。東京ビッグサイトにて行われる同人誌即売会。オタクの間ではビッグサイト=『聖地』として崇拝されている。

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品川区

品川区(しながわく)は、東京都の特別区のひとつ。

地理

* 台地と低地と埋立地がある。
* 台地は、目黒川の北に芝白金台、目黒川と立会川の間に目黒台、立会川の南には荏原台がある。どれも武蔵野台地の末端である。
* 低地は、品川地域や大井地域および川沿いに広がっている。


品川区にまつわるエピソード

* 日本初のビール工場があったとされ、21世紀になって「品川縣ビール」として復刻版が登場し、街おこしに一役買っている。
* 「東京23区生活実感ランキング2006」(2006年9月HOME'Sリサーチ)で東京都特別区23区の中で各区住民による総合満足度ナンバーワンに選ばれた。

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目黒区

目黒区(めぐろく)は東京都の特別区のひとつ。23区の南西部に位置する。住宅地として発展。


地域行政・行政サービス

目黒区では、行政の単位として地区・住区という地域単位を設定している。


住区・住区住民会議

目黒区では、住民の利便性を図り、地域ごとの特色ある街づくりを支援するため、独自の行政上の単位として、小学校の通学区域を基本とした22の住区を設定している。住区は、住人の生活に最も密着した地域社会が形成されるような地域単位であると想定され、区の地域政策の基本単位である。

各住区には住区センターが設置され、住民の交流活動や学校外教育活動の場として利用されてきた。また、各住区では、個人、町会、自治会、PTA、商店会、社会教育関係団体等により住区住民会議という組織がつくられ、住区の問題に対して対応するようになっている。

もともと、各住区センターには住区サービス事務所が設けられ、区が行う行政サービスの一部が受けられるようになっていた。しかし、後により広い範囲を基本とした地区サービス事務所が開設されると、行政サービスは地区サービス事務所に移り、現在、住区センターは住区住民会議や住民の集会を行う場として使われている。住区センターには、児童館や老人憩いの場などが併設されている例もある。


地区サービス事務所

行政の効率化を図り、従来、住区サービス事務所で提供されてきた行政サービスの範囲を拡大するために、4つの地区サービス事務所が設置されている。地区はその中で生活が充足できるような地域単位として想定され、住区よりも広い範囲を対象とするような地域政策の単位である。地区サービス事務所では住民票の届出や証明をはじめ、各種の基本的な行政サービスを受けることができる。


行政サービス窓口

地区サービス事務所の窓口業務を補完する存在として、特に人の集まる場所などに設置されている。利用できる行政サービスは、特に利用頻度の高い窓口サービスに限られる。

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大田区

大田区(おおたく)は東京都の南東部に位置する特別区のひとつ。東京都に23ある特別区の内では最南端にあり、多摩川を挟んで神奈川県と接する。


地理

区域の地形は東京港に面する臨海部の埋立地、南東部の低地、北西部の台地に分かれている。
埋立地には物流拠点や工業団地があり、低地(自然隆起と沖積低地による形成)は住宅、町工場等が混在している。台地(武蔵野台地の東南端に当たる。国分寺崖線、山王から池上に伸びる南北崖線、久が原台、田園調布台、荏原台)は良好な住宅地域となっている。低地と台地の境は坂になっており、区域には名称を持つ坂が約50ある。標高は東から西に向かって高くなり、区域東の埋立地で約1m、区域西の田園調布では約42.5mとなる。


地名の由来

大田は合併した大森区と蒲田区からそれぞれ一文字ずつとった合成地名である。この由来が広く普及していないことから、しばしば太田(※こちらの「太田」を使用する市は群馬県太田市と茨城県常陸太田市)と誤記されがちである。江戸城主・太田道灌の領地だったことに由来して、区名になったという誤伝も見受けられるが、これは字を見ても誤りであることは明らかである。

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世田谷区

世田谷区(せたがやく)は、東京都の特別区の1つ。


地理

東京都の内、特別区(23区)の南西部に位置し、神奈川県と接する南側には多摩川が流れ、多摩川が概ね都県境を構成する。都心から放射状に鉄道が通り、鉄道間の連絡や、各駅と住宅地を結ぶようにバス路線が走る。区北部は道路網が狭隘で非常に入り組み交通網の発達が十分とはいえない地域となっている。

地形的には大部分が武蔵野台地の内、南部(多摩川の段丘上)に位置し、地形の起伏が多い。南部は多摩川に沿い、区内他地域と比べて全体的に土地が低い。多摩川の段丘の斜面の連なりを国分寺崖線と言い、区ではその一帯を「みどりの生命線」と呼ぶ。

区は世田谷、北沢、玉川、砧、烏山の5つの地域に分けられている。各地域に行政機構の一部として総合支所が置かれる。

人口は都内第一位で、多くを住宅地が占める。二子玉川、三軒茶屋、下北沢などの商業地域や、成城、岡本、上野毛、等々力などの国分寺崖線沿いの高級住宅街等が有名で、等々力渓谷をはじめ自然が多く、林や公園などが多く存在する。


概況

渋谷区から神奈川県にかけて国道246号(通称玉川通り)が東西を横断、都道の環七通りが南北に縦断。これら主要道路の内側を網の目のようにバス路線が設定されている。段差の少ないノンステップバスを多く導入する等、公共交通の確保と高齢化対策を図っている。赤堤通りなど狭隘な道路にもバスが走っており、交通渋滞の原因にもなっている。


住宅地

区内には、東京急行電鉄や東京信託会社などによる早期の沿線開発により一区画100m内外を一軒とした大規模な住宅街区が点在する。漫才コンビの星セント・ルイスによる『田園調布に家が建つ』のフレーズで全国的に知名度をあげた田園調布(但し、田園調布の町名は大田区に存在する。世田谷区内の町名は玉川田園調布)や、著名人や芸能人が住むことで有名になった成城、佐藤栄作が住んでいた清風園のある代沢、広壮な敷地を持つ邸宅の並ぶ閑静な深沢等の高級住宅街がある。現在の深沢七丁目、八丁目地区は、戦前に東京信託株式会社が1912年より「新町住宅地」として開発を進めた邸宅地で、桜並木(桜トンネル)が設けられた。国分寺崖線にはとくに緑が多く、玉川地域の尾山台付近から砧地域の岡本付近まで、広壮な邸宅や高級住宅・マンションが立ち並んでいる。


商業地

国道246号線(通称玉川通り)・世田谷通り・茶沢通りが合流する三軒茶屋駅周辺、小田急線・井の頭線の乗換駅の下北沢駅周辺、京王線の千歳烏山駅周辺、大井町線と東横線の乗換駅の自由が丘駅周辺(南口側)[3]、大井町線と田園都市線の乗換駅の二子玉川駅周辺がそれぞれ区内の商業地として求心力を持つ。

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渋谷区

渋谷区(しぶやく)は東京都の特別区の一つ。23区の中央やや西よりに位置する。都心5区の一つ。

概要

渋谷区は、国道246号が通っている南部と、甲州街道が通っている北部に大きく分けることができる。南部と北部で街並みが若干異なる部分があるので、分けて説明する。

渋谷区南部

渋谷区南部は渋谷や恵比寿といった都内有数の商業地が広がっている。

渋谷駅周辺

東急グループの拠点であり、商業活動が盛ん。渋谷駅ハチ公口側に百貨店やファッション専門店、飲食店、カフェ、遊戯施設や風俗施設などが密集しており、センター街、道玄坂、パルコ、109などの定番スポットも多い。

神宮前・表参道

街路樹が立ち並ぶ表参道沿いには有名ブティックが軒を連ね、また、美容院街でもあり、ファッションに敏感な人々が多く集まる。2006年には、新しい商業施設「表参道ヒルズ」もオープンした。参道の先には明治神宮があり、年末年始の参拝客は日本一である。

代官山

代官山は表参道と並んでファッションタウンであり、旧山手通り沿いなどには、和洋中の有名レストランも数多い。

恵比寿

恵比寿はもともとは下町であったが、JR山手線沿線で通勤に便利な立地であることから、近年は駅周辺にオフィスビルが増え、日中はビジネスマンで賑わっている。サッポロビール工場跡地に建設された恵比寿ガーデンプレイスは、オフィス棟と商業棟、居住棟の複合大型施設となっている。

神泉町・渋谷区渋谷

ともに、渋谷の駅から坂を上ったところにある。「ビットバレー」と呼ばれ、IT関連の一大ビジネス街となっている。

渋谷区南部の住宅地

渋谷区南部にある住宅地は、一般に高級住宅地として名高い。例えば、松濤・神山町・南平台町・広尾などは、渋谷区の中でも一段と地価が高い地域である。

渋谷区北部

区の北部では駅周辺以外に商業地が少なく、住宅地域として居住人口が多い。地理的、交通的に新宿との繋がりも深い地域である。

甲州街道沿い

甲州街道沿いには笹塚・幡ヶ谷・初台(本町)の3つの町がある。何れも京王線の駅を持ち、町の性質も類似することから、3つの地名の頭文字を取って「笹幡本町(ささはたほんまち)」とも称される。
代々木
ここでは代々木駅周辺のみならず旧代々木村の全域を指し、おおむね小田急線に沿って代々木上原や富ヶ谷までを含む広範囲な地域となる。宇田川などの河川によって形成された幾つもの谷があり、地形的には起伏に富んでいる。

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中野区

中野区(なかのく、Nakano City)は東京都の特別区のひとつ。

概要

中野区は、東京23区の西部にあり、地形的には武蔵野台地の一角に位置する。区内には、鉄道が数多く通っているため、東京23区内のベッドタウンとして発達してきた。

産業は、江戸期においては、畑作を中心とする近郊農業と、製粉、味噌・醤油醸造など食品工業が整備され、江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にあった。明治中期以降、都心からの転居者などにより人口が増加する。特に1923年の関東大震災以降は、住宅地化が急速に進み、昭和40年代までに農地はほとんど姿を消した。明治以降、工業化もある程度進んだが、企業城下町のような工業的発展はなく、密集した住宅地としての性格が強い。住宅と同様に明治以降、都心から移転してきた寺が多く、また、区に隣接する落合斎場との相乗効果もあり、葬祭関連の産業もみられる。その他商業、企業のオフィス街としての発展は、第二次世界大戦以降それなりにあったが、中野区は東京都でも指折りの住宅密集地区であり、道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、都心、副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化には至らなかった。中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在する。また、昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、現在も漫画・アニメーション製作は、隣接する杉並区と並んで盛んである。近年、中野坂上地区の再開発により、超高層ビルも立つようになり、コンピュータ・ソフトウェア関連の会社も進出してきている。

人口密度は20,067人/km²(2004年10月1日推計)で日本一(2位は東京都豊島区19,278人/km²。以下大阪市城東区、大阪市西成区の順。市では埼玉県蕨市13,799人/km²が最高。)。蕨市が人口密度日本一とされるのは、東京特別区を1都市とした場合である。

道路率は12.9%で23区中22位。狭幅員道路率は84.0%で23区中最下位と、道路都市基盤が脆弱なのが中野区の特徴である。また、公園面積率は2.1%でこれも23区中22位。公園や緑地が少ない区であり、結果として人口密度が高くなっている。

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杉並区

杉並区(すぎなみく)は、東京都の特別区のひとつで、ガーデンゴルフ発祥の地である。

地理

城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置する。面積は34.02平方キロメートルで、東京23区の中では8番目。かつては水田などがあり、自然が豊富な近郊住宅地域として発展してきた。全体的になだらかな高台地域。神田川・善福寺川沿いの低地にも勾配のきつい坂はない。

大宮一丁目にある大宮八幡近辺が東京都全体の人口重心となっている。

明治大学(和泉校舎)の一帯は、幕末から長く火薬庫があったところ(江戸幕府の和泉新田御焔硝蔵、後に陸軍省和泉新田火薬庫)。

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豊島区

豊島区(としまく)は、東京都の特別区のひとつ。

概観

東京23区の西北部に位置する。池袋駅を中心とする副都心を擁し、高級住宅地の目白や、おばあちゃんの原宿として知られる巣鴨、立教大学、学習院大学、東京音楽大学、帝京平成大学、大正大学などがある。多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園や、慈眼寺、染井霊園などもある。

ソメイヨシノ(桜)発祥地

日本の国花であるサクラの代表品種、ソメイヨシノは、現在の豊島区駒込から巣鴨の旧染井村が発祥。染井の植木屋が江戸時代後期、交配して生み出した新種がソメイヨシノである。旧染井村では鉢植えをつくることが盛んで、ここでつくられた植木や盆栽は、花売りによって江戸中に運ばれていた。1860年(万永元年)に染井を訪れた英国人植物学者、ロバート・フォーチュンはその種類の多さに驚き、世界一とのお墨付きを与えている。 また霧島ツツジも多くつくられ、JR駒込駅の土手が春になるとツツジでいっぱいになるのは、その名残である。

地名の由来

* 武蔵国豊島郡(現在の東京23区の北西部の広い地域の古い地名)。北豊島郡にあった4つの町が合併して東京市に編入されるときに、この名前が採用された。苗字としてある「とよしま」と誤読する人が見受けられるが、関係はないと思われる。

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北区 (東京都)

北区(きたく)は、東京都の特別区のひとつ。

地理

東京都区部の最北に位置し、東西に約2.9km 南北に約9.3kmと南北に細長い形状で、面積は20.59平方キロメートルと東京23区中第11位。

北は荒川放水路を隔てて埼玉県川口市、戸田市に、東は荒川区、隅田川を隔てて足立区に、西は板橋区、南は文京区、豊島区に接する。

明治通り、環七通り、環八通り、中山道という幹線道路が通っており、都心へのアクセスは比較的便利である。 また、JRの駅数が23区中で最も多く、区内の殆どの住宅地が駅からの徒歩圏内にある。

紋章

* 1952年7月1日告示第44号 「北」の字を図案化して、円形に翼形を付し、力強くダイナミックで飛躍する北区の将来を表徴する、という。

[編集] コミュニケーションマーク

* 1996年4月3日制定 北区側によれば、「さくら」の花びらで北区のイニシャル「K」をデザインしたもので、「花いっぱいの北区」をイメージした。北区のイメージを明るいさくら色に転換させるものである。また輪のつながりは「交通」のネットワーク、そして区民、企業、区を訪れる人々と区のコミュニケーションや交流を表し、さらに、さくらの開花は、春の生命の息吹、「誕生」や出発をイメージさせる。なお、「さくら」「K」とも世界中の人々にわかりやすく、国際的なデザインといえる、という。

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荒川区

荒川区(あらかわく)は東京都の特別区のひとつ。

地理

東京都の北東部に位置する。東西に細長く、北側の区境は隅田川に一致する

歴史

江戸時代は農村だったが、明治時代から荒川の水を使うために多くの工場が建設され、工業化が進んだ。

1932年10月1日、東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が合併し、東京市荒川区が発足。(区の発足から1945年ごろまで、東京市内で最も人口の多い区であった。当時の人口はおよそ28〜32万人。)

1947年5月3日、地方自治法が施行され、荒川区は特別区となった。

地名由来

河川名の「荒川」を由来とする。「荒川放水路」が荒川本流となる前は、現在の隅田川が荒川と呼ばれていた。

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板橋区

板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。

特別区部(23区)の北西部に位置する。現在では全域が市街地になっている。また医療機関が多いことで知られる。

概要

武蔵野台地の北端にあたり、概ね北部は低地、南部は台地となっている。北で荒川、北西で白子川によって埼玉県と接する。荒川に近い北部では、新河岸川が西から東に流れる。南部では石神井川が西から東に横切る。区内は東京の市街地で、住宅地・商業地のほか、北部には工場が多い。

位置・面積

板橋区は、東京23区のうち北西部に位置し、東経139度37分から同44分、北緯35度43分から同48分の間にあり、面積は32.170km²で、23区中9番目である。
地形・地質

地形

東西は北部で約7.1km、南部で約4.5km、南北は東部で約6.7km、西部で約3.4kmあり、南東から北西に長い地形。

地質

当区の高台は武蔵野台地の一部(平均海抜30m²前後)。
この台地は数万年前、古い荒川や多摩川などが流れるはんらん原。武蔵野(成増)礫層の砂利は当時の川が積み残した川砂利である。その後、川の流れはこのはんらん原を掘り下げ、今の荒川や多摩川に、とり残された部分に富士山などの火山灰(関東ローム層)がたい積し、今日の台地をつくるに至った。また礫層の下の地層から貝化石がみつかっているが、これは15万年前の東京層のもので、この層がかつて海の底であったことを物語っている。成増礫層は地質学者の間でも有名な礫層である

地域

おおむね旧板橋町、旧上板橋村、旧志村、旧赤塚村の4地区に分かれる。旧赤塚村地区は埼玉県南部とともに近郊の風景を残している。区では赤塚に支所を設け利便を図っている。しかし区が南北に分かれてしまい、行事も板橋区民祭り・板橋農業祭りと二本立てになっている。

歴史

* 地名の由来や安土桃山時代以前については板橋村を参照。
* 1932年(昭和7年)以前については板橋町、上板橋村、志村、赤塚村を参照。

平安時代ころ、石神井川にかけられていた板橋が当時としては珍しかったため、そのまま地名になったという説が有力である。当時は板橋といえば上板橋の事を指したらしい。江戸時代以降は中山道が下板橋を通るようになったためにそちらを指すようになった。板橋宿は江戸四宿のうちのひとつであり、中山道の江戸を発ってから最初の宿場町で、加賀藩下屋敷もあった。

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練馬区

練馬区(ねりまく)は、東京都の特別区のひとつ。

東京23区の中では最も新しく、1932年に東京市に編入されて板橋区の一部とされた旧北豊島郡練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村の区域が1947年8月1日に分離して発足した。

練馬区は、緑の多い閑静な住宅街である。 また、日本の劇場長編アニメ、モノクロテレビアニメ・(長期間の)本格的カラーテレビアニメシリーズの発祥地であり、日本一のアニメ関連企業の集積地である。 遊園地「としまえん」は本区にある。 人口は約70万人で、23区中世田谷区に次いで多い。世田谷区同様、JRの路線が通らない。

地理

23区の北西に位置する。区内全域が武蔵野台地に属する。埼玉県南部と共に未だにのどかな風景を残している。河川は石神井川と白子川が中心で土地の高低差は小さい。

北西には埼玉県新座市に囲まれた飛地(西大泉町1179番地)がある。

区としてはこの飛地を埼玉県へ編入する方向で調整しているが、住民は反対している。

旧東京市内では新宿区戸山の箱根山が最高標高地点であるが、現在の特別区内では石神井消防署付近が最高地点である。

歴史

「練馬」の由来

練馬区のウェブサイトには以下の説が掲載されている。

* 関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった。
* 石神井川流域の低地の奥まったところに「沼」=「根沼」が多かった。
* 奈良時代、武蔵国にあった「のりぬま(乗潴)」という宿駅が「ねりま」に訛化した(但し、あまぬまと読み、現在の杉並区天沼に比定する説もある)。
* 中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がいた(馬を馴らすことを「ねる」と言った。すなわち「練り馬」)。

他にも諸説存在する。

日本アニメ発祥の地

* 練馬区は、日本初の長編劇場アニメ白蛇伝が製作された日本アニメ発祥地であり、1963年に日本初のテレビアニメシリーズ鉄腕アトム(モノクロ)、1965年に日本初の(長期間の)本格的フルカラーテレビアニメシリーズジャングル大帝が生まれた、テレビアニメの発祥地でもある。

* 他にも、ドラえもん、こちら葛飾区亀有公園前派出所、キテレツ大百科、リボンの騎士、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、キャプテンハーロック、ドラえもん、サイボーグ009、うる星やつら、らんま1/2、課長島耕作、めぞん一刻、キャンディ・キャンディ、バビル2世、あしたのジョー、タッチ、みゆき、キテレツ大百科、ゲゲゲの鬼太郎、ルパン三世、日本昔話、まいっちんぐマチコ先生、金田一少年の事件簿、ドラゴンボールZ、ふたりはプリキュア等など、無数の作品が制作されたり、またその舞台になった。

* 風の谷のナウシカ(東映系映画館で全国ロードショー、徳間書店・博報堂など製作、スタジオジブリ製・制作ではないので注意)やスタジオジブリ作品、エヴァンゲリオン、ポケットモンスター等に下請け等の形で関わったアニメプロダクションも多い。

* また練馬区は、手塚治虫、赤塚不二夫、松本零士、古谷三敏、ちばてつや、藤子不二雄、萩尾望都、竹宮恵子、(大泉サロンも参照)、弘兼憲史、柴門ふみなど、多くの有名・無名の漫画家も永住、または一時的に居住した事があり、漫画作品も数多く作られている。

大泉サロン

* 練馬区大泉には、女性漫画家版トキワ荘ともいうべく、大泉サロンが存在し、萩尾望都や竹宮恵子ら多くの著名女性漫画家が巣立っていった。

日本一のアニメ企業集積地

* 練馬区は、東映アニメーション(旧東映動画)や、手塚治虫の虫プロダクション(手塚プロダクションとは現在は無関係)など、アニメ関連企業数が90社(2007年現在)を数え、日本一のアニメ関連企業の集積地でもある。

* 2002年からは、年一回のペースで『練馬アニメフェスティバル』が大泉で開催され、商店街やNPOなどと連携し、アニメ振興を図っている。

* 2004年には、練馬アニメーション協議会が、虫プロや東映アニメーションなど、約50の事業所で設立され、練馬区のアニメ振興を計っている。同協議会は、前身のNPO法人「アニメミュージアムの会」(1994年設立)の時代から区内へのアニメミュージアムの建設を目指している。だが、東映アニメーションが2003年、独自に東映アニメーションギャラリーを作った為、重複論が浮上し、足踏み状態が続いている。

* 2006年、練馬アニメ協議会がフランスのアニメ企業との交流事業で渡仏し、フランスからも2007年3月アニメ関係者が練馬区を訪問するなどの交流事業がきっかけとなり、2007年6月11日からフランスのアヌシーで毎年開催されてるアヌシー国際アニメ見本市に、練馬区のアニメ企業10社が出展する運びとなった。アニメの販売や共同制作など具体的な事業交流を進める考えだ。

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足立区

足立区(あだちく)は東京都の特別区のひとつ。

東京都の北部に位置し、隅田川と荒川に挟まれた地区と、面積の大半を占める荒川以北の地区とに別れている。

南東の荒川南岸に位置する千住地区は、江戸時代には日光街道の宿場であり、現在はターミナル駅である北千住駅を擁する区内随一の繁華街となった。

区名は足立区成立以前のこの地域の郡名である南足立郡からとったものである。足立区はそれ以前の足立郡の領域の中心とは大きく外れた南東端に位置している。

足立区にゆかりの作品

* 菊次郎とさき - ビートたけし(北野武)の著作本とテレビドラマのタイトル。梅島が舞台。

* 3年B組金八先生 - 主に東京都区立桜中学校(架空)を舞台とする。ロケは、校舎に足立区立第二中学校(2007年放送のパート8では、鹿浜中学校)が使われるなど、北千住周辺で行われる。第二中学校は2004年度をもって廃校となったが、廃校舎には改修増設工事後、東京未来大学(2007年4月開校)や金八記念館(予定)が設置されている。
o 足立二中は、廃校になった後も着工までの間そのままの状態で残っていたため、もんじゃろ学園物語やコブクロの「桜」のPVでも、ロケ地として利用された。

* あずきちゃん - 原作漫画において北千住駅近くの「千住ほんちょう公園」が登場。

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葛飾区

葛飾区(かつしかく)は東京都の特別区のひとつ。

区内には、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズで知られる柴又帝釈天や、江戸期の菖蒲文化を伝える堀切菖蒲園、秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で有名になった亀有(実際大正時代には存在したが、現在は派出所は無い)がある。

葛飾の地名は非常に古く、奈良時代に作成された戸籍帳の中ですでに確認される。

葛飾の名称について

葛飾の名称は現在の葛飾区の地域固有のものではなく、葛飾とはもともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称であった。この場合の「葛飾」とは、中央付近を概ね現在の千葉県市川市付近とし、北を埼玉県北葛飾郡、西を現在の東京都葛飾区や墨田区付近、東を現在の茨城県古河市、南を江戸川区や浦安市付近とする一帯で、古くは万葉集などにもその地名が登場している。

なお現在の葛飾区一帯や江戸川区の付近は近世まで「葛西(葛飾西)」の名称で呼ばれていた地域であり、現在も東西線「葛西駅」、湾岸線「葛西ジャンクション」、「葛西臨海公園」、警視庁葛西警察署等にその名が残る。なお明治維新直後には、千葉県市川市から船橋市一帯に新行政庁として「葛飾県」が設置されたこともある。(詳細は葛飾郡参照)

現在の東京都葛飾区以外に「かつしか」「葛飾」の全部または一部の名が付いた地名等が数多いのは、こうして本来「葛飾」と呼ばれた地域が非常に広大であったためである。また、「葛飾」のほぼ中央付近に位置している、現在の京成電鉄京成西船駅(千葉県船橋市)は、1987年まで「葛飾駅」の名称を使用していたほか(現在も駅名下には「旧葛飾駅」の表記があるほか、JR西船橋駅南東側の町名は現在も「葛飾町」である)、この周辺に点在する学校等施設はいずれも「葛飾幼稚園」「葛飾小学校」「葛飾中学校」など、「葛飾」の名をそのまま現在も冠している。

また、JR総武線「本八幡駅(もとやわたえき)」の語源にもなっている神社「葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)」(千葉県市川市)など、葛飾の名を冠したものは、実は現在の葛飾区よりも、「本来の葛飾」の中央付近だった千葉県北西部に多い。

葛飾区が舞台(及びロケ地)の小説・マンガ・映画・ドラマ・音楽

* 宇宙怪獣ガメラ(映画)※亀有
* 男はつらいよ(映画・TVドラマ)※柴又を中心に葛飾区各地(金町・水元・立石など)
* 仮面ライダー響鬼(TVドラマ)※柴又、江戸川付近
* 結婚できない男(TVドラマ)※1エピソードでロケ
* 高校教師(TVドラマ)
* こちら葛飾区亀有公園前派出所(マンガ・映画・アニメ)
* 3年B組金八先生(TVドラマ)※第2シリーズでは殆どの学校(桜二中、荒谷三中など)の外観を葛飾区内の学校を使用 桜三中→葛飾小学校 荒谷第二中→綾南小学校 高校合格発表→南葛飾高校の場所を変えて数校に見立ててロケ
* 戦争と青春(映画)※青戸付近
* 洗濯機は俺にまかせろ(映画)
* 誰がために(映画)
* 間宮兄弟(2005)※青戸・立石付近
* ビューティフルライフ(TVドラマ)※新小岩付近
* ロングバケーション(TVドラマ)※シンフォニー・ヒルズ

その他、小菅にある東京拘置所周辺は、各種刑事・サスペンス物の撮影で使われる。 柴又、亀有は頻繁にドラマや情報番組などで紹介されている。

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江戸川区

江戸川区(えどがわく)は東京都の特別区のひとつ。

地名は、区の東側を南北に流れる江戸川にちなむ。総面積は49.86km²で、23区では4番目に広い。23区では最も東に位置する。はじめ区名としては「松江区」が検討されていたが、松江の名前があまり知られていなかったことと、反対する町村が出たことから、区の東部を流れる江戸川にちなんで命名された。

歴史

江戸川区内が初めて歴史に現れるのは、正倉院に残る「正倉院文書」にある養老5年の下総国葛飾郡の戸籍に記された「甲和(こうわ)里」という地名である。これは現在の江戸川区小岩に当たるとされ、約50戸ほどの郷里であったとある。しかしながら、当時は川、沼、池の錯綜する広大な湿地帯地域で、現在の区北部以外はほとんど居住者のいない場所であったと考えられる。

後、鎌倉期に入るころ、下総国の有力な豪族として勢力を誇っていた千葉氏の支配下として、区内の地区名がいくつか散見される。特に篠崎の地域は葛西氏の領する葛西御厨の中心地として栄え、また今井(現在の江戸川区瑞江付近)・長島(同東葛西)は太日川河口の湊として賑わった。

後北条氏の影響が強くなってくる室町期後期ごろには、江戸衆と呼ばれる江戸城代遠山氏を中心とした家臣団の支配下に入り、区内の一部が太田氏や富永氏らの領地となっていた記録が残る。

徳川家康が江戸に入府すると、区内のほとんどは江戸からの距離の近さもあり、幕府の直轄領(御鷹場)となった。なお、コマツナは将軍綱吉(一説には吉宗とも)の鷹狩りの際に献上された事に由来。また、堀江町(現南葛西)の左近川河口付近には、江戸幕府の舟手奉行であった向井将監忠勝の屋敷、もしくは領地があったことに由来する「将監」という地名が残っている。

江戸期には、江戸への近郊野菜の供給地として栄えた。江戸初期における江戸川区内の石高は約1万5千石ほどだった。その後、区内のいたるところにあった湿地帯や、河口の中洲、砂地の埋め立てによる新田開発がすすみ文政年間には2万石を超えるまでに増加した。あわせて江戸期には漁業も盛んになったと伝わる。

大政奉還後、慶應4年(1868年)に東京府が設置されると、現江戸川区の範囲(武蔵国葛飾郡)は東京府には入らず、小菅県の管轄地域となった。わずか2年後に廃藩置県が執り行われ、葛飾郡の現江戸川区範囲(上小岩村、中小岩村、下小岩村、上小松村、西一之江村、新堀村、松本村、船堀村、二之江村、桑川村、長島村、宇喜田村、上平井村、中平井村、逆井村、下平井村、鹿骨村、前野村、笹ケ崎村、伊勢屋村、下鎌田村、上鎌田村、下今井村、上今井村、興宮村、下篠崎村、下小松村、東小松川村、東一之江村、西小松川村、本一色村、上一色村、下篠崎村、上篠崎村、谷河内村)も改めて東京府に編入となった。

村の数が多かったこともあり、すぐに十八村の「連合村」と呼ばれる組織に再編され、さらに明治21年(1888年)4月の市制・町村制の公布によって、小松川・平井・葛西・松江・船堀・瑞穂・一之江・鹿本・篠崎・小岩の十村が誕生した。

明治28年(1895年)に江戸川を挟んで対岸である、当時の千葉県東葛飾郡行徳町より江戸川より西側の飛び地部分(妙見島等)が編入。次いで大正2年(1913年)に瑞穂村と一之江村が合併し、瑞江町が新設。さらに大正3年(1914年)の荒川放水路開鑿により、大きく地勢が変わり、船堀村、小松川村、平井村が廃村となり、各村に吸収された残りが小松川町に統合された。

1932年(昭和7年)10月1日に、南葛飾郡小松川町、葛西村、篠崎村、松江村、 瑞江町、小岩町、鹿本村の7町村が合併して、ほぼ現在の江戸川区となった。

江戸川区を舞台とする作品

* 哀愁の町に霧が降るのだ - 椎名誠の自伝的小説。江戸川区の小岩が舞台。アパート「克美荘」の同居人の木村晋介(弁護士)、沢野ひとし(イラストレーター)、など、と繰り広げられる青春物語。
* ラブロマ-作者である とよ田みのるが住んでいる江戸川区の江戸川周辺をモデルとした町で繰り広げられる純愛ラブコメディー漫画。
* ひぐらしのなく頃に - 物語の舞台となる雛見沢村に登場する地名が、興宮、鹿骨、谷河内など江戸川区内の町名である。
* 映画「デスノート」 - 江戸川区船堀警察署と言う名の警察署が出てくる。が、この船堀警察署は実在しない。

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八王子市

八王子市(はちおうじし)は、東京都の南西部(伊豆諸島、硫黄島などの島嶼部を除く)に位置する市で、中核市の要件を満たす、多摩地域の中心的な市の一つである。

概要

国からは業務核都市、東京都からは多摩の「心(しん)」として位置づけられている。人口全国第24位、東京都内では東京23区に次いで第2位、全国の政令指定都市及び候補市(市町村合併の結果人口が70万人を越えた市)を除くと全国第4位の市。2007年4月に保健所政令市に移行した。

戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えたことに加え、多摩地域内で最も早く市制施行したことや南多摩郡の郡役所所在地であったことから、多摩地域や南多摩地域の中心的都市とみることもできる。また、かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであったために「桑の都」および「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌にも「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と詠まれている。ネクタイ地は、先染めネクタイの分野で全国有数の産地としてのシェアを誇っている。

地理

八王子市は東京都の島嶼部を除く地域の南西部、都心から約40kmに位置している。

市域全体を概観すると、山地・丘陵を三方の周縁とし、東へ流れる浅川を中心に、八王子盆地と呼ばれる東にひらけた半盆地状の複合扇状地をなしている。かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では住宅地や工業用地として転用されほとんど見ることができない。西部の山地に源を発する浅川は市の中央部付近で南浅川と合流し市の中心域を流れ、川口川と合流、日野台地のせり出しを受けて東南に下り、山田川、湯殿川と合流して日野市へと向かう。その他の主要河川である北部の谷地川、南東部の大栗川はそれぞれ市の外で多摩川に合流する。中心部の標高は海抜100m前後である(市内最高所は醍醐丸=上恩方町、標高862.7m、最低所は大栗川=大塚、標高63.0m)。

中世から近世・近代に至るまで東西を走る甲州街道と、川越・桐生・日光(日光脇往還)など関東北西部、小田原・鎌倉・横浜(浜街道)など南西部・南東部を結ぶ街道が交差する交通の要衝であった。とくに江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えた。

現在でも、国道20号(甲州街道)と横浜から川越方面へと向かう国道16号(東京環状)、そして青梅を経て甲府へ向かう国道411号(滝山街道、青梅街道)の交点である。また、八王子ジャンクションにより中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道との交点でもある。

鉄道輸送においてもJR中央本線と横浜線・八高線の交点として、またJR貨物八王子総合鉄道部や京王電鉄の始発駅2駅を抱え、主要拠点となっている。

歴史

近代以降の行政区域の変遷については別項を、各時代の詳細については八王子市の歴史を参照のこと。

北条氏照が城を築いた深沢山には、牛頭天王の八人の王子神である「八王子権現」が祀られていたため八王子城と名づけられた。この城名が市名の由来である[7]。八王子城が豊臣秀吉の小田原攻めにより落城すると、この地方は後北条氏の旧領全域とともに徳川家康に与えられた。交通の要衝であるため、江戸を甲州口から守るための軍事拠点としての役割も担った。徳川家康が武田家の遺臣を召抱えて組織した八王子千人同心の根拠地となったのはそのためである。そして、江戸時代には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとなり、武田家旧臣の大久保長安が代官頭をつとめてこの地方の開発および甲州街道の整備にあたった。その結果八王子横山十五宿は甲州街道中、最大の宿場町として、また多摩地区の物資の集散地として栄えた。

開国ののち、明治維新期以降は織物産業が繁栄した。特に生糸・絹織物については市内で産するだけでなく、遠くは群馬・秩父や山梨・長野からも荷が集まり、輸出港である横浜への物流中継地としても機能していた。

1960年代以降は、織物など繊維産業の衰退もあり、かわって東京の衛星都市としての機能が求められるようになった。そのため、市の郊外には多摩ニュータウンなどの大規模な住宅団地や、北八王子工業団地などの工業団地が建設された。また、都心のキャンパスが手狭になった大学の移転が相次ぎ、学園都市とよばれるようになった。そのため、産学共同研究が近年は盛んである。 市の西部の高尾山、陣馬山などの山々はハイキングコースとして人気があり、また中村雨紅の生誕地にある『夕焼け小焼け文化農園』なども行楽客を集めている。

方言

古くから居住する住民は、西関東方言の一種である八王子方言を話すが、他地域からの人口流入などにより、特徴はあいまいになりつつある。西関東方言の中でも、横浜方言・あるいは甲州弁との交流が認められる。

八王子方言の特徴として「──じゃんかよ(ぉ)」など、語尾に「じゃん」「よぉ」をつけることが多い(例:太郎さんよぉ、まったくもうよぉ、困っちまうじゃんかよぉ)。また「うざい」という若者言葉は、江戸期まで使用された「うざうざ」を源とする八王子方言の「うざったい」(まとわりつくような不快感を表す)が源であるとする説がある。 さらには「めぐらったらしい」という言葉も八王子の一部では使われている。また、語尾に「〜だべ」をつけることが多い。(例、「遊びに行くべ」など・・・)

八王子市を舞台にした作品

[編集] 歌(歌謡曲・民謡・音頭等)

* 『八王子音頭』:作詞西條八十、作曲古賀政男。1952年に作られた。「八王子まつり」をはじめとした八王子市全域の盆踊り大会・夏祭りで必ずと言っていいほど流される。
* 『新八王子音頭』(別名:『太陽踊り』):「八王子まつり」をはじめとした八王子市全域の盆踊り大会・夏祭りで必ずと言っていいほど、流される音頭である。「歌詞・曲調のインパクトがとても強い」といわれている。作詞井田誠一、 作曲・編曲いずみたく、唄佐良直美。
* 『新八王子音頭』:作詞阿部昭三、作曲清水晃夫、編曲星野進
o 注意:『新八王子音頭』について - なぜ『新八王子音頭』は2つ存在するのか。これは、元々、八王子を歌った音頭は、1952年、西條八十作詞の『八王子音頭』のみであったが、その後、井田誠一作詞の『新八王子音頭(太陽踊り)』と阿部昭三作詞の『新八王子音頭』が同名で、相次いで作られてしまったためだ。尚、現在は井田誠一作詞の『新八王子音頭』は『太陽踊り』という愛称で市民から親しまれている。しかし、一部の人・文章等では『太陽踊り』を『新八王子音頭』と紹介・記載していることもあるので、未だに井田誠一作詞の『新八王子音頭(太陽踊り)』と阿部昭三作詞の『新八王子音頭』が混同されていることが多い。
* 『八王子平成音頭』
* 『八王子市歌』:1936年(昭和11)市政20周年を記念して制定。北原白秋作詞、山田耕筰作曲。
* 『夕焼小焼』:中村雨紅が八王子駅から故郷の恩方まで歩いた時に作詞した。2005年12月より八王子駅の発車メロディーに使用されている。
* 『高尾山音頭』
* 『八王子ルンバ』:日本テレビの中井正広のブラックバラエティという番組で流された。嶺鶯が歌っている。

小説

* きだみのる『気違ひ部落周游紀行』1957年 - 作者が第二次世界大戦中に疎開していた恩方地区が舞台。なお、ここでいう「部落」とは、「集落」または行政単位の村よりも小さな地域共同体のことを指すもので、被差別部落の意ではない。
o 1957年映画化 松竹『気違い部落』
* 古世古和子 著 北島新平 作画『ランドセルをしょったおじぞうさん』1980年 - 泉町・相即寺が舞台。
* 篠田節子『絹の変容』1991年、『夏の災厄』1995年
o 2006年テレビドラマ化 6月27日 日本テレビ『ウィルスパニック2006夏 街は感染した』
* 三田誠広『白い丘』1991年 - 作者が居住していためじろ台が舞台。
* 木根尚登『八王子のレッド・ツェッペリン』1996年
* 重松清『定年ゴジラ』1998年 - 作者が居住していためじろ台が舞台。
o 2000年テレビドラマ化 2月 - 3月 NHK-BS『定年ゴジラ』(全6回)
* 二階堂黎人『吸血の家』1999年 - 横山町の旧家が舞台。

テレビドラマ

* TBS『ひとり暮らし』(1996年)
o 主人公の花淵美歩の実家がめじろ台である(特に第1話に同駅の駅舎の外景が映る)。 出演:常盤貴子
* TBS『メロディ』(1997年)
o 八王子にあるケーブルテレビ局が舞台。出演:小泉今日子、小林薫、玉置浩二など。
* 日本テレビ『向井荒太の動物日記〜愛犬ロシナンテの災難〜』(2001年)
o 八王子大学(架空の大学)が舞台。名前は出ているが八王子市内のロケは行われていない。出演:堂本剛、安倍なつみ、水野真紀など。
* TBS『月曜ミステリー劇場・万引きGメン・二階堂雪10ねたみ』(2003年)
o 八王子と甲府のスーパーが舞台。出演:木の実ナナ、酒井和歌子、あおい輝彦など。
* フジテレビ『ハコイリムスメ!』(2003年)
o 高尾山の中腹にある「十一丁目茶屋」で育った姉妹が主人公。出演:飯島直子、深田恭子、吉沢悠、玉山鉄二、勝村政信、地井武男など。

ラジオドラマ

* 少爺占、王貽興『八王子』(2005年)- 香港のラジオドラマ。八王子そのものが舞台という訳ではないのだが、タイトルの由来は作者の知人の留学先が創価大学であったことから、その所在地である八王子市よりとられている。

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立川市

立川市(たちかわし)は、東京都の多摩地域にある市。

概要

東京都の島嶼部を除く地域のほぼ中央の、多摩川中流左岸武蔵野台地上に位置する。

JR中央本線、南武線、青梅線が乗り入れている立川駅、多摩都市モノレール線の立川北駅、立川南駅を中心に商業施設やオフィスが集積し、町田駅、吉祥寺駅、八王子駅と並ぶ多摩地域の中心都市の一つとして発展している。立川駅は、東京駅から中央線特別快速電車で40分ほど、新宿駅からは中央線特別快速で30分ほどである。

江戸時代までは甲州街道および五日市街道沿いの村落に過ぎなかったが、明治以降、鉄道が敷設され市域南部の立川駅がターミナル駅となり、さらには1922年(大正11)陸軍立川飛行場が設置されたことによって商業・工業の集積が進んだことが、今日の繁栄の礎となっている。 一方で農業も盛んでウド(独活)は立川の特産品でも有名で、飲食産業はここ数年で町田市と共に急成長している。

地理

武蔵野台地上にあり、市域のほとんどは平地であるが、南部の多摩川沿いに立川崖線、北東端に国分寺崖線が見られる。標高は北部から南部へゆるやかに低くなっている。南北に残堀川が流れており、その旧河道にほぼ沿う形で立川断層が走っている。

地名の由来

2通りの説がある。

* 武蔵国府が現在の府中市にあった時代、府中より見て現在の多摩市付近で東西に連なる山を多摩の横山と呼び、その多摩の横山から見て多摩川が縦方向(南北)に流れている近辺(現在の立川、日野近辺)を立の河と呼んでいた。立の河が次第に変化して現在の立川になったと言われている。
* 地方豪族立川氏(たちかわ・し)が、現在の普済寺に城をつくったことから立川(たちかわ)になったと言われている。

なお、立川付近の多摩川の河原は立河原(たちかわのはら/たちがわら)と呼称(上記いずれの説に由来するのかは不明)され、後に合戦も行われている。

ミニテニス発祥の地

お年寄りでも無理なくいつでも出来るスポーツをと元立川市職員の天野氏が考案した屋内球技。ミニテニス用のラケットはテニスラケットのシャフトを極端に短くした感じで、ボールも手のひらサイズのビーチボールの様な素材でできている。体育館のバドミントンコートをアレンジして使い、手軽なことから生涯スポーツとして広く各地に普及している。日本ミニテニス協会の本部は勿論立川市である。

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武蔵野市

武蔵野市(むさしのし)は、東京都の多摩地区にある市。

東京23区に隣接する郊外住宅都市として発展し、市の中心である吉祥寺駅周辺は多摩地域最大の繁華街となっている。

地理

東京都(島嶼を除く)のほぼ中央にある。新宿から約12km、電車で15分。

市内の「交通空白地域」をコミュニティバス「ムーバス(m-bus)」が走る。 三鷹市、小金井市、西東京市と4市で、文化・芸術・スポーツの施設や保養施設など、公共施設の共同利用を行っている。

戦前、中島飛行機 武蔵製作所(エンジン工場)が出来、この地域は大きく発展した。 しかし、米軍の東京空襲の戦略爆撃に合い、工場機能は壊滅。現在もビル工事などで地中深く掘削すると不発弾が発見されることがある。現在の市役所の位置には武蔵製作所の本館があった。また、市役所前の競技場及び50mプールはリニューアルされるまで中島飛行機当時の施設を直して使っていた。 現在でも市内の下水道管の一部に中島飛行機時代に整備された施設を使用している箇所がある。 戦後、武蔵製作所東部分の跡地に武蔵野グリーンパーク野球場が竣工したが一年で閉鎖。その後武蔵製作所西部分の跡地がしばらく在日米軍に接収されており、グリーンパークと呼ばれていた。現在でも緑町周辺をグリーンパークと呼ぶ。武蔵野東学園のあたりに在日米軍用消防署があり、現市役所の場所には米軍子弟用のアメリカンスクールが存在した。 旧市役所は現在の市民文化会館、中央図書館の場所に点在してあった。

上水道

市営水道を持つ。市内の井戸水と利根川水系から水資源機構が管理する武蔵水路を経由して供給される河川水を利用している。

給水は市町村の事業であるが、多摩地区では多くの自治体が東京都水道局に委託している。独自で行っているのは、本市と昭島市、羽村市、奥多摩町、檜原村の5市町村だけである。

市内にある境浄水場は東京都水道局のもので、本市の給水には直接は関与しない。

ゴミ処理

武蔵野市役所と野球場の間に、武蔵野市クリーンセンターがある。

2004年10月からゴミ出しは指定袋で行われるようになった。

ゆかりの作品

漫画・アニメ

* GTO - 吉祥寺における武蔵野学園という架空の学校が舞台となっている。東京都立武蔵高等学校が校舎のモデル。
* ろくでなしブルース - 吉祥寺の帝拳高校という架空の学校が舞台となっている(建物のモデルは都立神代高等学校とされる)。
* 綿の国星 - 吉祥寺に似た「ちきじょうじ」という架空の地名・駅名が登場する。隣駅は「昼荻」と「夜たか」。
* ストップ!! ひばりくん! - 作者江口寿史の住む吉祥寺が舞台。
* スラムダンク - 舞台となる湘北高校は神奈川県にあるという設定だが、武蔵野北高校が校舎のモデルとなった。
* あずまんが大王 - 何度か三鷹駅北口や井の頭公園と思われる場所が出てきている。
* 幻魔大戦 - アニメ版。吉祥寺駅周辺でロケハンが行なわれ、サンロード他が丹念に描かれている。
* キャプテン翼 - 主人公・大空翼のライバルの一人である三杉淳が生まれ育ち、住んでいる都市。この三杉が所属する武蔵FC、武蔵中学校はこの武蔵野市に所在する。 
* ケロロ軍曹 - 吉祥寺駅が登場する。なお主人公の住む市の名は武蔵市とされている。
* CODE-E - 吉祥寺の架空の学校が舞台となっている。
* Cafe吉祥寺で - 武蔵野市吉祥寺のとあるカフェが舞台となっている。モデルのカフェが存在するかは不明。

テレビドラマ

* 俺たちの旅 - 日本テレビ系列で放映された中村雅俊主演の青春ドラマ。吉祥寺を舞台とし、駅周辺や井の頭公園などがロケ地として用いられた。
* 熱中時代 - 日本テレビ系列で放映された水谷豊主演の学校ドラマ。市立第三小学校がロケ地として用いられた。
* うちの子にかぎって… - TBS系列で放映された田村正和主演の学校ドラマ。吉祥寺を舞台とし、市立本宿小学校および同第三小学校がロケ地として用いられた。
* 電車男−フジテレビ版では、電車男(山田剛司)が武蔵境(第6話、コミックフェスタ招待状の宛名より)、エルメス(青山沙織)が吉祥寺に住んでいる設定になっている。

映画

* 日本一のホラ吹き男 - 1964年に公開された植木等主演の映画。武蔵野陸上競技場、第四中学校、市営プールなどがロケに使用された。
* グーグーだって猫である - 大島弓子のエッセイマンガを映画化。井の頭公園周辺で2007年9月撮影開始、2008年公開予定。主演小泉今日子。

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三鷹市

三鷹市(みたかし)は東京都多摩地区の最東端にある市。

武者小路実篤、太宰治など多くの作家たちが住んだまちとして知られるほか、2001年の「みたか市民プラン21会議」など自治の取り組みで知られる。三鷹の森ジブリ美術館などがある。三鷹市役所の一部は調布市域にはみだしている。

地理

東京都(島嶼除く)のほぼ中央に位置しており、23区と多摩地区の境界にある。新宿まで電車で15分ほどである。 東経139度31-35分、北緯35度39-42分の位置にあり、東西6.4km、南北5.2km。 市域は鷹が大きく羽を広げたような形をしている。

北には武蔵野市、東には杉並区、東南には世田谷区、南には調布市、西には府中市(隣接していないが非常に近い)、北西には小金井市と接している。

北東に位置する井の頭地区には井の頭恩賜公園からなる井の頭池があり、東南方向に流れる神田川は井の頭池を源流とする。また、三鷹駅の地下をとおる玉川上水は、武蔵野市との境界を東南方向に流れ、万助橋から井の頭公園を横切り、牟礼地区を流れる。 大沢地区の南側には野川が流れ、流れの北側に国分寺崖線という河岸段丘が存在する。 上連雀地区・下連雀地区から新川地区を横断する仙川がある。

市北側にJR中央線が東西に走り、三鷹駅が存在する。駅の南側は市で一番大きな商業地区となる。 また、神田川沿いに走る京王井の頭線の井の頭公園駅、三鷹台駅は、それぞれ北側を武蔵野市、杉並区と接する。

工業

* 東京23区隣接地域であるため、太平洋戦争前から日本無線や中島飛行機といった軍需産業を中心とする工場が多数設置され、戦後はその流れもあって通信や自動車関連の工場が多数操業してきたが、都市化の進展による地価の上昇から、より郊外に移転する工場が続出。さらにバブル崩壊後の企業リストラにより、市内の大規模工場は日本無線を除いてほぼ消滅した。現在は、世界的に評価される三鷹光器など、先端技術系の工場が一部存在する程度である。

街おこし

* Poki(ポキ) - 三鷹市のキャラクター。ジブリ美術館開館時に宮崎駿によりデザインされた。ただし、利用するためには、スタジオ・ジブリから使用許諾権及び再許諾権を受けている三鷹市の第三セクター株式会社「まちづくり三鷹」の個別審査が必要で、ジブリに支払う使用権料も商用利用の場合には高額となるため、市民が気軽に利用することはできない。また、菓子等食品の本体に用いることは禁止されている(包装への使用は可能)。Poki(ポキ)という名称は一般公募によって決定された。市の特産品を集めた「ポキショップ風の駅」が同美術館へ至る途上にある。
* 紫草 - 江戸時代に栽培されていたが近年復活させようとの動きがある。

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青梅市

青梅市(おうめし)は東京都の多摩地区西部にあり、東京都の自治体の中では、奥多摩町、八王子市、檜原村に次ぐ面積の市である。ローマ字表記はŌme。

地理

多摩川が関東山地から武蔵野台地に流れ出る扇頂部に発達した谷口集落が青梅市街の原型である。 市域のほぼ中央を多摩川が西から東へ貫流し、北部には入間川(荒川水系)の支流である霞川と成木川が、やはり西から東へ流れている。おおむね東部の平地から西部にかけて丘陵地・山地と変化している。標高は西端の多摩川右岸にある御岳の鍋割山の1,084mが最高地点、最低地点は市域の北東に位置する成木川の両郡橋下流で103.5mである。

歴史的には青梅街道の宿場である青梅宿が青梅市のほぼ中心に位置する古くからの市街であり、現在の青梅駅周辺である。しかしながら、多摩川と永山丘陵に挟まれた青梅駅周辺はそれほど土地が広くないのに比べ、開けた扇状地にある河辺駅周辺などの青梅東部は開発が容易であり、商業地や人口の増加が進んでいる。一方、東部以外の北部、西部、南部は丘陵や山地であり、開発はあまり進んでいないが、都内でも有数のハイキング等の行楽地として知られている。

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府中市 (東京都)

府中市(ふちゅうし)は、東京都のほぼ中央にある都市。多摩地域の一部である。

律令時代には武蔵国の国府が置かれた都市であったため、武蔵国の国府という意味で府中と付いた。 他の「府中」と区別する為に「武蔵府中」とも呼ばれる(例:武蔵府中郵便局、武蔵府中税務署)。江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えた。旧北多摩郡。

概要

地理的には東京都のほぼ中央に位置し(伊豆・小笠原諸島を除く)、武蔵野・多摩地域の東部に当たる。東京都区部の新宿から22km西、日本橋からは30km西に位置する。

大化改新後武蔵国の国府所在地であったことが知られており、古代より栄えていたことがわかる。鎌倉時代にも要衝地域として重要な地位を占めていた。江戸時代には八王子に次ぐ主要な宿場町として、また近在の物資の集散地として発展する。戦後も多摩地域の主要都市として行政機関、病院等の公共機関が数多く集積する。

交通網としては上記の地理的、歴史的な観点から現在でも東京都区部近郊の交通の要衝として、東西南北(区部、東京郊外、神奈川県及び埼玉県)を結ぶ。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に発達していった事が大いに影響されている。

武蔵野線、南武線、京王線の交差駅を持ち、道路網では甲州街道、中央自動車道を介して東西の区部と郊外とを結び、府中街道、鎌倉街道を介して南北の神奈川県(川崎市・相模原市方面)と埼玉県(所沢市方面)を結ぶ。市内はバス網が充実しており、中央線の各駅から府中市方面に向かって多くの路線が乗り入れている。

生活充実度としては非常に高く、多くの行政機関、病院等が集積し、大企業の研究開発所及び工場等の大規模な施設も多い。平坦地でありながら、多くの緑を有し、広い公園も沢山ある。

市内全域に1万個以上もの集積型の大きな「ゴミ箱=ダストボックス」が配置され美化面からも非常に評価が高く全国に広がっていった。しかし、市外住民が幹線道路沿いのダストボックスにゴミを不法投棄する事件が慢性的に発生し、ゴミの減量の面でも問題が出てきている。

医療面でも市独自に夜間、休日診療環境を用意し、他市に先駆け整備し、育児面では全小中学校への学校給食提供を実施する等、育児世代に高い人気を持つ。加えて防犯意識が強く、不審者情報の共有、連絡が行われている。

高齢者福祉面からも力を注ぎ、市内の各地域文化センターでの入浴設備提供、高齢者見守りネットワーク作りの整備を実施し、11ヶ所の高齢者在宅介護支援センターを拠点として提供している。

特色の1つとして、夜間人口、昼間人口がほぼ同一であり、又、市民の半数以上が市内に通勤・通学している。これは近隣のベッドタウン都市とは違い、職住近接した生活環境であることを示している。

これらから市民の満足度が高く、市のアンケートでもほぼ全市民が将来も住み続けたい街として回答している。又、住みたい都市として都下第二位の人気を誇る。(参考:MAJOR7(メジャー7) マンショントレンド研究室調査、住んでみたい街アンケート2006年)

日本記録としては、選挙投票開票時間日本一(1992年市長選挙での33分)を保持し続けている。 投票用紙を素早くカウントする機器(当市が主催する平和島競艇で使用していたもの)の導入が、開票時間の短縮に大きく影響していると思われる。

地勢

多摩川中流左岸の河川段丘に広がり、多摩川対岸に多摩丘陵を望む。市の南辺は多摩川と一致する。市の中央やや南を府中崖線が、北辺に沿って国分寺崖線が、それぞれ東西に走っている。前者の高さは10mから15m、後者は10mから20mである。北東部に標高79mの浅間山(せんげんやま)があり、麓からの高さは30mほどである。 この2本の崖線と浅間山付近を除けば、ほとんどが平坦な土地で可住地面積率は99.7%である。府中崖線の南側を多摩川低地、両崖線に挟まれた部分を武蔵野台地の立川面、国分寺崖線の北を同じく武蔵野面と呼ぶ。なお、崖線をこの地の方言でハケと呼ぶ。府中崖線の南側に沿って府中用水が流れている。市の北東端を、多摩川の支流の一つ野川が流れている。

古代

旧石器時代からの遺跡が確認されており、分梅町・美好町付近には古墳群もある。大化の改新後、国司が東国に派遣された際、武蔵国造の根拠地・大宮を避け、府中の地に武蔵国の国府が置かれた。国府は大國魂神社付近と推定されており、それ以後関東における政治、経済、文化の中心地として栄えて来た。(なお、武蔵国分寺は国府から約2km、現在の国分寺市内に置かれた。)。古代の東山道武蔵路は武蔵国府から北上する官道であった。

中世

鎌倉幕府の時代は、古文書の中から重要拠点として記載され、中世の鎌倉街道が市内を通り(現在も一部が残り、同名称の街道が併存)、新田義貞と鎌倉幕府軍が争った古戦場もある(1333年、分倍河原の戦い)。

近世

江戸時代には甲州街道沿いが宿場町として栄え、周辺の農地は大部分が天領であった。明治時代以後は北多摩郡の郡役所が置かれた。昭和になって軍の施設(府中基地)も置かれたが、第二次世界大戦期まで主な産業は農業であった。

現代

第二次大戦後は、1950年代以後に宅地開発が進み、行政機関、病院、大企業の研究開発所及び工場機能の集積も相まって人口が急増し、東京都下の拠点都市として発展する。

名称

本来、「府中」とは「国府所在地」を意味する地名で、日本各地に存在する。例えば、旧静岡市は幕末まで「府中」や「駿府」と呼ばれていたが、これは「駿河府中」の略称である。

壱岐国と対馬国を含めて68箇所の国府所在地の中で、現在も規模が大きい市街地となっているのは、ここ府中市(武蔵府中)と旧静岡市(駿河府中)、甲府市(甲斐府中)など少数である。

同一市名

現在、「府中」を称する市名は、東京都(関東地方)の府中市と、広島県(中国地方)の府中市と2箇所存在する。国の方針では同一市名は望ましくないとしているが、東京と広島の両市の市制がほぼ同時に施行されたという特殊事情に因る(東京都府中市の申請が先だったが、市制施行の日付は広島の府中市が一日前の3月31日とした為)。こうした同名市の例として、他に北海道伊達市と福島県伊達市がある。その2006年1月1日までは、唯一市名が重複する例であった。

府中を舞台とした作品

* 『中央フリーウェイ』 - 松任谷由実(発表当時は荒井由実)の曲。ビール工場、競馬場と中央高速沿いの風景が歌われている。
* 『おれはキャプテン』 - コージィ城倉の漫画。『週刊少年マガジン』に2003年9月から連載。狛江の中学校の野球部が舞台で、府中市民球場での試合シーンが多い。
* 『ゲッチューまごころ便』 - 緋采俊樹の漫画。『週刊少年チャンピオン』に1998年36号から2001年49号まで連載。全17巻。主に府中市を舞台とした宅配便コメディ。

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昭島市

昭島市(あきしまし)は、東京都の多摩地区にある市。

多摩川中流左岸に位置する。

市の中央北部にあり、JR青梅線の乗り入れる昭島駅を中心に商業施設等が立ち並び、主としてこの地区がこの市の経済活動の中心となっている。

明治末から大正にかけては養蚕村として栄え、全国的に見ても相当な生産高をあげていた。

1954年5月に北多摩郡昭和町と拝島村が合併し、東京都で七番目の市として誕生した。特に昭和中期以降の工場誘致、大型団地の建設等によって人口の増加、経済活動の進展がもたらされ、現在では東京のベッドタウンとしての役割が大きい。人口は112,947人、世帯数は50,071世帯(2007年9月1日)。

1961年8月に多摩川でクジラの化石が出土し、「アキシマクジラ」と命名された。

地理・自然

* 都心より約35キロメートル西の多摩川の左岸に位置しており、市北部には玉川上水が流れている。また、市の南を流れる多摩川に向かって市域が全体的に北西から南東へ向かって緩やかに傾斜している。市域の標高は、最高地点で海抜170.72m、最低地点で76.68mとなっている。(河川部分は除く)

* 市の東西を貫くJR青梅線の線路を境として、北部では団地、工業地、ゴルフ場、国営昭和記念公園の敷地などが大きな面積を占める。それに対し南部では主として住宅地の占める割合が大きい。だが、最南部である多摩川の河岸付近地域には団地や学校が比較的多く存在している。

1961年(昭和36年)8月、市内のJR八高線多摩川鉄橋近くでクジラの化石が発見された。同じ種類のくじらが他に発見されていないため、和名「アキシマクジラ」と命名された。発掘当初はおよそ500万年前と推定されていたが、科学の進歩により現在では160万年前の地層から出土したとされている。百万年以上前のクジラの全骨格がほぼ完全な形で発掘されたのは、世界でも初めてだと言われている。世界的資料として、国立科学博物館新宿分館に大部分が保存されているが、一部の骨を市庁舎1階ロビーに常設展示している。このほか、昭島市の多摩川周辺ではアケボノゾウの足跡の化石や多摩川オオカミなどの骨格の化石、貝類の化石、貝類の生痕化石(サンドパイプ)、メタセコイア(和名 アケボノスギ)の化石や炭化樹木などが出土している。

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調布市

調布市(ちょうふし)は、東京都の多摩地区東部にある市。

都心に近く住環境の整った住宅地である。神奈川県と接する南側には多摩川が流れている。市内を甲州街道(国道20号線)や中央自動車道が通り、市街地を形成している。鉄道は都心まで20分で行くことが出来る。バス路線は多く、交通網はかなり発達している。市内には味の素スタジアムや神代植物公園、深大寺、新選組局長近藤勇の生家跡、武者小路実篤公園がある。市東部に位置する仙川は最近若者の町として活気がある。田園調布とよく混同されがちだが、こちらは大田区にある。

2005年に市政50周年を迎えた。

市の形

市域の形は「自由の女神」と呼ばれる。すなわち、北西部がたいまつを持つ右手、深大寺地区が頭部、北東部が独立宣言書を持つ左手に見立てている。また「ひとこぶらくだ」「おばけ」「ガッツポーズ」など諸説ある。

地名由来

調布という名称は昔の税金である租庸調の調(その土地の特産物を納める)で布を納めていたことに由来する。そのため以前は当地の他にも都内に幾つかの「調布」地名があった。田園調布は元は荏原郡調布村(のちの東調布町)であり、小泉八雲の雪女の調布は西多摩郡調布村(現在の青梅市長渕地区)にあった。(南多摩郡にあって現在の八王子市という説もある。)調布と書いて「たづくり」もしくは「てづくり」とも読んでいた(調布市の総合文化施設の名称が「たづくり」なのもそれに由来する)。調布市内には布田(ふだ)、染地(そめち)など布にかかわる地名が存在する。江戸時代までは多摩川で布をさらしていた記録が残っている。 「多摩川にさらすてづくりさらさらに何ぞこの児のここだ愛(かな)しき」という万葉集の歌が布多天神社に残っている。(玉川の項を参照) 金子、神代などははるか昔の渡来人に由来したものであると言われている。

街おこし活動

* ちょうふ新選組フェスタ - NHKの大河ドラマ『新選組!』の放送に合せ、近藤勇の故郷である本市の観光振興を目的として2004年2月28日から11月28日まで神代植物公園内で催された。市や商工会などが実行委員会を作り、展示や各種イベントなどが行われた。当初の目標は60万人、途中45万人に下方修正するも最終的な来場者数は18万2000人に留まるなど苦戦を強いられた面があった。
* 深大寺短編恋愛小説「深大寺恋物語」公募事業 - 『関東有数の古刹である「深大寺」の発祥は、その名前の由来でもある「深沙大王」という神様にまつわる「縁結び」の物語に由来する』と、1300年前から深大寺に今も伝わる「深大寺縁起絵巻」に記載されている。この話を事業の拠り所とし、2005年から行っている恋愛小説の公募事業。最優秀賞は賞金10万円。審査員は直木賞作家の村松友視氏など。入賞作品は冊子になり、販売される。実行委員会は作品をもとに、調布の特性を活かし、映画化を目指している。

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町田市

町田市(まちだし)は、関東地方の南部、東京都多摩地方の南西部に位置する都市。

概要

多摩川以南に位置する商業都市で、国道246号(東急田園都市線、小田急線)と国道16号(横浜線)が交差する。東京都に属しているが、神奈川県へ突き出た地理的要因もあり、神奈川県であると誤認される事もある。

昭和40年代以降、ベッドタウンとして急速に発達。バブル経済期以後には、東京都区部からの私立大学の転入が進み、郊外には現在も私立大学が点在するなど、「青年の街」の色も濃く見られる。

娯楽面では、多数のサッカー選手を輩出しており、「サッカー王国」として有名である。

町田を舞台とする作品

* 神聖モテモテ王国

主人公ファーザーとオンナスキーが暮らすアパートが町田市内にあるとみられる(隣室に入居したアンゴルモア大王らが「デビル教団町田支部」を構えている)。

* うなぎ (映画)

町田市小野路町周辺がロケ地。余談ではあるが、映画を見れば分るが撮影が深夜帯に行われ、映画の撮影が行われている事を全く知らない一部の住人達との間に多少のトラブルがあったとのこと。(撮影による騒音が問題だったと聞き及んでいる)

* まほろ駅前多田便利軒

三浦しをんによる第135回(平成18年度上半期)直木賞受賞作となった小説。便利屋を営む青年とその相棒の奇妙な日常と共に、舞台となる町田市が東京郊外にある架空の地「まほろ市」として詳細に描かれている。登場するまほろ市内のシーンは、多くが町田市内に実在する場所や店舗を名前を変えるかあるいは伏せた形で記されている。「駅むこうの松の湯」のモデルと思われる「あたみ湯」(中町1丁目)は本作出版直後の2006年春頃に廃業し、現在は実存しない。

* To Heart・ToHeart2関連

ToHeartの製作スタッフが、舞台は町田市をイメージしたと語っている。

* 殺人方程式(小説)

綾辻行人による推理小説。殺人事件の起こった場所は、町田市と相模原市の境界線に流れる境川と横浜線が交わる辺りと見られる。

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小金井市

小金井市(こがねいし)は東京都の多摩地区にある市。

市のほぼ中央に位置する武蔵小金井駅を中心に、東西に中央本線が、南北に小金井街道が走っている。 北に桜の名所として知られる小金井公園、南に武蔵野公園、野川公園、多磨霊園があり、緑豊かな街である。

2003年から2011年までの予定で行われている高架化工事の影響で、中央本線の踏切が「開かずの踏切」として全国的な話題となった。 人口密度は10,000人/km2を超える。

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小平市

小平市(こだいらし)は、東京都の多摩地区にある市。

江戸時代の新田開発により集落が形成されてきた。市内には、西武鉄道の新宿線、拝島線、国分寺線、多摩湖線のほかJR武蔵野線が走っている。市内には小平霊園や玉川上水の遊歩道など緑が多く、江戸時代には尾張徳川家のたか場(鷹狩を行う場所であり、地元民は狩や害獣駆除のための鉄砲の使用などが制限された)があり、たかの街道やたかの台の地名が残っている。

歴史

中世以前の遺跡としては、旧石器時代の遺跡(鈴木遺跡)、奈良時代から平安時代の竪穴住居跡の八小遺跡が市の史跡に指定されている。また、古代の官道、東山道武蔵道が通っていたことも確認されている。

江戸時代以降、玉川上水から分水された用水路の整備を受けて、新田開発が行われ、村落が形成されていった。街道をはさむ短冊形の地割りが特徴的であり、現在でもその面影を残している。

明治時代以降も都心部の郊外地で農村が広がっていたが、関東大震災の後に「学園都市」と銘打って宅地開発が始まり、第2次世界大戦後はいわゆるベッドタウンとして開発が進められた。

地名の由来

1889年の7村合併の際に、当時の中心であった小川村の小と周辺地域が平らな土地であったことから小平の名がつけられたとされる。(その平地の割りに下水が完備されていない時期は船で移動するほどの洪水があった。)

ゆかりの作品

* サインはV - バレーボールチーム「日立武蔵」が劇中のチーム「立木大和」のモデルとなった。
* ケロロ軍曹 - 作品中に、市内を思わせる施設、場所が登場する(5巻45話)。小平ふるさと村、小金井公園(作品中は大金井公園として登場)、多摩湖自転車道路、丸ポスト、用水路。
* ワル - 真樹日佐夫原作・影丸穣也作画による漫画。第1巻に「鷹の台高校」の文面及び鷹の台駅(少年マガジン掲載当時の鷹の台駅)の画面がある。
* フォー・スピリッツ - 舞台となる高校は「小平南高等学校」である。作品中の「希望の犬」は、実際は「希望の人」。

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日野市

日野市(ひのし)は、東京都の島嶼部を除く地域のほぼ中央に位置し、東京駅から中央線特別快速電車で45分ほど、新宿駅からは中央線特別快速あるいは京王線特急で30分ほどのところにある市である。甲州街道の宿場町として繁栄し、新選組の副長として活躍した土方歳三や六番組隊長の井上源三郎の出身地として知られる。

市名の由来

市名の由来は諸説あるがはっきりしていない。主なものとしては烽火台が置かれたことによるとする「飛火野説」の他「日野宮説」「日野氏説」などがある。これについては武蔵野郷土史刊行会編:多摩の歴史7(1975年)に掲載されている地元の郷土史家・土淵英夫氏の論考を参照されたい。

日野宿

日野宿(ひのじゅく)は甲州街道の5番目の宿場町であり、日野市の前身である。宿場町として整備されたのは1605年(慶長10年)のことで、八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれている。宿場町は物流の拠点であるとともに軍事的な拠点でもあり、軍勢が一気呵成に攻め込めないよう宿の出入口を直角に曲げて作られていた。その名残りが現在も見られる。東京都道256号八王子国立線を立川方面から進んできて日野駅前東交差点を左折して宝泉寺へ続く道筋が旧甲州街道である。もう一方の口も直角に曲げられていたのだが、今は明確にそれとはわからなくなっている。多摩川の日野の渡しを渡って南下し、右に直角に折れて日野宿に入っていた。日野の渡しは立日橋の下流側にあったとのことなので、今の日野警察署辺りで曲がっていたものと思われる。
本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物が建っている。その前の現在駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐藤彦五郎が天然理心流の道場を開いた。この向かいに問屋場と高札場があったが、現在は石碑が建つのみである。

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東村山市

東村山市(ひがしむらやまし)は、東京都の多摩地区にある市。

高田馬場駅まで西武新宿線で最短22分という地の利からベッドタウンとして開発が進んでいる。

地理

市域は象の頭部を正面から見たような形をしている。萩山町が鼻に相当する。武蔵野台地のほぼ中央、狭山丘陵の東縁に位置する。市内を流れる川(空堀川・野火止用水など)は荒川に注ぎ、多摩川に注ぐものはない。

空堀川は台風が来たときなどの大雨が降る度に溢れそうになるほどの水量となっていたが、流路の変更(直線化)、川幅を広げる等の大規模な河川改修工事が完了し、その一部は親水公園となっている。(かつて川から水が溢れて、川に隣接する大岱小学校の校庭が水に浸かったことがあった)

当市の出身者でコメディアン、俳優の志村けんの『東村山音頭』によって全国的に市名が知られることとなった。その中にも出てくる多摩湖(村山貯水池)はほとんどが西隣の東大和市にあるものの、新宿副都心開発により閉鎖された淀橋浄水場の代替地となった東村山浄水場があり、多くの東京都民が知らず知らずのうちに恩恵にあずかっている町である。

市の西部に狭山丘陵の東の縁があるが市域の大半は武蔵野台地の平坦な土地である。江戸時代の初めに幕府の老中、松平伊豆守信綱が掘らせたことから伊豆殿堀とも呼ばれる野火止用水や狭山丘陵から流れ出している空堀川から水利を得て、畑作が盛んなところだった。

歴史

1889年4月1日の町村制施行の際に、北多摩郡野口村・廻田村・大岱村・久米川村・南秋津村が合併して東村山村(ひがしむらやまむら)となった。村名は、この一帯を村山郷といい、村域がその東部にあったことによるものである(山形県村山市や同じ東京都にある武蔵村山市との同名回避ではなく、東久留米市や埼玉県東松山市と命名の由来が異なる)。1942年4月1日に東村山町(ひがしむらやままち)、1964年4月1日に東村山市となった。

東村山を舞台とする作品

* 映画『となりのトトロ』 - 舞台は八国山緑地がモデルとなった。
* アニメ『風人物語』 - 物語中、東村山駅が出てくる。

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国分寺市

国分寺市(こくぶんじし)は、東京都の多摩地区にある市。かつて武蔵国分寺が置かれたことで知られる。人口密度10,000人/km2を越える。

地理

* 市は東西約5.68km、南北約3.86kmにわたって広がり、大部分が武蔵野段丘の平坦面上である。

* 市域の大部分を占める高台上の平坦地である武蔵野台地と、国分寺崖線を境に一段低い立川台地、および高台を刻んで流れる野川上流の谷でできている。

* 国分寺崖線は「ハケ」とも呼ばれ、大昔立川台地の形成期に多摩川が武蔵野台地を浸食してできた浸食崖である。上流は武蔵村山市残堀付近から始まり、市内西町5丁目(高さ約5m)、光1丁目(高さ約11m) 、西元町(高さ約12m)及び東元町1丁目と南町の境(高さ約16m)へと続き、さらに野川の東岸に沿って大田区丸子橋付近までのびている。また、「お鷹の道・真姿の池湧水群」(名水百選に選定)といわれる湧水群があり、ハケ下の野川に流れ込んでいる。

* 海底時代、陸北時代、武蔵野台地形成時代、立川台地形成時代を経て現在の地盤ができ、表土から下へ関東ローム層、砂礫層、そして岩盤(連光寺互層)となる。

国分寺を舞台とする作品

* 野球狂の詩 - 水島新司の人気野球漫画。セリーグのプロ野球球団・東京メッツが国分寺球場を本拠地とする(球団、球場は架空)。
* さらば国分寺書店のオババ - 椎名誠のデビュー作。モデルになった国分寺書店は国分寺駅南口を出て左へ100m程度に実在していたものの、現在廃業しており、当時の場所は総菜屋になっている。
* バッテリー - かわぐちかいじの野球漫画。主人公海部一樹の出身校が国分寺南高校となっている(高校名は架空)。

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国立市

国立市(くにたちし)は、東京都にある市。

地名由来

* 中央線国分寺駅と立川駅の中間にできる新しい駅とこの地区に、両駅から1字ずつ取って「国立」と名付けたことによる。
* 「谷保」は本来は「やぼ」と読む。しかし、旧国鉄が南武線の谷保駅を開設した際、「やほ」としたことが契機となり、今日では「やほ」と読まれることが多い。谷保村成立時には「やぼ」と読んでいたはずなので、本項ではそちらの読みを採った。単に「やぼ」が「野暮」に聞こえるからだという話もある。[要出典]
* 「国立」は「こくりつ」と誤読されることを避けることを理由として「くにたち」と仮名書きされることがある。

独自の施策

* 都市景観形成条例

* 文教地区

国立市の大部分は、東京都からにより文教地区に指定されている。

文教地区とは、地方自治体が都市計画区域内に指定できる特別用途地区のひとつで、教育施設の周囲や通学路において、教育上好ましくないと目される業種(パチンコ店や風俗店、ホテルなど)の進出を規制する地区である。

1950年代、急激な人口の増加に加え、朝鮮戦争勃発によって隣接する立川の米軍基地が活況を呈し、米兵相手のいかがわしい商売が増えたこともあり、駅周辺の環境は悪化しつつあった。街の環境を守ろうと考えた国立の市民、学生たちは、1950年12月に公布されたばかりの「東京都文教地区建築条例」に目をつけ、文教地区指定を求めて運動を始めた。

町がさびれるという反対派の声もあったが、議論の結果、1952年、国立市は東京で初めて「文教地区」の指定を受けた。

現在の、多くの学校を擁する、緑豊かで閑静な町並みは、この文教地区指定によって守られているといえる。 (一時JR中央快速線の高架化工事が当時の市長の発言により20年以上中断する原因にもなっていた。)

ゆかりの作品

* 忌野清志郎『多摩蘭坂』
* おおの藻梨以『くにたち物語』
* 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』
* 赤川次郎『死者の学園祭』

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福生市

福生市(ふっさし)は、東京都の西部、多摩地域の中西部に位置する市。

市域の約3分の1は、在日米軍横田基地が占める。市名の由来には諸説あるが、北方から来る敵を防ぐ要衝であった所から来ていると考えられている。「ふっちゃ」とも「ふっつぁ」とも発音されることがある。

総人口は61,052人(住民基本台帳記載者58,719人及び外国人登録者2,333人を合算した登録人口)、総世帯数は28,709世帯(外国人1,171世帯を含む。共に2007年10月1日現在)。

歴史

近世期頃までにほぼ現在の市域と重なる2村が成立した。すなわち福生村と熊川村である。初期には、他の多摩川流域の村々と同じく都筑郡古佐(ふっさ)村などと記された文書もあるが、都筑郡に属していたことを確実に示すには至っていない。江戸時代初期には両村とも旗本領と幕領の混在する相給地であったが、享保期には福生村がすべて幕領となったのに対し、熊川村は幕末に至るまで旗本田沢氏領・長塩氏領と幕領の相給地であった。近世後期になると農業生産高の増大に伴い、酒造などの農間余業が営まれるようになる。福生村名主の田村家による酒造業は代々引き継がれ、現在も「嘉泉」の名で知られる。また、幕末・明治初期には熊川分水の引き入れにより、熊川村名主石川家でも酒造が行われるようになった(こちらも「多満自慢」の銘柄で現在も知られる)。幕末期、文政の改革により組合村が結成されると、田村家当主の十兵衛は拝島村組合(26村)の惣代を務めた。

現在

過疎地域のイメージが強い西多摩地域にしては、賑やかな部類に入る街であろう。だが地元の人間に言わせると、長い不況の影響などで近年では盛り下がり続けているようだ。福生駅東口方面に位置する、いわゆる赤線と呼ばれる地区は、かつては歌舞伎町と肩を並べるくらいの一大歓楽街であったとの事。米軍基地周辺の文化を求めて都内や近県から多くの人々が見物に訪れているようだが、典型的な東京郊外のベッドタウンである福生には、横田基地が存在し、毎年8月上旬に七夕まつりが開催されるという特徴を除けば、観光資源となるような物は皆無であると言える。

福生市を舞台とする作品

* 大瀧詠一 『福生ストラット』(ウルフルズが『大阪ストラット』としてカバー)
* 片岡義男 『スローなブギにしてくれ』
* 上條淳士 『SEX』
* 村上龍 『限りなく透明に近いブルー』
* 山田詠美 『ラビット病』、『風味絶佳』(2006年に『シュガー&スパイス 風味絶佳』の題名で映画化)
* 吉増剛造 『ことばの古里、ふるさと福生』

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狛江市

狛江市(こまえし)は東京都の多摩地区東南端にある市。

概要

多摩川中流左岸に位置する。市域の北端は国分寺崖線および野川、南端は多摩川にほぼ一致する。このため北から南方向に緩やかに傾斜しているが、概ね平地といえる。標高は20から30mの間にある。市域は「枝豆」の形をしており、市役所を中心とした半径約2kmの円内に収まる。

東は世田谷区、北・西は調布市、南は神奈川県川崎市多摩区に接し、これら3つの面積の大きな自治体に取り囲まれた形になっている。多摩川の川崎側の河川敷も一部市域に含まれる。

狛江を舞台にした作品

* 『おれはキャプテン』 - コージィ城倉作。『週刊少年マガジン』2003年9月24日号(41号)から連載開始。狛江市立狛駒中学校の野球部を舞台にした作品。冒頭、狛江市の紹介から始まるが、その後、市関連の描写はほとんどない。

* 『西狛江中学3年B組』 - 2004年1月2日フジテレビ系で放送された『新春ドラマ 愚痴2』で、5本のオムニバスドラマの内の1本。

* 『3年B組金八先生』 - 金八先生は、足立区に赴任する前は世田谷の中学に勤務しており、狛江に住んでいた。1作目の第1話では狛江駅ホームでロケが行われている。第2話での引っ越しの際には「駅から徒歩15〜20分の場所に住んでいる」旨のセリフがある。ちなみに、在住俳優の小野、斉藤、梅津らは父兄役などで出演歴がある。

* 『ツルモク独身寮』 - 窪之内英策の漫画。劇中、喜多見から向ヶ丘遊園にかけての風景が登場する。

* 『レディ・ジョーカー』 - 高村薫の小説。和泉自動車教習所付近が現金受け渡し現場として指示された。
* 『虹のかなた』 -主人公小川ちひろ(尾崎千瑛)の通う小学校は実在しない狛江市立狛江東小学校(ただし実際のロケ地は、八王子市内?)。その通学路は、狛江市内の多摩川の河川敷付近である。居候先の叔父の経営するうどん店「けむりや」は、東和泉6-15-1(6丁目は架空の住居表示)に立地する。叔父の娘奈緒子(水黒遥日)がコマレンジャーと撮影している場面や『コマレンジャースナック』を食べている場面も登場。

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東大和市

東大和市(ひがしやまとし)は、東京都の多摩地区にある市。

地理

北部に狭山丘陵、村山貯水池を擁する、人口約8万人のベッドタウン。 市の西部に多摩都市モノレール線が南北に通り、表玄関にあたる南街には青梅街道が、また市の中央を東西に新青梅街道が走っている。

第二次世界大戦中まで市の南部(現在の桜が丘)には、軍需工場の日立航空機立川工場があったが、戦後にGHQに接収され大和駐屯地がつくられた。返還後の土地には国有地、公有地として公園や教育・福祉関連施設、公団住宅などが建設されている。東大和市駅から青梅街道沿いの南街という地域は、そもそも日立航空機で働く従業員の為の社宅や学校、商店などを開発した地域で、当時地元民の集落が狭山丘陵付近にあったことから地元民から見て南にある街ということから南街(みなみまち)と呼んでいたものがいつの間にか南街(なんがい)と変わり現在の地名になった。

大規模な都営住宅が多く、近年その建て替えや旧農地の宅地への転用などにより、現在も人口は増え続けている。主な農産物は狭山茶や多摩湖梨など。

市名の由来

* 村制施行時に、それまで政争が盛んだった6村が「大いに和して」一つになるという意味から「大和村」と名付けられた。
* 市制施行時に、神奈川県大和市やほぼ同時期に市制施行する埼玉県和光市と区別する為、大和市より東にある事と、東京の大和市という意味から「東大和市」と名付けられた。また、同様の例として、福岡県久留米市と区別した東久留米市(東京都)、愛媛県松山市と区別した東松山市(埼玉県)、広島県広島市と区別した北広島市(北海道)等が挙げられる。

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清瀬市

清瀬市(きよせし)は、東京都の多摩地域の東北部にある市。

地理

東京都から、埼玉県の新座市と所沢市の間に楔のように北へ突き出している。西の所沢市とは柳瀬川で、南の東久留米市とは野火止用水で境を隔てる。市内には金山緑地公園など緑地が多く、緑地面積は市域の約46%を占める。

歴史

清瀬市域に最初の人類が現れたのは、ヴュルム氷期の約2万年前である。下宿強清水(したじゅくこわしみず)遺跡と野塩西原遺跡にその痕跡を残している。縄文時代に入ると、人口は中期を頂点にして増えたが、後期以降は皆無に等しくなった。その後平安時代中期までこの状態が続いた。人口が増える平安時代後期になっても、居住地域は柳瀬川に近い現在の野塩、中里、下宿にとどまっていた。この時代はまだ井戸を掘る技術が発達しておらず、深い井戸を掘ることが難しかったために川に近い場所に人が集まったものである。

武士が力をつけ武蔵七党が台頭してくると、村山氏の勢力下に入ったものと見られる。

足利尊氏が幕府を開くと、信濃国佐久郡大石郷を本拠地としていた大石氏が勢力を伸ばしてくることになる。大石氏は木曽義仲の末裔とされ、大石信重が1356年5月に戦功により足利氏から武蔵国の入間郡と多摩郡の13郷に領地を与えられた。信重は現在の八王子市と青梅市の中間にあたる場所に居館を定めた。

いつの頃かははっきりしないが、15世紀後半大石氏は柳瀬川の対岸、現在の所沢市に滝の城を設営した。戦国時代になり、甲斐武田氏の勢力が伸張してくると、後北条氏と組み、後北条氏の領地とした。後北条氏の勢力下に入ると、滝の城か対岸の清戸下宿(小字岡)かはっきりしないが、清戸番所が設けられた。清戸番所は現在の関東地方北部に向かう軍事的な要所をなした。滝之城は豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城し、今は「滝之城跡」として残るのみである。

明治維新により江戸幕府が倒れると、間もなく清瀬を含む地域に武蔵県が設けられた。この県は廃藩置県で設けられることになる県と違い、天領、旧幕臣領といった幕府直轄の領地だった場所を県と呼ぶことにしたに過ぎない。しかし、1869年1月から2月にかけて新たに品川県が設けられ、清瀬市域は品川県に編入された。名前が変わっただけで、実態は変わっていない。1871年4月の廃藩置県で3府306県が設けられると、清瀬市域は東京府と入間県に分かれて編入された。しかし、同年11月に東多摩郡を除いた多摩郡が、神奈川県に編入された。

1889年4月1日、明治政府は新たに町村制を施行し、上清戸村、中清戸村、下清戸村、清戸下宿村、中里村、野塩村を合わせて北多摩郡清瀬村とした。しかし、この合併は他の多くの自治体同様すんなりと行われたわけではない。特に清戸下宿、中里、野塩の各村からの反対が多かった。これは地味や地租の問題が絡んでいたと見られている。村役場は秋津村を加えた連合戸長制時代に連合戸長役場が置かれていた中清戸に置くことになった。

一方、東京府からは三多摩編入を求める要望が強かった。元々は玉川上水の水質問題に端を発した西多摩郡と北多摩郡の編入運動だったが、東京府に組み込まれた東多摩郡同様に同じ多摩郡だったという理由で1892年に南多摩郡が加えられた。一時政争の具とされたものの、衆議院で編入法案が可決され、1893年4月1日に三多摩が神奈川県から東京府に移管された。

1915年に武蔵野鉄道(現西武池袋線)が開通したが、この時はまだ市域には駅がなく、1924年6月24日になって清瀬駅が開設された。

1954年4月5日に人口増加により清瀬町となった。更なる人口増加により1970年10月1日に清瀬市となり、北多摩郡を離脱した。ちなみに、一番最後まで北多摩郡であった町が清瀬である。清瀬市になったと同時に、北多摩郡は東京都から消えた。

市名の由来

市名の由来には諸説ある。

* 市内の地名「清戸」と、市内を流れる柳瀬川から、一字ずつ取った。
o 日本武尊がこの地を訪れ、木の下で休んだ際に、木の下の土を見て「清き土なり」と言ったことから「清土」の名が生まれ、それが「清戸」に変わったのであるという。
o 清戸の名は、現在も市内に「上清戸」、「中清戸」、「下清戸」として残る。
* 市内を流れる柳瀬川の「清らかなせせらぎ(瀬ぎ)」から名付けられた。

ゆかりの作品

小説・映画

* 鉄塔 武蔵野線 (小説・映画)- 市内を通る実在の送電線「武蔵野線」の物語。映画の撮影は市内でも行われた。

テレビドラマ

* ケヤキ通りの人々(1994年・NHK) - 市内を通るけやき通りにあった実在の喫茶店を舞台としたドラマ。撮影も同箇所で行われた。
* 盲導犬クイールの一生(2003年・NHK) - ロケの一部が柳瀬川流域(一部、所沢市域)で行われた。
* 仮面ライダー第1作(1971年・毎日放送・NET) - 主人公・本郷猛の協力者である立花藤兵衛が経営し、本郷が通っていた喫茶アミーゴは、市内の実在の喫茶店(喫茶「るぽ」)で実際に撮影を行っており、主演のオダギリ・ジョーも撮影に訪れたことがある。

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東久留米市

東久留米市(ひがしくるめし)は、東京都の多摩地方にある市。アニメ映画河童のクゥと夏休みの舞台となった町でもある。

地名由来

久留米町の市制施行に際し、福岡県久留米市との同名回避が必要となり、既設の駅が「東久留米」であることに加えて、東京都の東を冠することで、東久留米市とした。
なお、「くるめ」の名は、黒目川の古い呼び名「くるめがわ」に由来するといわれる他、かつて農業が不作続きで「久しく米が獲れなかったので、米がたまる(留まる)位になってほしい」との願いが由来である。と言う説もある。

東久留米を舞台とする作品

* シャーマンキング
* 河童のクゥと夏休み:2007年7月公開のアニメ映画。原作は東久留米市を舞台としているわけではないが、原作者木暮正夫が東久留米市に住んでいたことがきっかけとなり、アニメでの設定として東久留米市が舞台となった。また市内には、河童にまつわる伝説が多く残されており、今回のアニメ映画とともに街の活性化を狙っている。市ではもう一つの舞台で、同じく河童に縁のある遠野市との交流も行っている。

※東久留米市HP「河童のクゥと夏休みガイドマップ(PDFファイル)
※asahi.com 河童の「クゥ」で街おこし 東京・東久留米

* 滝山コミューン1974:2007年5月、講談社発行。明治学院大学教授の原武史氏の東久留米市立第七小学校時代に受けた集団主義の教育を、今日の観点から検証する。

* 縁のある作品
o めぞん一刻:東久留米駅や市内の様子を基にした風景などが作品中に出ては来るが、原作で作者の高橋留美子自身は「一刻館」の所在地は練馬区と書いている。東久留米が参考にされたということだろう。

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武蔵村山市

武蔵村山市(むさしむらやまし)は東京都の多摩地区北部にある市。武蔵野台地の西に位置し、狭山丘陵を挟んで埼玉県と接している。

武蔵七党のひとつ村山党の根拠地であった。

交通

東京26市で唯一鉄道路線のない市でもある。

新青梅街道上に計画されている多摩都市モノレール(現在は東大和市の上北台まで開通)は、国土交通省交通政策審議会答申で「2015年度までに着工することが適当な路線」と位置づけられている。この実現が武蔵村山市政の悲願となっているが、多摩都市モノレールの経営状況も厳しく、具体的な計画はない。なお、武蔵村山駅の用地は確保している。 また国道も通っていない。しかし東西方向には青梅街道・新青梅街道(東京都道5号)が通り、南北には立川市から所沢市に至る主要地方道である東京都道55号所沢武蔵村山立川線が通るなど道路交通の要である。

名所・旧跡

* 村山温泉かたくりの湯:市営の公衆浴場
* 東京都立野山北・六道山公園:狭山丘陵の自然をそのまま公園にした自然園。

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多摩市

多摩市(たまし)は、東京都の多摩地域にある市で、業務核都市の指定を受けている。

地理

市域は多摩川中流右岸に広がる。多摩丘陵の北端を占める。北端は多摩川、南端は多摩丘陵の稜線である。多摩川の支流である大栗川とその支流である乞田川が刻んだややひらけた谷状の地形を持つ。市域はこの谷状の地形に沿って東北東から西南西方向に長い形状をなす。

北を東京都府中市、東京都日野市、西を東京都八王子市、南を東京都町田市、東を神奈川県川崎市麻生区、東京都稲城市に接する。多摩ニュータウンが市域南部から稲城市、町田市、八王子市にまたがって造成されている。

また、南多摩地域では唯一、高速道路とJRが通っていない。

作品

* 耳をすませば:主として聖蹟桜ヶ丘、愛宕(主題歌「カントリーロード」の「丘を巻く坂の道」というフレーズは桜ヶ丘にあるいろは坂がモデル)
* 平成狸合戦ぽんぽこ:主に聖ヶ丘、連光寺、鶴牧、諏訪、永山、聖蹟桜ヶ丘、落合、南野、唐木田
* ウルトラマンメビウス:多摩センター駅周辺の市街地で屋外ロケがよく行われる。
* 魔法先生ネギま!:多摩センター、聖蹟桜ヶ丘
* ラブひな:聖蹟桜ヶ丘、和田(厚生荘病院)

その他、ドラマや映画のロケに多摩市が頻繁に登場。

古墳

全国的に珍しい八角形古墳稲荷塚古墳(百草)がある。また市内には幾多の古墳がある。多摩ニュータウンの建設時には 造成地から土器などを中心とする遺跡が出土し、それらの多くは多摩センター駅前にある埋蔵文化財センターに展示されている。

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稲城市

稲城市(いなぎし)は、東京都の多摩地区にある市。

日本住宅公団(現:独立行政法人都市再生機構)による1970年代以降の多摩ニュータウン建設や京王相模原線、小田急多摩線沿線の開発に伴い、多摩川流域の既存住宅地と合わせた人口が急増した。古くから梨やぶどうの産地として有名である。サッカーJリーグ・東京ヴェルディ1969のホームタウンでもある。

地理

東京都心から西南に約25km。多摩川右岸に位置し、市内大丸にて取水した大丸用水が東部を潤し、東西方向に三沢川が横断する。 多摩丘陵の北東部に位置し、現在は多くが住宅地となっているが、古くから谷戸地形を活かした農業が営まれており、森林も比較的多く残っている。

市域は「勾玉」の形をしており、よみうりランド内の一部が飛地となっている。

歴史

 現在稲城市がある地域は比較的古くから人間が住んだ土地であり、縄文時代の遺跡も多数発見されている。また市内には式内古社あるいは式内古社論社が三つ存在している(青渭神社、大麻止乃豆乃天神社および穴澤天神社)。中世には鎌倉幕府の有力御家人であった稲毛氏の所領(武蔵国小沢郷:現在の大丸から矢野口)が存在した。しかしこの地域が地域としての一体性を持ったのは稲城村の成立をもって嚆矢とする。

 稲城という地名も稲城村の成立時に考案されたものであるが、その由来ははっきりしない。最も有力な説によれば、稲城村の母体となった東長沼外五か村連合の戸長であり、後に初代の村長となった森清之助が、域内で私塾「奚疑塾」を主宰していた漢学者窪全亮に諮問した結果であるという。この地域が中世に稲毛氏の所領であったことや、かつては良質の米を産したこと、域内にいくつもの山城跡が存在することなどから、「いなげ」に通じる名前として「稲城」が考案されたのではないかと推測されている。

ゆかりの作品

* 仮面ライダー - ストロンガーまでの初期シリーズでは生田のスタジオが使われたため、屋外ロケは本市などで行われた。
* 電光超人グリッドマン - 1993年の特撮ヒーロー番組。主人公たちが暮らす町として向陽台が恒常的なロケ地となった。

* 虹のかなた - 2004年の放映のドラマ。主人公の母小川久美子の内職先の工場が株式会社ナカノ多摩営業所矢野口工場。所轄警察署が矢野口警察署。
* 南くんの恋人 - 1994年放映のドラマ。主人公たちの通う高校の外観として市立第5中学校正門付近が使われたり、市立体育館のアリーナ席や街中の風景などもよく撮影場所として使われた。

* しあわせのシッポ - 2002年4月〜6月TBS系列で、毎週木曜日の22:00〜23:00に放映されたテレビドラマ。場面の多くで稲城市が使われている。京王線稲城駅付近の実在するマンションに主人公が住んでいる設定になっている。

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羽村市

羽村市(はむらし)は、東京都の北西、多摩地域の西部に位置する市。東京都の市で最も人口が少ない。

地理

多摩川中上流左岸に広がる(一部右岸)。西と北を青梅市、東を西多摩郡瑞穂町、南を福生市、あきる野市と接する。経済的には北西部の小作地区は青梅市と、南西部の羽(はね)地区は福生市との結びつきが深い。玉川上水の開削に際しては、羽村に取水堰が設けられた。近代以後は養蚕を主とする農村であったが、高度経済成長期以後、自動車工場の誘致・建設などで人口が増加、また、東京のベッドタウンとなった。

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あきる野市

あきる野市(あきるのし)は、東京都の西部にある市。1995年に秋川市と五日市町が合併して発足した。

地理

市の西部は関東山地の一部をなす山々がそびえ、東部は秋川左岸の河岸段丘である秋留台地・草花丘陵がひろがる。

市名の由来

古来より「秋留〜」「阿伎留〜」などのような地名が付いていたことに起因する。

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西東京市

西東京市(にしとうきょうし)は、東京都の多摩地方にある市。

2001年(平成13年)1月21日に田無市と保谷市の合併により誕生した。西東京市は21世紀最初に新設合併により誕生した市である。合併時点での人口は179,710人であった。人口密度は12,000人/km2を越えている。

地理

地形的には武蔵野台地のほぼ中央に位置し、関東ローム層に覆われている。水利の便の乏しい多摩地区にあって市内に石神井川、白子川、新川(白子川支流)と玉川上水から分水した千川上水があり、比較的水利に恵まれた土地である。 市域は東西4.8キロメートル、南北に5.6キロメートル、北側がすぼまった葉の形をしている。

交通は東京の中心へ向かう東西が主で青梅街道、五日市街道の主要道路、鉄道も西武鉄道池袋線、西武鉄道新宿線がいずれも市内を東西に連絡している。南北の交通は市域のほぼ中央にあたる谷戸新道、境新道があるが鉄道線は南北への連絡はなく、南北の移動はバスが中心となる。

市内の中心は、西武新宿線田無駅北側と西武池袋線ひばりヶ丘駅南側となる。

歴史

旧田無市は江戸時代より青梅街道の宿場町であり、交通の要所として栄える。その後甲武鉄道(現JR中央線)のルートが市内を大きく外れたことで次第にその優先的な地位を失う。 旧保谷市は縄文時代から人が住んでいたことが下野谷遺跡の発掘で分かっている。江戸時代には玉川上水の分水である千川上水の整備により新田開発が南部で行われ、大正時代までは農村地帯であった。戦時中は旧田無市内に軍需工場があり空襲を受けている。また、旧保谷市南部も中島飛行機工場に近いため空襲を受けている。そのため武蔵野市とともに不発弾が発見されることがある。その後は旧両市とも、武蔵野鉄道(現在の西武鉄道池袋線)、西武鉄道新宿線の開通、工場、社宅、団地の整備により東京のベッドタウンとしての発展を続けている。

合併の経緯

旧保谷市は旧田無市の北、東、南を囲むような形をしており、特に南部が細長い市形となっていたため、行政効率などの点で田無市との合併が古くから考えられてきていた。また、ひばりが丘団地が2市と東久留米市にまたがっており、3市での合併を構想したこともあった。

名称問題

『西東京市』は、市民の投票によって決定された。候補として、ひばりが丘団地にちなんだ『ひばり市』、田無市の木であるケヤキにちなんだ『けやき野市』、『北多摩市』などがあった。

しかし、単に『東○○市』『西○○市』風の方角名称にする事に対しては、同時期に合併が行われた『さいたま市』(埼玉県)や『東かがわ市』(香川県)などと同様に、「安易過ぎる」との批判も多い。しかし、この『西東京市』以降、『西○○市』風の方角自治体が続々と誕生している(それ以前にも東大阪市や東広島市のような例はあった)。

「西東京」という呼称は、「旧東京市の西」ではなく、「旧東京府の西部」を指すことが多かったため(例:西東京バスは青梅、日野、八王子地区に路線を持っている)、この名称に疑問を呈する意見もあった。歴史的には、「東京」という地名は、明治維新期に「東の京」という意味から名付けられたのだが、「西東京」となると、「西の東の京」というように(結局は京都を差すとも)、意味不明になってしまう。こうした地名の誕生は、東京都民や市民にとって、もはや「京都が京」という概念が消え去っていることの表れと考えられる。

呼称に関しては、ひばり市やけやき市であっても批判があったと思われ、北多摩市とすれば北多摩の範囲はもっと広い(ずっと南の調布市なども含む)ため適当でなく、「田保市」「保田市」といった合併した両市から1文字ずつもらう案もパッとしないことから、結局どの名前にしても全ての市民を納得させられるものはなかったものと考えられる。

更に付け加えると、市内の地名にも方角が多いこと(例:南町、東町、北町)から、「方角だらけ」と揶揄される事すらある。

所縁のある作品

* ケロロ軍曹 - 吉崎観音原作の漫画。劇中にスカイタワー西東京が登場するなど、このエリアをモデルとしている。2004年にアニメ化された。
* あたしンち - けらえいこ原作の漫画で、読売新聞日曜版に連載。2002年にテレビ朝日でアニメ化され、その劇中では田無駅、スカイタワー西東京、西武線、西武バス、はなバスなど、市内(特に田無地域)の風景・交通機関が頻繁に登場する。また、原作でも西東京市周辺を主な展開エリアとしている西武バスやパルコ(周辺では市内のひばりヶ丘駅前に実際にある)、西反(せいたん、西友のパロディ)などが登場する。
* シャーマンキング - 原作の漫画。劇中で主人公たちが住んでいる町が「ひばりヶ丘」をモデルとした「ふんばりヶ丘」が出ているなど、このエリアをモデルとしている。アニメ化された。
* ウルトラマン80 - 中学校を舞台としたシリーズ前半では、青嵐中学校が校舎のロケに使用された。
* 魔人探偵脳噛ネウロ - 東西京市(ひがしさいきょうし)という市が作中に出てきている。
* 巻末漫画・おのぼりさん物語 - 西東京市在住のカラスヤサトシによる作品。「巻末漫画」はエッセイ的4コマ漫画で西東京市が頻繁に登場。「おのぼりさん物語」は関西から上京して西東京市に住み始めた作者の物語。西東京市を(その名称を含めて)すべて好きだと言及している。
* 夕凪の街 桜の国 - こうの史代作の漫画。桜の国編の舞台。
* 鉄塔 武蔵野線 - 銀林みのる作の小説。旧保谷市域(作品が書かれた当時は保谷市)を通る実在した送電線「武蔵野線」が舞台の作品。後に映画化されている。

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瑞穂町

瑞穂町(みずほまち)は、東京都西多摩郡の町である。

狭山丘陵の西端に位置し、南部は在日米軍横田基地で占められている。そのため人口密度が2000人/km2程度と少ない。

地理

* 山: 六道山(ろくどうやま)
* 河川: 残堀川、不老川
* 湖沼: 狭山池

瑞穂町の土地利用は、近年では畑や雑木林だった所に住宅を建てるなど開発が目立っている。場所によっては豊かな畑・茶園などが残り、昔の面影を留めている。

歴史

* 1940年11月10日 箱根ヶ崎村、石畑村、殿ヶ谷村、長岡村を廃して町制施行、瑞穂町となる。
* 1958年10月15日 埼玉県入間郡元狭山村を編入する。(元狭山村の二本木の一部は前日の10月14日に武蔵町へ編入。)

名所・旧跡

* “トトロの森”と呼ばれる狭山丘陵が北に広がる。
* 六道山 (ろくどうやま) 7つの遊歩道がある。頂上には高さ13mの展望台があり、パノラマ展望が楽しめる。

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日の出町

日の出町(ひのでまち)は、東京都の西部に位置する西多摩郡の町。多摩地区に3つある町のひとつ。人口は15,868人、世帯数は6,313世帯(2007年4月1日現在)。

山間部では石灰岩を産するため、早くからセメント工場が建設稼動し、1920年代には町域の西部に輸送用の鉄道も敷かれた。 またスギ・ヒノキの植林がされたため林業・製材業も行われている。木材加工の分野では棺桶・卒塔婆の生産が盛んであり、棺桶生産は年間20万本と日本一の量を誇る。

現在は鉄道の駅がなく、圏央道の日の出ICを中心にした道路交通網の整備が進んでいる。

町内には中曽根元首相の別荘があり、要人が来日し話題となった。 最終処分場の設置計画では、反対住民との間で論争が起きた。

近年では東部の平地三吉野地区に工業団地が建設されている。

歴史

* 1955年6月1日 平井村と大久野村が合併、西多摩郡日の出村を新設する。
* 1974年6月1日 町制施行、西多摩郡日の出町となる。

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檜原村

檜原村(ひのはらむら)は、は東京都の多摩地域の西部にある、東京都の島嶼部を除いた本土における唯一の村。

地理

村域の殆どが関東山地の中にあり、多摩川の支流である秋川上流の周辺に集落がある。標高が最も低い地点は、あきる野市との境界線になっている下元郷(しももとごう)の中山沢が秋川へ流入する地点で海抜224.5m、標高が最も高い地点は、三頭山頂の1531mで、村域の9割以上が森林である。

北秋川と南秋川が合流して秋川となる付近を本宿(もとしゅく)と言い、ここが村役場がある中心部である。ここから下流に向けて上元郷、下元郷の地域がある。都道33号檜原街道がこれに沿う。

北秋川に沿って都道205号が通っており、少し遡った所で拂沢(ほっさわ)の滝への歩道が分かれる。以後、千足、三都郷(みつご)、神戸(かのと)、小沢、樋里(ひざと)、笹久保、藤原、中俎、倉掛(くらかけ)の地域がある。

南秋川に沿っては都道33号が沿う。笹平、南郷と遡り、上川乗で都道33号が南秋川から離れて甲武トンネルを経て上野原市(旧上野原町)に向かう。以後川に沿う道は都道206号となり(通称は依然檜原街道)、和田、人里(へんぼり)、笛吹(うずしき)、数馬(かずま)の地域がある。数馬から奥の道路は奥多摩周遊道路となり、奥多摩町の奥多摩湖へ通ずる。

観光

* 払沢の滝(拂沢の滝) - ほぼ冬季毎に氷結する。村では氷結の日付を当てるクイズを行っている。
* 北秋川渓谷
* 南秋川渓谷
* 数馬地区 - 南朝や武田氏の落人の里として知られる。「数馬の湯」がある。
* 檜原都民の森

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奥多摩町

奥多摩町(おくたままち)は東京都における最西端・最北端の町であり、その面積は東京都の自治体中最大である。西多摩郡に属する。

地理

多摩川を堰き止めた小河内ダムによって造られた人造湖・奥多摩湖(小河内貯水池)を擁し、その下流域に集落が広がる。町域の面積は225.63km²で、東京都に属する自治体では最大である。またこの町の大部分は山林であり、東京都で一番山が急峻。また、登山者や観光客も多い。

歴史

* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、氷川村、古里村、小河内村が発足。
* 1936年(昭和11年) - 小河内村で小河内ダム建設着工。
* 1940年(昭和15年)2月11日 - 氷川村が町制施行し氷川町となる。
* 1955年(昭和30年)4月1日 - 氷川町、古里村、小河内村が合併し、奥多摩町が誕生。町名は多摩川の上流、奥多摩渓谷に由来する。
* 1957年(昭和32年)11月26日 - 小河内ダム竣工。旧小河内村域が奥多摩湖の湖底に沈む。

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大島町

大島町(おおしままち)は、東京都の島嶼の北端に位置し、三原山、椿、あんこさんで知られる町である。伊豆大島全域を町域とする。気候は温暖である。 年間平均気温は、摂氏15.8度

地理

* 東京都心の南約120kmの太平洋上に浮かぶ伊豆諸島中最大の島である。人口は約9000人。

歴史

* 1908年4月1日 - 大島島庁の伊豆大島に町村制施行。岡田村、元村、泉津村、野増村、差木地村、波浮港村が発足。
* 1926年 - 大島島庁から大島支庁になる。
* 1955年4月1日 - 岡田村、元村、泉津村、野増村、差木地村、波浮港村が合併し大島町が発足。

地域

大島町は北から泉津(せんづ)、岡田(おかた)、元町(もとまち)、野増(のまし)、差木地(さしきち(じ))、波浮港(はぶみなと)の六集落から形成されているが、北の山(きたのやま:元町字北の山を中心とした一帯、岡田と元町の中間)、間伏(まぶし:野増字間伏とその周辺、野増と差木地の中間)、クダッチ(差木地字クダッチ、差木地と波浮港の中間)を一つの地域と見なすこともある。また、島内を南部と北部に二分する表現が用いられることもある。その場合、差木地より南が南部に入ることは間違いないが、間伏地区がどちらに入るかは明確ではない。

また、カルデラ式火山である三原山の外輪山から内側がどの集落に属するのかは明確にされていない。外輪山にある大島温泉ホテルは泉津字木積場(きつんば)、バス停終点付近にある歌乃茶屋付近は正式には元町字二阡坪山(にせんつぼやま)だが、俗称元町字鏡端(かねはた、かがみばた)が使われることもある。しかし、その付近の一部区域は野増に属するところもある。

ご当地ソング

* 波浮の港(作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)

1928年(昭和3年)に発表された新民謡の名曲。大島町では午後5時になると、この曲が流れる。波浮港には記念碑がある。ただし、野口雨情は大島に来島することなく作詞したという。

* アンコ椿は恋の花(作詞:星野哲郎、作曲:市川昭介、歌:都はるみ)

波浮港を見下ろす高台に歌詞碑がある。

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利島村

利島村(としまむら)は、東京都の村。伊豆諸島の町村であるため、所属する郡が存在せず、「東京都利島村」が正式な表記である。東京都の行政出先機関は大島支庁である。

伊豆諸島の北部に位置する利島全域を村域とする。この利島についても本項で述べる。

伊勢エビ、サザエ(大サザエ)、椿で知られる。気候は温暖である。

地理

東京都心の南約130kmの太平洋上に浮かぶ伊豆諸島の島である。 島は富士箱根伊豆国立公園内にある。

レジャー

* トローリング
* ダイビング
* 椿

ただし、花の頃は交通事情が特に悪いので、訪れる人は少ない。なお、キャンプおよび野宿は全島で禁止されている(村営バンガローのある御蔵島村のような安価に宿泊できる施設もない)。旅館が1軒、民宿は数軒ある。

名物・特産品

* イセエビ
* サザエ
* 椿 - 椿油の生産量は全国一。
* さくゆり-生花、球根を販売の他、島焼酎の原料としても使用。

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新島村

新島村(にいじまむら)は、東京都の島嶼の北方に位置し、温泉、ビーチで知られる村である。人口は約3000人。新島、式根島全域を町域とする。気候は温暖である。

地理

* 新島村は東京都心の南約160kmの太平洋上に位置しており、有人島の新島、式根島、無人島の鵜渡根島、早島、地内島から成り立っている。

歴史

* 1923年10月1日 - 町村制施行。新島、式根島は大島島庁となり、新島本村(にいじまほんそん)、若郷村が置かれる。
* 1926年 - 大島島庁が大島支庁となる。
* 1954年11月1日 - 新島本村に若郷村を編入。
* 1992年4月1日 - 新島本村が改称し、新島村となる。

名産品

* くさや−ムロアジ等の島で採れる魚をくさや液と呼ばれる調味液に漬けて作られる干物。独特のにおいで好き嫌いが分かれる。新島島内には「くさやの里」と呼ばれる生産団地がある。
* 抗火石(コーガ石(こーがせき))−抗火石はガラス質で多孔性の鉱石。金属性の物質で引っ掻けば傷がつくほどもろいが、軽くて耐火性に優れる。世界的にも新島とイタリアの一部地方でしか産出されない。建材として切り出され、島外に出荷されている
* 新島ガラス−新島のガラス質の砂を原料に作られるガラス製品。独特のオリーブグリーン色をしている。島内にはガラス美術館がある。また、東京都大島支庁新島出張所及び東京都島しょ保健所大島出張所新島支所の合同庁舎正面には新島ガラスで作られた大型銘板がはめられている。
* たたき−伊豆諸島では魚のすり身を「たたき」それを揚げたものを「たたき揚げ」と呼ぶ。新島村のたたきは他の島と異なり、調味したすり身に重曹を加えているのが特徴である。そのため、加熱調理するとフワフワに膨れて独特の食感が生まれる。式根島の特産物の中で最も人気があるものは漁協婦人部(漁師の妻からなる部会)が作るたたきがある。原料は近海で捕れる青ムロアジ、トビウオである。冷凍されて販売されているものを解凍し練り直した後、油で揚げてたたき揚げにしたり、みそ汁や鍋物に落として食べる。

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神津島村

神津島村(こうづしまむら)は、東京都の村。他の伊豆諸島と同じく所属する郡が存在せず「東京都神津島村」が正式な表記である。

伊豆諸島の北部に位置する神津島をはじめ、漁業関係者や釣り人、ダイビングを趣味とする人々によく知られた銭洲などの島嶼より成る。神津島村を所管する東京都の出先機関は大島支庁である。

地理

東京都心の南西178kmの太平洋上に浮かぶ神津島を中心に銭洲、恩馳島、祗苗島などの島々より成る。

 神津島の住民のほとんどは、神津島港(前浜)周辺に集中していて、多幸湾の方は、数えるほどしか民家・建物しかない。最近はちらほら多幸湾のほうにも民家が進出し始めている。  

神津島

神津島は式根島とは10kmほどしか離れていない。伊豆諸島の有人島としては最も西にある。 神津島はひょうたん型をしており天上山(標高571m)を中心とした北部と秩父山のある南部とに大きく分けられる。

天上山には火口原があり、ここに、「表砂漠」「裏砂漠」と呼ばれる砂地がある。頂上が平坦で高度もあまり高くないにもかかわらず、本州では2000m級の高山に生育しているような高山植物も見られる山である。天上山は838年(承和5)に大規模な噴火をしたことが続日本後紀の記録などから明らかになっている。

南部と北部の間の西側の前浜沿いに主な集落がある。島の他の地域には字滝川、字高処山のように字があるが、この地域には字も町名も指定されていない。

御蔵島や青ヶ島など伊豆諸島には断崖絶壁に囲まれた島が多い中、神津島は比較的平坦で砂浜海岸が多い。

銭洲

銭洲は神津島の西に浮かぶ島である。周辺は好漁場であり、比較的古くから知られていた。国際法上の島であることは確かなのだが定住はしがたい。

歴史

神津島、恩馳島とその周囲の海底には黒曜石が豊富である。後期旧石器時代から石器の材料として採取され、大量に本州に送られた。旧石器時代の人々が船を使っていたことを示す貴重な間接証拠である。採掘は縄文時代まで続き、伊豆半島と関東地方南部に広く流通した。

神話によれば伊豆の島々を造った神様が集まるところということから「神集島」が生まれ、それが転訛して神津島といわれる。古文書のなかには「神集島」と書いているものもある。

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三宅村

三宅村(みやけむら)は、東京都の村。他の伊豆諸島の町村と同じく所属する郡はなく、「東京都三宅村」が正式な表記である。三宅村を所管する都の行政出先機関は三宅支庁である。

伊豆諸島の北部に位置する三宅島及び無人島の大野原島を村域とする。2000年に雄山が噴火したことで知られる。

沿革

* 1878年(明治11年) - 東京府に移管。
* 1923年(大正12年)10月1日 - 町村制施行。三宅島、大野原島を所管する出先機関は大島島庁(後に大島支庁)となり、伊豆村、神着村、伊ヶ谷村、阿古村、坪田村の5村が置かれる。
* 1943年(昭和18年)4月1日 - 大島支庁から分立、三宅支庁となる。
* 1946年(昭和21年)10月1日 - 伊豆村、神着村、伊ヶ谷村が合併し三宅村成立。
* 1956年(昭和31年)2月1日 - 三宅村、阿古村、坪田村が合併し、新・三宅村成立。
* 2000年(平成12年) - 雄山が噴火、住民は全員島外へ避難。
* 2005年(平成17年) - 避難命令解除、住民が復帰を始める。

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御蔵島村

御蔵島村(みくらじまむら)は、東京都にある村。他の伊豆諸島の町村と同じく所属する郡はなく、「東京都御蔵島村」が正式な表記である。御蔵島村を所管する都の行政出先機関は三宅支庁である。

伊豆諸島の中部に位置する御蔵島及び無人島の藺灘波島(いなんばじま)を村域とする。

概要

* 面積 - 20.58 km²
* 人口 - 271人
* 世帯 - 141世帯

地理

御蔵島は、東京都心の南約200kmの太平洋上に浮かぶ断崖絶壁の伊豆諸島の島である。

* 山:御山(851 m)

歴史

* 1923年(大正12年)10月1日 - 町村制施行。御蔵島を所管する出先機関は大島島庁(後に大島支庁)となり、御蔵島村が置かれる。
* 1943年(昭和18年)4月1日 - 大島支庁から分立、三宅支庁となる。

産業

* 林業、観光業、漁業

現在は観光業がメインだが、夏期を中心に需要に対し宿泊施設のキャパシティが極端に不足しているのが現状である。このため施設によっては数ヶ月先の抽選予約を行っているのが現状で、ようやく予約が取れても相部屋となる場合もある。

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八丈町

八丈町(はちじょうまち)は、東京都の島嶼部、伊豆諸島の南部に位置し、八丈島および八丈小島を町域とする町。ただし、現在は八丈小島は無人島である。

歴史

* 1908年4月1日 - 町村制が施行され、八丈支庁の八丈島に大賀郷村・三根村・樫立村・中之郷村・末吉村が設置され、八丈小島に鳥打村・宇津木村が設置される。
* 1954年10月1日 - 三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村が合併し、八丈村となる。
* 1955年4月1日 - 八丈村・大賀郷村・宇津木村が合併し、八丈町となる。
* 1966年3月 - 八丈小島の住民から八丈町議会に「移住促進、助成に関する請願書」が提出される。6月に八丈町議会が請願を採択。
* 1967年9月 - 八丈町から東京都に対し「八丈小島の全員離島の実施に伴う八丈町に対する援助」の陳情が行われる。
* 1968年10月 - 土地買収に関する住民との協議が成立。
* 1969年6月 - 八丈小島全島民の移住が完了(全島民撤退時の島の人口は旧宇津木村9戸31人、旧鳥打村15戸60人)。「全国初の全島民完全移住」として注目された。

地域

現在の八丈町は大賀郷(おおかごう)、三根(みつね)、樫立(かしたて)、中之郷(なかのごう)、末吉(すえよし)の五集落からなる。これらの集落は1908年に八丈支庁が設置され、八丈島に町村制が施行された時は、それぞれが独立した自治体(村)であった。八丈富士と三原山の中間にある平野部に存在する大賀郷と三根をあわせて坂下地区、三原山周辺にある樫立、中之郷、末吉をあわせて坂上地区と称することもある。町の人口約九千人の内、約七千人が坂下地区に在住している。

八丈富士周辺は大賀郷と三根に属し、通称永郷(えいごう)地区と呼ばれている。かつては多数の農家が入植し、小学校の分教場が置かれたこともあったが、現在は農家が僅かに存在するだけである。

地方ではよくあることだが、各集落内は部落と呼ばれる更に細かい区域分けがされている。秋に各地区で行われる運動会では部落対抗リレーが行われたり、祭礼も部落ごとに行われることがある。

一口に八丈島といっても、集落毎住民の気性に明らかな違いがある。また、言葉についても、地元の住民によると、同じ坂下地区でも大賀郷と三根では微妙にイントネーションが異なるとされている。

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青ヶ島村

青ヶ島村(あおがしまむら)は、東京都の村。伊豆諸島の南部に位置する青ヶ島全域を村域とする。他の伊豆諸島の町村と同じく所属する郡はなく、「東京都青ヶ島村」が正式な表記である。青ヶ島村を所管する都の行政出先機関は八丈支庁である。

伊豆諸島に属する有人島としては最も南に位置しており、日本国内で最も人口の少ない地方自治体としても有名である。人口の約半分が島外出身の村役場職員や学校教員・建設作業員及びその家族で占められていることから島民の平均年齢は30歳代後半と、離島としては若い。

地理

東京の南358.4kmの太平洋上に浮かぶ伊豆諸島の島である。一番近い八丈島からは南へ71.4km離れている。

世界でも珍しい端正な二重のカルデラの複成火山の島である。外側のカルデラの中央には丸山という内輪山がある。青ヶ島の最高点はこの丸山を取り囲んでいる外輪山の北西部分に当たる大凸部(おおとんぶ)で標高423.0mである。

現在、人が定住している集落は島の北部にあり、村役場を中心に東側の休戸郷(やすんどごう)と西側の西郷(にしごう)の二つである。郵便番号は100-1701。いずれの集落であっても島内の全ての住所は青ヶ島村無番地である(大字や字に相当するものがない)。そのため、住所を書かなくても郵便番号と宛名さえ書けば郵便物が届く。ただし、住民のほとんどが「佐々木」「奥山」「菊池」「廣江」のいずれかの姓であるため、宛名は名までを間違いなく記入する必要がある。

港は島の南西部にある断崖絶壁の下の「三宝(さんぽう)港」のみである。かつての三宝港は、漁船やはしけ程度の船舶しか着けられないようなささやかな船着場であった(この頃は、人や物資の搬入は沖合いに停泊した船から、はしけでピストン輸送するしかなく、荷揚げに時間がかかった。また、少しの高波でも作業が出来なくなったため、就航率が極端に低く、天候急変による作業中の船舶の離脱もあり、積み残しが多かった)。120億円を投じて建設された現在の同港には防波堤を兼ねた貨物船用の波止場もでき、500t級の船舶が着岸できるようになった。しかし、付近の黒潮の激しさと同港の貧弱さから、定期船「還住(かんじゅう)丸」(後述)の就航率は6割弱と低い状態が続いている。このため、三宝港の補うべく島の南東部に「大千代港」が建設されたが、冬季にはほぼ毎日高い波を受け接岸できないうえ、現在は港への道路が大きく崩壊しており利用できなくなっている。

空路は1993(平成5)年8月25日以降、東邦航空のヘリコプターによるコミューター『東京愛らんどシャトル』が八丈島を経由して伊豆諸島のほかの島との間に開設されている。空路は、航路よりも運賃は高いが就航率がはるかに高いため島民の主たる足となっている。このヘリコミューターが開設される前は、いったん海況が悪化すると、一切の物資が届かず来島者も帰れないという状態が半月以上続くことが珍しくなかった。

気候は温暖湿潤である。

歴史

* 1785年 - 「天明の別れ」(天明5年の大噴火)

この年の4月18日から始まり5月頃まで続いた大噴火が青ヶ島の最も新しい火山活動である。当時327人いたとされる島民のうち202人が八丈島からの救助により避難するも、避難に間に合わなかった残りの者は爆発に巻き込まれて全員死亡したとされる。
八丈島での避難生活は、時には流人以下の扱いを受けるという悲惨なものであった。これは、不作続き(天明の大飢饉)で八丈島民だけでも食うのがやっとなのに幕府が避難民の他地域への移住を認めなかった(さらに八丈島の流人はもともと武家など身分の高い人物ばかりだった)というやむを得ない事情による。かつての豊かな青ヶ島を夢見て帰島を企てる者も幾度かあったが、八丈島と青ヶ島の間の海で遭難したり、青ヶ島に渡ることに成功しても噴火で荒廃した土地では生きていけず、かなわなかった。

* 1817年 - 隠居した名主にかわり佐々木次郎太夫が名主となる

佐々木次郎太夫の周到な計画のもとで、帰島事業が着々と進められる。

* 1824年 - 「還住」

この年についに還住(全島民帰還)を果たす。

* 1835年 - 島の再興が宣言される(検地が行われ、正規の年貢が納められるまでになった)

天明の別れから復興まで半世紀もの歳月がかかった。定期船「還住丸」の名称はこの一連の出来事に由来している。この時点での島の人口は241名(男133名、女108名)。

* 1940年4月1日 - 町村制施行

青ヶ島は八丈支庁となり、青ヶ島村が置かれる。

* 1946年1月29日 - 日本からの一時的な行政権切り離し

連合国軍総司令部(GHQ)が発表した「特定外周領域の日本政府よりの政治的行政的分離に関する件」という覚書により、日本政府の行政権から切り離される。他の伊豆諸島の町村と同じく同年3月22日に復帰。

* 1956年7月8日 - 初の国政選挙実施

青ヶ島は僻地で通信手段がないとの理由から、国政選挙および都政選挙については日本国憲法で保障された参政権が制限され、選挙に参加できなかった。短波による無線電話が整備され、この日行われた第4回参議院議員通常選挙が青ヶ島初の国政選挙となった。

産業

前記のとおり島民の約半分が村役場職員や建設作業員であるため、主な産業は公共事業及び島内出身者による農業である。農業のうち、特に畜産業(繁殖させた和牛〔黒毛和種〕の子牛を本土へ出荷、1972年〔昭和47年〕までは乳牛も飼養していた)はかつて島の基幹産業であった。近年では飼養者の高齢化による粗飼料耕作地の放棄やBSE問題などによって急速にその戸数・頭数を減らしている。

島の周辺海域はフィッシングスポットでもある。しかし、訪れる遊漁船の多くは八丈島からのチャーターであるため上陸する人は少ない。来島者の殆どは農林水産・土木関連を主とする公共事業目的の公務員及び建設作業の従事者である。

集落には5軒の民宿、1軒の自動車整備工場、2軒の商店、1軒の居酒屋がある(ただし、その居酒屋は看板がないため、島民にしか分からない)。この他に、製塩所付近にキャンプ場と地熱サウナがあるが観光地化されているとはいえない。

黒毛和牛の他の名産品としては、三宝港よりポンプで汲み上げた海水から火山の地熱を利用して作ったひんぎゃの塩(「ひんぎゃ」は島言葉で「噴気孔のある場所」の意)がある。また、島特産の「かんも」(サツマイモの1品種)を原料とした芋焼酎「青酎(あおちゅう)」が最近かなり有名である。しかし、牛の頭数減少によってかんもの栽培に用いる堆肥が減少し、また青酎自体が有名になりすぎてしまったこともあって、供給が間に合わない状態になっている。

ひんぎゃの塩及び青酎は先述の商店や八丈島の土産物店等で購入する事ができるが、実は、青酎に関しては一部の民宿でも自家製が宿泊客に振る舞われている。1984年に青ヶ島酒造合資会社が設立される前は、徴税コストに見合わない(つまり、交通の便が非常に悪いため、税務職員も行きたがらない上、税務職員が赴く事で得られるであろう税収に対して経費が掛かりすぎる)という理由で酒税が課されることもなく、密造酒のような経緯で各家庭が勝手に焼酎を作って消費していた。これは現在でも事実上黙認状態であり、一般販売されている青酎も、外見は全く同じでもその中身を実際に作った生産者の違いによって各ボトル毎に味が微妙に異なる。

牛祭り

青ヶ島村の夏祭りである牛祭りは村内最大の行事である。この日に合わせて島外にいる村出身者が大勢帰省してくるため、島内は一斉に賑やかになる。また、祭りの実行委員会が作成するTシャツ(「牛ティー」と呼ばれている)は牛を主題にして毎年異なったデザインで作成されるため、島外にもファンが多い。

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小笠原村

小笠原村(おがさわらむら)は、日本の最南端・最東端に位置する村。エコツーリズムで知られている。

概要

小笠原諸島に属する太平洋に散在する30余りの島々を村域とするが、一般住民が居住しているのは父島と母島のみである。気候は聟島列島・父島列島・母島列島・西之島では亜熱帯、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島では熱帯の、海洋性気候である。 父島の年平均気温は摂氏23.0度、年間降水量は1280mm[1]。長らく日本国内で唯一、津波以外の気象警報・注意報が発表されない地域であったが、2008年3月から予報が開始されることとなった[2]。

伊豆諸島の町村と同様に所属する郡が存在しない。従って「東京都小笠原村」が正式な表記である。(アマチュア無線などの世界においては「東京都小笠原支庁小笠原村」と表記されることがあるが、「小笠原支庁」は東京都の出先機関であり、北海道の支庁と同様に住所表記としては間違いである)。 村の主な機能は父島に集中しており、人口が最も多い。

プロ野球読売ジャイアンツに所属する小笠原道大が観光親善大使を務めている。

地理

* 東京都心から小笠原村の中心である父島までは、約1,000km離れている。
* 山: 中央山(318m・父島)、乳房山(463m・母島)

歴史

歴史については、小笠原諸島・小笠原支庁も参照のこと。

* 1940年 島嶼町村制の適用により、小笠原支庁の父島に大村・扇村袋沢村が、母島に沖村・北村が、硫黄島に硫黄島村が設置される。
* 1946年 アメリカ軍の直接統治の下におかれる。
* 1952年 サンフランシスコ講和条約により、5村は日本政府の行政から分離され廃止。アメリカの信託統治領となり引き続きアメリカ軍管理下に置かれる。
* 1968年6月26日 アメリカ軍から返還、本土復帰すると同時に小笠原支庁の全村が合併し、小笠原村となる。

産業

* 主な産業
o 本土とは独自の生態系を持つ小笠原の自然に着目した観光が主産業である。
o 村おこしとして、村や農業協同組合などが出資した小笠原ラム・リキュール(株)がラム酒を生産している(小笠原には明治期よりラム酒を飲む習慣がある)。
o コーヒーの商業栽培が行なわれている。(日本では小笠原と沖縄のみ)

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